第千百八十八話 この一年(十四)
「隊長、ひとつ、うかがってもよろしいですか?」
「なんでしょう?」
ひとり思索に耽っていた真が反応したのは、布津吉行が妙に畏まって話しかけてきたからだ。
現在、草薙小隊は、大境界防壁九番拠点に駐留し、防壁警戒任務についている。防壁警戒任務とは、大境界防壁の歩廊や胸壁、あるいは付近の地上から、周囲を警戒することである。
そして真たちは、東側の歩廊にあって、夕焼けに照らされた空白地帯を見渡していた。
遥か遠方まで続く空白地帯の波打った大地は、ただでさえ赤黒いのに、夕日を浴びることで赤々と燃え上がっているようですらあった。死と血と、そして炎。終末の風景がそこにあるのだ。
その中にあって、無数に林立する結晶樹が陽光を跳ね返し、目に痛いくらいに眩く輝いている光景は、違和感を覚えさせるかのようだ。
幻魔の姿は、見当たらない。
少なくとも、九番拠点の周辺には、だが。
「隊長にとって、この一年はどんな年でした?」
「……はあ」
「なんすか、その返事」
「まるで興味のなさそうな」
「こら、ふたりとも、隊長に迷惑をかけない」
「いやだって、暇でしょ」
「いまのところ幻魔のげの字も見当たらないからな。暇を持て余すのもしょうがない」
「それはそうだけれど……」
村雨紗耶は、吉行と羽張四郎の言い分を多少なりとも理解できるから、なんともいえなかった。空白地帯に幻魔が闊歩する事自体、そうあることではないのだ。ましてや、野良の幻魔が、大境界防壁を攻撃してくることなど、考えられない。
大境界防壁が完成して今日に至るまで、一度もなかったのだ。
衛星拠点すら、野良幻魔に攻撃されたことがなかった。
所詮、野良は野良だ。統制が取れているわけでもなければ、潤沢な戦力があるわけでもない。衛星拠点や大境界防壁に籠もっているのが人間の集団だとしても、戦力差を考えれば、攻撃するべきではない。
つまり、野良幻魔であっても、その程度の知能は持っているということだが。
警戒任務でもっとも注意するべきは、野良ではなく、〈殻〉の動向だ。〈殻〉に属する幻魔は、軍隊化していると見てよく、統制が取られており、組織的に行動する。妖級以上の幻魔が指揮官として兵隊を率いる様は、幾度となく見られている。
つまり、〈殻〉から幻魔の群れが飛び出してきて、その矛先が大境界防壁に向けられている場合、大きな戦いに発展する可能性が高いということだ。
そして、近隣の〈殻〉が総力を上げて大境界防壁を攻撃してきたのであれば、戦団も即時即刻戦力を集中させなければ、大惨事にもなりかねない。
故に、〈殻〉の動向を注視しなければならないのだが、それに関しては、ユグドラシル・システムの完成と、レイライン・ネットワークの拡充、量産された新型ヤタガラスの巡回によって、どうとでもなっているのが現状だった。
故に、大境界防壁の警戒任務に割く人員は、限りなく少なくなっており、その上で暇を持て余している。
「で、どうなんです? 隊長」
「おれたちは、隊長の部下になったことが今年最大の出来事だと思いますが」
「そうなんです?」
「まあ、そうっすね。隊長が隊長になってくれたおかげで、昇進街道驀進中ですし。なあ、紗耶」
「そこで同意を求められると、まるでわたしまで昇進目的で小隊を探していたみたいじゃない」
「違うのか?」
「違います」
「……ふふ」
真は、部下たちがいつものようにじゃれ合う様を見て、小さく笑った。ちょっとした言い合い、小突き合いが、小気味よく、心地よいのだ。
草薙小隊を結成して三ヶ月余り。隊員たちとこれほどまでに上手くやれるとは、結成当初、想像もしていなかった。
自分が人の上に立てるような人間ではないことは、最初から明らかだったというのもあるのかもしれない。自分を上に置くのではなく、下に置くことに徹したのだ。隊員たちの話に耳を貸し、自分の意見よりも隊員たちの考えをこそ、尊重した。そうすることで、草薙小隊は、確実にひとつになっていった。
そんな気がする。
