第千百九十六話 新たなる始まりを(八)
相馬家は、代々、戦団に深く関わる家系だ。
代々とはいっても、流人の代で三代目であり、歴史と呼べるほどのものではないかもしれない。しかし、戦団そのものが誕生して五十年に過ぎないのだから、三代に渡って戦団に関わり、導士として責務を全うしてきたのであれば、それだけでも素晴らしいことだ――央都市民ならば、だれもがそう考える。
央都は、戦団によって成り立っているのだから。
流人の父は、相馬流矢。現在、戦務局長補佐を務めており、その名を知らぬものはいない。局長補佐に任命されるまでは、現役の戦闘部導士だったのだ。局長補佐に抜擢されてからは戦場に立たなくなったものの、いまでも戦闘訓練を欠かさず、魔法士としての実力は並外れたものがある。
もっとも、父の名を有名にしているのは、祖父の存在が大きいことはいうまでもない。
祖父は、相馬流陰。戦団創設者のひとりであり、地上奪還部隊に在籍、地上奪還作戦において活躍したことで知られる。現在は、戦務局副局長であり、局長・朱雀院火流羅とは極めて対等な立場にあるという。
戦団においては極めて厳格な態度を取り、戦務局、そして戦闘部の導士たちには怖がられているところがあるものの、平時においては、ひたすらに穏やかなひとだった。
「なにも嘆くことはない。ひとには向き不向きというものがあるのだ。おまえは、戦闘部には向いていない。ただそれだけのことだよ」
祖父の、極めて優しく、寄り添うようなその言葉は、しかし、なによりも深い断絶を感じた。
流人が子供の頃の話だ。まだ、物の分別もつかない、幼子。だから、自分の感情に素直だったし、他人の感情にも敏感だったのかもしれない。
「でも」
流人は、祖父の横顔を見上げた。その風貌は、歴戦の猛者そのものだ。数え切れない幻魔を斃し、数知れない死線を潜り抜けてきたのだ。その立ち居振る舞いが英雄然としていたとしても、なんら不思議ではなかったし、当然のように思えた。
「ぼくは、兄さんのようになりたいな」
「……そうか」
祖父は、流人の想いを否定しなかった。流陰としては、流人が戦闘部に入らずとも、いずれかの部署に入り、戦団の役に立ってくれれば良かったのだろう。だが、それを憧れが許さなかった。
物心つく前から見聞きしてきたことへの憧憬は、魂を突き動かす衝動そのものだ。
だから、兄に憧れた。
流人には、兄がいた。
名は、流天。年の差は、四歳。
生まれながらの天才とは、まさに彼のことをいうのだろう、と、だれもが褒めそやした。なんといっても、物心ついたときには魔法を使い始めていたというのだ。見聞きしただけで魔法の基本構造を理解し、魔力の練成から律像の形成に至るまで、完成させていたのだという。
そんな流天が将来を嘱望されるのは、当然のことだったし、彼自身、戦闘部の一員になるのは当たり前のことと考えていたようだ。
「児戯だよ、なにもかもさ」
流天の口癖だった。
子供ながら大人と同じくらいに魔法を使いこなしていた流天にしてみれば、この世の中のすべてがそのように見えていたらしい。
流人には、兄の視界がわからなかったが。
「なにが?」
「全部がさ」
四つ年上の兄の言葉の意味がわからず、流人は、事あるごとに問いかけ、そのたびに流天は、笑った。その笑顔がどうにも透明で、だから、流人は、兄のようになりたいと思ったのだ。
兄のような透明な人間になれたら、少しは、この苦しみから解放されるだろうか。
流人は、魔法の才能がなかった。少なくとも、流天に比べれば、天と地ほどの差があった。
「こんなもの、児戯なんだから」
気にする必要はない、と、兄は他人事のようにいって、笑う。
流天にしてみれば、魔法を使えることがどれほどのことなのか、まるで理解できないのかもしれないかった。生まれながらにして魔法の才能に満ち溢れ、気がついたときには大人以上に使いこなしていたのだから、価値観が違っていたとしても不思議ではない。
