第千百九十七話 新たなる始まりを(九)
オベロンの翅、その内側に広がる夜空に蠢く星々が瞬くと、つぎの瞬間、無数の光条が照射され、銀河守護神《G・ガーディアン》の巨躯を貫いた。強靭無比な装甲を容易く突破して、だ。
光の巨人が、その雄々しき全身から星神力を噴出させる様は、全身を切り刻まれ、大量出血しているかのようだった。巨人が、吼える。あらん限りのそれは、照彦の咆哮にほかならない。
照彦の命が、叫んでいる。
すると、銀河守護神が、神風音楽堂に収まりきらなかった大きさから、頭頂部まではっきりと見える程度の大きさへと縮小した。そして、光の巨人が掲げた両手に星神力が収束し、長大な光の剣になる。光の巨人の身の丈ほどの剣。超極大光剣とでもいうべきそれは、銀河の光を一点に収斂したかのようであり、あまりに眩く、破壊的ですらあった。
「真零大破剣《Z・ソード》!」
照彦の真言に応じるようにして銀河守護神が超極大光剣を横薙ぎに振るえば、前方広範囲に展開していた大量の妖級幻魔を両断し、消滅させる。断末魔を発することすら許さない、一瞬にして絶対的な最後。だが。
(オベロンは)
流人は、オベロンの姿が巨人の頭上へと転移した瞬間を見逃さなかった。照彦も、見ている。
「大振りにもほどがありましたね」
「だが、良い感じだ」
「はい。良い感じです」
照彦は、流人に同意しつつ、銀河守護神を暴れさせた。銀河守護神が真零大破剣を振り回すことによって、妖級幻魔を殲滅しようというのだ。妖級幻魔は、星象現界さえ発動すればもはや敵ではないのだが、放置しておくことはできない。そして、星象現界を使えない導士たちにとっては、強敵以外のなにものでもないのだ。
ならば、オベロンを牽制するついでに撃滅してしまえばいい。
オベロンは、光剣を回避することに専念していて、攻撃をしてきていない。大振りだが、速度、範囲、威力、どれをとっても看過できるものでもないのだ。その威力たるや、軽く振り回すだけで、神風音楽堂を完膚なきまでに破壊し尽くすほどだ。舞台も観客席も壁も屋根もなにもかもが粉々に吹き飛ばされていく。
そして、吹き荒ぶ星神力の嵐が、オベロン配下の幻魔を滅ぼし尽くすまで、時間はかからなかった。
さしものオベロンも想定外の事態ではないか。
(とはいえ)
オベロンの優勢は、揺るがない。
流人は、冷ややかに認め、オベロンの転移先へ風気を集中させた。神風音楽堂に鳴り響く破滅的な旋律が、目に見える形で世界に変化を起こす。星域全体が震撼するかのようにして、破壊の波動が幾重にも虚空を貫いていく。
オベロンの実体化と同時に殺到する、怒濤の如き破壊の波動。超音波という言葉ですら生温い凄まじい音圧は、鬼級幻魔の魔晶体を傷つけ、破壊していく。
「第一楽章・威風」
音が紡ぐ破壊の連鎖は、いかに鬼級幻魔であろうとも避けきれるものでもないし、受けきれるものでもない。
ここは、神風音楽堂。
相馬流人の星象現界、その星域のただ中なのだ。一度足を踏み込んだら最後、どれだけ優れた空間転移魔法であろうとも、逃げ場など存在しない。
事実、オベロンは、夜の王の転移能力で何度も逃れようとしたが、転移する度に威風の追撃により、魔晶体に痛撃を受けていた。魔晶体の損傷に伴う魔力の漏出現象は、激しく、致命的にすら見えるのだが。
オベロンは、涼しい顔だ。
「星象現界の能力、いや、星象現界を応用した魔法というべきか。中々に素晴らしい。しかし、この程度では届かない。届きようがないんですよ」
「負け惜しみを!」
叫んだのは、一色雪乃。裂帛の気合いそのものの声が響いたときには、宝刀雪風がオベロンの胸を貫いていた。オベロンの背後に、雪乃と、御旅飛雄の姿がある。飛雄の韋駄天靴は、星象現界で一、二を争う最高速度を誇るのだ。
そしてそれは、威風と光剣の対処に専念していたオベロンの隙を衝くことができるほどの速度だったということだ。
胸から飛び出してきた純白の刀身を見た瞬間、オベロンの形相が一変した。それまで余裕に満ちていた表情が、一瞬にして憤怒に染まる。雪風の刀身から噴き出した莫大な冷気が、オベロンの傷だらけの魔晶体を氷漬けにしていくその中で、翅が、瞬く。