そして、隊員たちが草薙小隊を気に入ってくれていることが、素直に嬉しかった。
「隊長は、どうなんです? この一年、一番印象に残っている出来事は?」
「……幸多くん、かな」
「ああ」
「隊長の大親友といっても過言じゃないですもんね」
「さすがに過言ですよ」
真は、紗耶の発言に笑うしかなかった。
真が事あるごとに幸多の話題を出すこともあり、隊員たちには、真と幸多が親友なのではないかと考えているらしかった。それはそれで悪くないし、嬉しいことではあるのだが、しかし、だ。
現実問題として、真は幸多と親友ではない。
友人ではあっても、そこまで深い関係ではないのだ。
そしてこの距離は、そう簡単に縮まることはないのではないか。
別の軍団に所属し、それぞれが小隊を率いる立場である以上、そうそう任務を同じくすることもなければ、暇なときに話し合う機会も得られない。あって、通話や文章のやりとりをするくらいだ。
もちろん、そのことで不満はない。
大切なのは、幸多への想いだ。
幸多によって救われ、自分というのものを見つめ直すことができたという事実。草薙真という人間が息を吹き返したということを忘れさえしなければ、それでいい。
それだけで、十分だ。
「よお、暇そうだな」
「別に暇じゃないけど」
「暇なのはそっちじゃない?」
「……悪いかよ」
「悪いなんて一言もいってないでしょーが」
「そうそう、導士が暇なのは良いことよ。平和ってことだもの」
「平和……ねえ」
菖蒲坂隆司が、思わず嘆息したのは、金田姉妹と言い合ったところでなんの意味もないことを理解しているからだったし、口論に発展すれば最後、言い負かされるのは自分だと知っているからだ。
朝子にせよ、友美にせよ、隆司とは相性が悪い。どんな些細なことであれ、勝った試しがない。
戦団本部総合訓練所の休憩所。
隆司も金田姉妹も、互いに自分の所属する小隊で訓練を終えたところであり、いい汗を流したという感覚があった。実際には汗ひとつかいていないのだが、幻想体でもって全力を駆使した感覚だけは、確かに残っている。そして、その感覚と経験が意識に還元され、反映されるからこそ、幻想訓練は効率的なのだ。
心身に負荷をかけない、魔法訓練法。
「なによ?」
「平和なのは嫌ってこと?」
「んなこと、いってないだろ。平和が一番。だれだってそう思ってる。おれだってそうさ。でもまあ、いまを平和だなんて思えるわけないだろってこと」
「……それは、そうだけど」
「まあ、ね」
朝子と友美は、顔を見合わせ、それから隆司を見た。対抗戦決勝大会を経て戦団に入った同期であり、夏合宿で苦楽をともにした間柄だ。故に、互いのことを気にしているところがあった。
三人が戦団に入って、半年ほど。
三人の置かれる状況というのは、然程変わっていない。階級こそ、多少なりとも上がったものの、だからといって劇的になにかが変わるということはないのだ。そして、そのことに不満を持っているはずもない。
戦団に入り、戦闘部の導士になった。導士としての役目を全うすることに常に全力で、余計なことを考えているような余裕はなかった。そうでなければ、生き残れなかったかもしれない。
「でもさ。この半年、よくやったと思わない?」
「そうよ、よくやれたわよ、わたしたち」
「よくやった、よくやれた、か」
ふたりの意見を聞ききながら、隆司は、休憩所内に浮かぶ幻板を眺めた。央都四市の各地で行われている幻想訓練の様子が映し出されており、導士たちが日夜自分たちの限界に挑戦している様がはっきりと見て取れる。
自分よりも遥かに強力な導士たちの戦いぶりを見れば、意欲も湧き上がるというものだ。
「そうだな。おれにしては、よくやったと思うよ」
それが、隆司の結論だ。
一般人に毛が生えた程度の魔法士に過ぎなかった自分が、こうして戦闘部の一員として使命を全うすることができている。
その事実を噛みしめるのだ。
なにも、皆代幸多や草薙真のようになる必要はない。
自分にできることに全力を尽くす――それだけで、十分ではないか。