やがて、流天が星央魔導院に入学し、素晴らしい成績を収めていく中、流人は、いつも己の才能のなさに打ち拉がれていたものだ。
「泣くなよ。別に魔法なんて人並みに使えれば十分だろ。戦闘部はさ、死ぬことが仕事なんだぜ? おまえは、生きて、相馬家を残すことだけを考えろ」
「……兄さんは? 兄さんも相馬家の一員だよ」
それどころか、相馬家の跡取りとなるのは、紛れもなく流天だ。
相馬家は、相馬流陰の家系と、流陰の双子の弟である相馬流星の家系がある。家格としては完全な同格だ。どちらの家も、戦団創設期から深く関わっているということもあり、央都における特別な家柄だった。故に、家系は絶やすべきではない、という考えがある。
魔法が発明され、普及し、一般化していく中で、魔法の才能が子や孫に受け継がれていくことが判明した。魔法士が家系や血筋に強いこだわりを持つようになっていったのは、道理なのだ。人類が存亡の危機に瀕しているいまならば、なおさら、血筋は大切になる。ならざるを得ない。
「おれは……そうだな。考えておくよ」
こと、家のことに関した話題になると、兄は、ひどくつまらなそうな顔をした。いや、そもそもの話、流天が感情を突き動かされる様子を見た記憶がなかった。
そう、兄は、生きていることそのものが、つまらなそうだったのだ。
その兄が、死んだ。
享年十五歳。
星央魔導院を首席で卒業し、華々《はなばな》しくも戦団に入団し、戦闘部に配属された二ヶ月後のことだった。巡回任務中に幻魔災害の発生を確認、その直後、市民を庇って命を落としたのだという。
あまりにも呆気ない最期だった。
「なあ、流人」
「なあに、兄さん」
「おれが死んだらさ」
「……え?」
兄の予期せぬ、そして不穏としかいいようのない発言には、流人も顔面を蒼白にした。だから、だろう。
「――いや、なんでもない。忘れてくれ」
流天は、軽く笑って、すべてをなかったことにした。
あのとき、兄はなにをいおうとしたのだろう。
いま振り返っても、考え込んでも、なにも思いつかない。
結局自分は、兄のことをなにも知らなかったのだ。
(おれが死んだら、か)
考えたこともないといえば、嘘になる。
初めての実戦のとき、恐怖と緊張で全身が凍り付き、死の気配を感じ取った。それ以来、いや、それよりずっと前から、死を直視してきたのだ。
兄が死んで、その亡骸を目の当たりにしたときから。
亡骸は、綺麗だった。
戦団は、戦死者の亡骸を完璧な状態にしてしまう。戦闘でついた傷痕も、死因となったのであろう損傷も、なにもかもすべて、完全無欠に消してしまう。
それは、そうだろう。
そうしなければ、遺族が惨たらしい亡骸と対面しなければならなくなってしまうのだから、当然の配慮であり、処置だ。
だが、流人は、流天の安らかな死に顔を見て、違和感を覚えずにはいられなかったし、怒りすらわき上がってくるのを認めた。
戦団は、兄の死すら奪ったのではないか。
それが一方的かつ短絡的な考えだとわかっていても、そう思ってしまったのだから、仕方がない。
(いまなら、わかるよ)
流人は、己が巻き起こした暴風の結界によって、オベロンの流星群を受け流しながら、考える。
(戦団の、先人たちの考え)
死を奪ったのではない。
死を看取ったのだ。
導士の死を。
同胞の死を。
子供たちの死を。
(だからさ、兄さん)
不意に、流人の法機が音を立てて砕け散ったが、彼は構わず、腕を振った。星象現界の制御に指揮棒はいらない。意志だけでいい。意志だけが、想像力を形にし、世界に咆哮する。
神風音楽堂の内側に逆巻く颶風が大量の幻魔を撃滅していく中で、それでもオベロンの攻勢は止まらない。夜空そのものの如き翅を広げ、流星を乱射し続けるのだ。ひとつひとつが強力無比な魔力体だ。直撃を受ければ無論のこと、掠り傷でも致命傷になりかねない。
既に何人もの導士が命を落としていた。
死が、鎌首をもたげていた。