夜の王が唸りを上げ、翅の中の宇宙が鳴動する。
飛雄は、咄嗟に虚空を蹴り、雪乃ごとその場を離れた。
「飛雄くん!?」
「死ぬのはここじゃないっしょ!」
飛雄が韋駄天靴の全速力でオベロンから飛び離れた直後、妖魔将の翅が宇宙の輝きを膨張させた。極光としかいいようのない輝きが、この空間に存在するすべてのものの視界を奪い、塗り潰す。
そして、衝撃。
幾重にも張り巡らされた魔法防壁が粉々に打ち砕かれ、さらに無意識の反射で発動したのだろう簡易魔法の防壁すらも粉砕されたのがわかった。というのも、全身に強い痛みを覚えたからだ。肉が抉られ、骨が折られたかもしれない。臓器のいくつかが灼けたのではないか。
だが、意識を失うほどではない。
致命的だが、思考は明瞭だった。痛覚を遮断したからだ。
流人は、白一色に染まった視界の真ん中に黒い点がにじみ出す様を見ていた。照彦もだ。星象現界の使い手だけだ、それを目の当たりにしている。
星将と杖長を除くすべての導士が、意識を失っていた。中には直撃を受け、戦死したものもいるし、重傷を負った導士は数知れない。無傷の導士など、一人としていないだろう。
脳内に伝わってくるそうした情報が、流人を奮い立たせた。
「存外……そう、存外、やるじゃないですか。あなたがたの実力は、どうやら想像よりも遥かに上等のようだ。実に惜しい。実にね」
「惜しいものか」
流人は、白色の世界に浮かぶ黒い蝶の化身を睨み据え、いった。
「最初から貴様は敵だ。戦団にとって滅ぼすべき敵に過ぎない。手を取り合って未来を夢見る相手でもなんでもないんだ」
「いまやそうはなりましたが、最初は、協力していたでしょう。互いに、恐府の破壊を、オトロシャの打倒を目指していたではありませんか」
「利害が一致しただけのことです。あなたにどのような思惑があれ、結局のところ幻魔ですから。どれだけ協力的であろうとも、幻魔は幻魔。人類の天敵であり、滅ぼすべき邪悪に変わりません」
「幻魔は邪悪。そのような考えこそ、間違っているとは思わないのですか?」
「ええ、思いませんね。仮に、あなたがたに優れた思想があり、崇高な使命があるのだとしても、人類よりも遥かに高度な知性体なのだとしても、地球全土を破滅させ、幻魔以外の全生命を死滅させたのですから、わたしたちからすれば悪以外のなにものでもない」
「その通りだ」
照彦がすべて説明してくれるから、流人はなにもいうことがなかった。ただ、変貌を遂げたオベロンを睨むだけだ。変貌。そう、変貌だ。オベロンは、妖精王の名に相応しい美しさを誇っていたが、いまやその美しさは欠片も見当たらない。全身が黒く塗り潰され、顔つきも醜悪にして狂暴なものになっていた。
幻魔には、そちらのほうが相応しいが。
「ふむ。やはり、そうですか。人類は滅ぶべきなのでしょうね」
「滅ぶべきは、幻魔だよ。オベロン」
「まったくです!」
流人を肯定したのは、どこからともなく聞こえてきた神木神流の声であり、それが凄まじい迫力をもってこの白色空間に響き渡ったかと思えば、弾幕がオベロンに集中した。無数にして無尽の火線。直撃とともに爆発が起き、その連鎖がオベロンの魔晶体を打ち砕いていく。
鬼級幻魔に通用するほどの威力の魔法だ。星象現界以外には、考えられない。
神木神流の星象現界・銃神戦域。
「最初から人類のことなどまったく考えてもいないくせに、よくもまあ、そのようなことをぬけぬけといえたものですね!」
神流の怒声は、鳴り止まぬ銃声や砲声にも掻き消されず、流人たちの耳朶に突き刺さる。鋭く、強く、偉大な声。神木神威の秘蔵っ子として知られ、数々の戦場で英雄的な活躍をしてきた、星将。第二軍団長にして、軍団長筆頭ともいうべき存在。
彼女の戦場への介入は、流人と照彦の心を軽くしただけでなく、その場にいた全員の精神を安定させたに違いなかった。
爆撃が、オベロンの言葉を飲み込み、消し飛ばす。
オベロンが翅を大きく広げ、その夏の夜空の如き翅模様を展開すれば、白色空間が収まり、元に戻った。つまり、神風音楽堂の内側だ。
いや、違う。
荘厳にして広大なる音楽堂の内側には、無数の銃砲火器が配置されていた。
星域が、二重に展開しているのだ。