第千百九十話 新たなる始まりを(二)
幸多と統魔が目覚めたのは、水穂市山辺町は御名方山の麓にある皆代家の、幸多の自室である。
幸多は、そもそも第七軍団に所属し、十二月は水穂基地に駐屯していたから、つぎの任地に移動するまでの数日は水穂市に滞在していてもなんら不思議ではないし、その間、実家に顔を出しても問題にはならない。むしろ、当然といってもいいくらいの判断だ。
では、統魔がなぜ、実家にいるのかといえば、戦団の計らいである。
戦団は毎年、年末年始になると、衛星任務中の各軍団に対し、央都への一時帰還の希望者を募っているのだ。そうでもしなければ、導士が年末年始を央都で過ごせるのが、数年に一回になりかねないからである。
央都の防衛も大事だが、導士の人生も大切にしたい――そんな戦団上層部の考えから誕生したのが一時帰還という方策なのだ。
もっとも、希望者全員が許可されるわけではない。厳正なる審査の元、各軍団から選ばれた少人数が央都への帰還を許可されるのだが、その審査基準のひとつがこの一年間で一時帰還を利用したかどうかというものがある。
統魔も、昨年の年始は衛星拠点で過ごしていたし、だからこそ、今年は央都で過ごすことができたというわけだ。
ところで、統魔がなぜ幸多の部屋で寝ていたのかといえば、統魔ともども、ルナもこの家で一夜を過ごすことになったからにほかならない。統魔がルナに部屋を明け渡したのだ。
「実家で過ごす年越しはどう?」
「うーん……普通」
「そっか。いいことだね」
「ああ。いいことだ」
幸多との何気ない会話が嬉しくて、統魔は自然と口元が綻ぶのを認めた。幸多との会話にはなんら気負う必要がなかったし、表情や声音の変化を気にすることもない。血の繋がらない、けれども、だれよりも深い絆を感じる。
半身。
そう、半身だ。
統魔は、窓から差し込む朝日を浴びる幸多の顔を見つめながら、一人勝手に確信する。
それから、ふたりして部屋を出て、居間に向かえば、奏恵とルナが朝食の準備に動き回っていた。
皆代小隊の全員が、央都への一時帰還を許可され、ルナ以外の全員が実家に顔を出すことにしたものの、ルナだけは帰る場所がなかった。家はあっても、そこに家族はいない。
『だったら、うちに来れば良いさ。母さんも人手が欲しいだろうしな』
そんな統魔の提案に対し、ルナが満面の笑顔になったのは当然だっただろう。帰るべき場所が、そこにあったのだ。
そして、昨日の夜中に皆代家の門を叩けば、奏恵はもちろんのこと、幸多も喜んでふたりを迎え入れてくれた。
その事実が、ルナにはこの上なく嬉しかったようだ。一晩中はしゃいでいたのだが、その様子が普段通りの彼女であり、統魔はほっと胸を撫で下ろした。ここのところ、尋常ではない雰囲気を纏っていたルナが、いまでは憑き物が落ちたかのように元に戻っている。
なにが原因だったのか、なにか問題が解決でもしたのか、統魔にはまるでわからない。が、いまは深く考えるようなことではあるまい。
年が明けたのだ。
辛気臭く考え込んでいるのは、らしくない。
「新年、あけましておめでとう!」
奏恵の溌剌とした大声には、幸多と統魔は顔を見合わせた。互いに満面の笑みになっているのを確認し、すぐさま、返事をする。
「あけましておめでとう!」
「あけましておめでとー!」
「あけましておめでとう、ふたりとも!」
白を基調としながらも、どうにも奇抜なエプロンをかけたルナが、統魔を発見するなり、元より明るかった表情をさらに輝かせた。駆け寄り、全力で抱きつく。統魔が危うく転倒しそうになるほどの勢いで、幸多が慌てて支えなければならなかった。
それが、幸多には微笑ましい。
「おー、熱烈だー」
「なんだよ、その反応」
「いや、前々から思ってたんだけどさ、ルナさんって統魔のこと好きすぎるなって」
「ルナだけにね!」
「えーと……」
「いわんこっちゃない」
ルナの気迫の前に圧倒され始めた幸多を見て、統魔がぼやいた。
「ふふ」
奏恵にとっては、そんな子供たちのやりとりこそが幸福であり、だからこそ、朝食の準備にも力が入っていた。
年が明けた。
昨年は、激動の一年だったし、奏恵としても心配と不安の連続だった。よくもまあ乗り切れたものだと我ながら感心するし、こうして息子たちが揃って新年を迎えることができたのは、幸運以外のなにものでもないのではないかと思うのだ。
何度、心臓が止まりそうになったか。
何度、眼の前が真っ暗になったか。
思い出すだけで、胸が張り裂けそうになる。
けれども、無事なふたりの我が子を目にすれば、そうした事実は消えて失せる。圧倒的な現実の前には、過去の出来事など力を持たない。
そして、故にこそ、奏恵は腕によりをかけた料理を振る舞うのだ。
ふたりは、導士だ。
幸多と統魔と一緒に過ごせる時間は、これが最後かもしれない。
毎度毎度、そう考えなければならなかったし、覚悟しなければならなかった。
我が子を戦団に送り込むということは、つまり、そういうことだ。
伊佐那家本邸がこれほどまでの賑わいを見せるのは、そうあることではない。
上新田憲弘は、感慨深く、事の次第を見守っていた。もちろん、使用人としての務めを果たしながら、だ。
