第千百九十四話 新たなる始まりを(六)
人間たちが星象現界と名付けた魔法は、魔暦元年から連綿と続く人類魔法史の最終到達点に等しい技術なのではないか、とは、それを知るだれもが想うことに違いない。
魔法を発明したのは、人間だ。
魔素を発見し、魔力へと練成する方法を見出し、魔力によって事象変化を引き起こす術を編み出した。
それが魔法である。
そして、魔法が世界中に普及し、人類全体が魔法士となった結果が、この有り様なのだ。
ほとんどすべての生物が死に絶え、幻魔以外に生き残っているのもわずかばかりの人間に過ぎない。最盛期に比べれば、なんと物足りないことか。それこそ、存亡の危機そのものであり、放って置いても滅び去ること間違いない。
それほどの状況。
それだけの事態。
故にこそ、人間たちは、研鑽に研鑽を重ね、練磨に練磨を積み上げ、魔法の新たな可能性を見出した。
それが、星象現界。
オベロンの前方に布陣する、およそ三百余名の人間たち。その中でも特に強大な力を持つのは、星象現界の使い手だということは、疑うまでもない事実だ。
二名の軍団長と、四名の杖長。
相馬流人と竜ヶ丘照彦が星象現界を発動すると、杖長たちもまた、それに呼応するようにして星象現界を唱えたのだ。
第一軍団杖長筆頭・一色雪乃の武装顕現型星象現界・宝刀雪風は、白雪の如き刀身を持つ大刀であり、その周囲には猛然たる冷気が渦巻いている。
同じく第一軍団杖長・御旅飛雄の星象現界・韋駄天靴は、武装顕現型。両足を覆う装甲と靴で構成された星装からは、小さな嵐ともいうべき風気が吹き荒んでいた。
第十二軍団杖長筆頭・須磨菫の化身具象型星象現界は、大森霊。大量の樹木を圧縮し擬人化したような星霊が、彼女の背後にて恭しくもその存在感を放っている。
同じく第十二軍団杖長・関守虎の化身具象型星象現界・白虎は、その名の通りに四聖獣・白虎そのものである。もちろん、関守虎の想像力の具現であり、どこか機械的ともいえる部分があった。
そして、星将たちの星象現界。
流人の星域・神風音楽堂は、流人を中心とする広域に展開する星神力の結界であり、発動した瞬間には、戦場の景色が一変していた。まさに音楽堂のただ中に放り込まれたかのような感覚を抱くのは、星域がそのように作られているからだ。そして、その空間内に充ち満ちた星神力は、幻魔たちの意識をも軽々と掻き乱していく。
照彦の星象現界・銀河守護神《G・ガーディアン》は、光の巨人と呼ぶに相応しい星霊だ。その巨躯は音楽堂に収まりきらず、下半身だけが眩いばかりの光を発し、その存在を主張している。そして、それだけで周囲の幻魔を制圧しうるのだから、とてつもない。
いずれも、超高密度の魔素たる、星神力の結晶であることはいうまでもない。
人間風情が鬼級幻魔に対抗しうる手段であるそれらは、しかし、いまや鬼級幻魔の力となった。
オベロンは、膨張し続ける星神力の奔流のただ中で、告げた。
「夜の王」
瞬間、オベロンの全身からも莫大な星神力が放出されたかと思えば、黄金色の翅が影に覆われるようにして黒く染まった。その黒の中に無数の光点が生じると、まるで宇宙そのものが翅の中に出現したかのように見える。
いや、夜空だ。
夜空が、翅の中に広がっている。
「星象現界だと?」
「まさか」
「そのまさかだよ。癪だが……トールに倣ってね、わたしも星象現界を修得したのだよ。多少は、絶望したかな? 人間諸君」
「絶望?」
夜空そのものを背負ったかのようなオベロンが、まさに夜の王の如くふんぞり返る様を目の当たりにして、流人は、冷ややかに告げた。
「そんなもの、いまに始まったことじゃないさ」
「……まあ、そうですね。それも、その通りです」