伊佐那家は、魔法史そのものといっても過言ではない歴史を誇る。始祖魔導師・御昴直次の高弟・伊佐那美咲を祖とする魔法士の家系であり、歴代の当主は皆、優秀な魔法士だった。
伊佐那なくして現代魔法史は存在し得ない、とまでいわれるほどだ。
当主・伊佐那麒麟は、そんな伊佐那家の中でも末席も末席に並んでいた人物なのだが、地上奪還作戦における功績と、地上奪還部隊のネノクニからの離反に伴い、地上における伊佐那家の当主となっった。
戦団は、地上に央都を中心とする新たな歴史を紡ぎ始めたが、その根拠のひとつとして、伊佐那の名を用いたのである。伊佐那から連綿と受け継がれてきた魔法士の血脈、その新たなる総本山として、戦団が存在するのだ、と。
そうして伊佐那麒麟は、伊佐那家の当主となったものの、血筋を重視せず、むしろ伊佐那とまったく関わりのないものたちを家に迎え入れていった。
義正、美那兎、義流、、美琴、美由理、義一。
このうち、義一だけが麒麟と深い関わりを持ち、故に次期当主候補の筆頭とされている。
さらについ先日、伊佐那家に加わったのが、一二三だ。若き日の神木神威によく似た容姿を持つ少年は、魔法の基礎すら知らなかったというが、何故、伊佐那家に加わることになったのか、上新田を始めとする使用人たちは知らない。
伊佐那家が一堂に会しているという事実だけで感動しているのだから、そんな些細なことはどうでもいいのだ。
「こうして、皆さんが無事に一年を過ごし、新年を迎えることができたのは、本当に喜ばしいことです」
麒麟は、食卓を囲む我が子たちを順々に見回した。伊佐那家本邸の広々とした一室に勢揃いした家族。我が子たち。それぞれの表情に陰がないか、なにか問題や心配でも抱えていないか、と、注視する。血は繋がっていなくとも、麒麟が心血を注いで育ててきた子供たちだ。全員を等しく愛しているし、皆に幸せになって欲しいと心の底から思っている。
思っているだけでは駄目だということも、理解しているのだが。
こんな世界だ。
だれもが等しく幸せになれるわけがない。
「昨年は、まさに激動でしたからな」
義正が、大いに頷く。彼が伊佐那家に引き取られたのは、魔暦二百年のことだ。幻魔災害によって両親を失った彼は、孤児院で過ごしていたところを麒麟にその才能を見込まれ、養子となった。
ほかの兄弟にもいえることだが、伊佐那家の一員になるということは、人生が激変するということであり、世界が変わるといっても過言ではない出来事だった。
彼がそうだ。
そして彼は、伊佐那家の人間になるということで、それまでの名を捨て、伊佐那に相応しい義正という名を名乗ることとした。
麒麟は、人類の英雄である。
だれもが憧れ、だれもが畏れ、だれもが敬う、偉大なる導士。
そんな英雄に見込まれ、家族になったというのであれば、麒麟の力になりたいと望むのが人情というものではないか。
義正は、そう考えていたし、だからこそ名を改め、伊佐那家の一員として相応しい人間であろうとした。彼がいま戦団財務局の副局長を務めているのも、そうした決意と覚悟の成果といっていい。そして、戦団が資金面で困難に直面していないのは、彼を始めとする財務局の導士たちが優秀であるからにほかならない。
「本当に、大変でしたよ-」
とは、美那兎。
魔暦二百一年に伊佐那家に迎えられた彼女は、義正に続き、伊佐那家らしい名に改めている。その考えの根本にあるのは、義正と同じだ。自分を孤児院から拾い上げてくれた麒麟への恩返しである。
そんな美那兎は、情報局魔法犯罪対策部の部長だ。徹底した管理社会であるとはいえ、魔法社会だ。だれもが呼吸をするように魔法を使える以上、罪の軽重にかかわらず、魔法が関与することばかりだった。故に、魔法犯罪対策部が多忙を極めるのは、必然といえる。
「まったくもって同感だね」
「異論はありません」
義流がいつものように飄々《ひょうひょう》とした態度で同意すれば、美琴も大きく息を吐いた。義流は二百二年、美琴は二百三年に、それぞれ、伊佐那家の一員となった。そして、ふたりとも、兄と姉に倣い、名を変えている。麒麟の養子になるということは、伊佐那の家名を背負うということだ。想像を絶する覚悟が必要だということくらい、子供でもわかる。
ともかく、だ。
麒麟は、義正を家族としてから、毎年のように家族を増やしていたのである。それが、結婚しない、子を成さないと決意した結果生じた心に空いた隙間を埋めるような行いだということは、麒麟も密かに認めるところだった。
それから少し間を置いて、美由理が伊佐那家に迎えられた。
魔暦二百六年のことである。
そのときのことを、美由理は、いまも鮮明に覚えている。
突如、目の前に麒麟の姿があって、その神々《こうごう》しさに驚いて声を上げたのだ。麒麟が驚くほうが当然だというのに――。
「一番大変だったのは、美由理ちゃんだろうけど」
「いえ、義一でしょう」
美由理は、義流の発言を受けて、義一に話題を向けた。
義一が伊佐那家に迎えられたのは、魔暦二百十七年の八月十二日。忘れもしない。光都事変が起きた、ちょうどその日だったのだ。
央都全体が震撼したあの大事件の日、義一は、運命の転機を迎えたのである。
「え?」
義一は、しかし、美由理がなぜ自分に話題を振ったのかがわからず、困惑するしかなかった。