流人の意見を否定しようがないから頷き、照彦は、銀河守護神を進軍させる。一歩。ただの一歩で敵陣に大打撃を与えるのが、銀河守護神だ。通常時でさえ巨大な星霊だが、今回は、いつにもましてその巨躯を膨れ上がらせており、ただの踏み込みでオベロン軍の幻魔を蹴散らした。
少なくとも、獣級以下の幻魔は、銀河守護神の一歩で壊滅し、塵芥と化したといっていい。
巨大な足の一歩が引き起こす光の氾濫、そのただ中に吹き荒れるのは、破滅的な音の奔流であり、衝撃波の乱舞だ。
まるで指揮棒を振るうかのように法機を振り翳した流人の目には、既に多数の妖級幻魔が撃滅していく光景が映っていた。
流人と照彦が動けば、部下たちがすぐさま続くのは当然のことだ。四名の杖長と、三百名余りの導士たちが、一気呵成に攻勢に出ている。大量の攻型魔法が戦場に飛び交い、凄まじい爆発の連鎖によって音楽堂が震撼する。だが、そんなもので音楽堂が傷つくものではない。
オベロン配下の妖精たち、フェアリーやピクシーといった妖級幻魔が、嵐を起こすようにして殺到してくるが、それらを迎撃するのは、杖長未満の導士たちの役割だ。
杖長たちは、流人たちとともにオベロンに攻撃を集中させた。
「ふむ。なるほど、それもそうか」
オベロンは、流人と照彦の言に納得しつつ、頭上から降ってきた銀河守護神の拳を星神力の障壁で受け止めて見せた。まるで音楽堂の外から隕石が降ってきたかのような、そんな一撃。だが、オベロンの魔法壁を打ち破ることは適わない。
そして、衝突の余波が、周囲の幻魔を吹き飛ばしていく。
「人類は、常に絶望している――道理だ」
オベロンは、翅を広げる。翅の中に瞬く光点がその輝きを膨大化させれば、流星群となって翅の外へ、オベロンの視線の先へと飛んでいった。銀河守護神の拳を撃ち返し、さらにその巨躯を爆撃していったのだ。
鬼級の星象現界の直撃には、さすがの銀河守護神の巨体も揺らぐというものだが、そんなことは最初からわかりきっている。直後には、オベロンの体に無数の蔦が巻き付いており、その隙を衝くようにして白虎、一色雪乃、御旅飛雄が殺到していた。白虎の体当たり、雪乃の斬撃、飛雄の蹴撃――三方からの同時攻撃は、さしものオベロンにも通用したかに見えたが、鬼級幻魔は、動揺ひとつしていなかった。
「やはり、致命的だ」
オベロンは、みずからの体を翅の宇宙へと溶け込ませると、その姿を消して見せた。目標を失った杖長たちは、即座にその場から飛び離れると、頭上から降り注いできた流星群を辛くも回避した。流星群は、音楽堂の床に激突し、大爆発を起こす。
衝撃波が吹き荒れ、魔法が散乱する中、流人の目は、音楽堂の中心に黒点が生じるのを見た。黒点が翅を開き、そこにオベロンの姿がにじみ出してくる。
「夜の王といいましたか。オベロンの星象現界は、翅に星装を纏う武装顕現型。星装から流星群を撃ち出すのと、翅の中の亜空間に隠れ、現在座標を移動する空間転移が主な能力といったところですか」
「それだけでも厄介だが……それ以上に厄介なのが」
流人は、照彦の分析に相槌を打ちながら、実体化したオベロンの体に傷ひとつついていないのを認めた。わかりきったことではあったが、目つきが険しくなるのを止められない。
鬼級を相手にするということは、つまり、こういうことだ。
ただでさえ莫大極まりない生命力を誇るのが、幻魔という生き物だ。魔晶核を破壊しない限り、膨大な魔力によって魔晶体を容易く復元する怪物たち。中でも鬼級の魔素質量は、尋常ではないのだ。人間とは比較にならないし、人間と戦って尽き果てるなどということは考えにくい。
星象現界の使い手が六名いようとも、総力戦にならざるを得ないし、消耗戦など、以ての外だ。
鬼級が力尽きるまで戦い続けようとしても、なんの意味もない。
こちらが力尽きる方が遥かに早いだろう。
「――さて、ここからどうする? 人間たち」
オベロンは、流人が奏でる音楽の破壊力に目を細めながら、問いかけた。