第千百八十六話 この一年(十二)
「この一年について、ね」
統魔が思わずあくびを漏らしたのは、周辺警戒任務を終えたばかりというのもあるだろうが、あまり興味の引かれる話題でもなかったからだ。
今日は、十二月三十一日。大晦日。一年を振り返り、語り合うのにこれ以上相応しい日はない、といえるだろう。
だから、香織は、そのような話題を提示した。この場に皆代小隊が勢揃いしているからでもあるが。
「一年の締めくくりといえば、振り返りでしょ」
香織は、当然のような顔をして、皆代小隊の面々を見回した。
大境界防壁拠点。第三衛星拠点に程近いその拠点は、例によって例の如く、第三防壁拠点とも呼ばれている。大境界防壁が作られてからというもの、衛星任務を行う際の活動拠点は、衛星拠点ではなく、防壁拠点へと移されていた。
元来、衛星拠点は、人類生存圏のもっとも外側に築かれた、まさに最終防衛線の要所とでもいうべき代物だった。故に衛星任務の活動拠点たりえたのだが、大境界防壁がその役割を担うようになれば、価値も薄くなるというものだ。
もっとも、大境界防壁の内側に横たわる空白地帯には、まだまだ数多くの幻魔が潜んでいるということもあり、必ずしも役目を終えたというわけではない。少数ながらも導士が配置され、巡回や防衛といった任務を行っている。
ともかく、大境界防壁である。
いまや衛星任務の主要拠点となった防壁拠点の一角に、皆代小隊の六人はいた。
「そうかもね」
「ううむ」
「なによう、れんれん。難しい顔してさあ」
「隊長が興味なさそうだと思ってな」
「そうなの? たいちょ」
「……おれのことはどうでもいいだろ。話せよ、この一年の振り返りって奴をさ。聞くのは、嫌いじゃない」
「たいちょは隊の中心で主役なんだから、どうでもいいことないんだけど……まあ、いっか」
香織は、統魔の表情がこの話題に関する興味の薄さを物語っていることを悟ると、ほかの四人に意識を向けた。剣、枝連、字、ルナは、統魔とは違って、多少なりとも興味を持ってくれている。
この一年、何事もなく、平凡に過ごしたものは、一人としていない。
「この一年を振り返ってみるとさ。色々ありすぎたよね」
「ええ、本当に」
本当に色々あった、と、字は、実感を込めて頷く。
香織が、今年にあった様々な出来事を皆で振り返りたいと思うのもわからなくはないくらいに、様々な出来事があった。まさに激動の一年だ。あまりにも事件が多すぎて、なにから取り上げればいいのか困るほどだった。
「まずぼくが入団したのが今年だからね」
「たいちょと同い年なのにねー」
「そりゃ隊長が例外なだけだよ」
「わかってるって。たかみーが入団して、それですぐに隊に合流したの、嬉しかったなー」
「魔導院時代の仲間だものな」
「そういえば、れんれんの同期に親友とかっていないの?」
「いたさ」
そういって、枝連が少しばかり遠い目をしたのを統魔は見逃さなかった。枝連の生真面目そうな、いや、生真面目そのものの顔が、いつになく険しくなっている。感傷が、過っていた。
「けどな。親友と呼べる連中は皆、死んでしまった。この一年の間にな」
「……そうなんだ」
「だが、気にするな。戦団に入ったなら、導士になったのなら、だれもが覚悟することだ。みんなだってそうだろう。命を賭す覚悟と決意をもって、導士になったはずだ。違うか?」
「違わないよ」
「ああ、そうだな。枝連のいうとおりだ。おれたちは、いついかなるときも、命を差し出す覚悟がある」
導士とはそういうものだ。
だれもが崇高な決意と覚悟を胸に抱き、杖を掲げ、道を進む。
人類を導くものとして。
幻魔を滅ぼすものとして。
その道程で命を落とす可能性など、最初から織り込み済みのことなのだ。
だれかが戦死したからといって、嘆き悲しんでいる暇も余裕もない。
死は、常に傍らにあって、こちらの様子を窺っているのだ。
統魔は、部下たちの視線が自分に集中するのを感じ、目を細めた。特にルナだ。ルナの大きな目が、まっすぐにこちらを見つめていた。
「統魔は、死んじゃ駄目だよ」
「そうだよ、たいちょ。たいちょは、いまや戦団の要といっても過言じゃないんだからさ」
「過言だろ」
「過言じゃないってば。考えてみてよ」
香織は、苦笑する統魔を見つめながら、いった。
「隊長が星象現界に目覚めたのも今年だったけど、その星象現界が規格外にも程があって、星将にも引けを取らないどころか、最高峰といっても問題ないくらいでしょー。だれもが隊長を当てにしてるし、今後、戦略戦術の主軸になるかもしれないって話もあるよ」
「うちには、ルナちゃんもいるしね」
「そうそう、ルナっちとたいちょ、ふたりの星象現界が皆代小隊の価値を限りなく高めてるんだからさ、もっと自信を持って欲しいかも」
「自信はあるさ。けど」
「過度な謙遜は嫌味だぞ」
「それ、草薙真にもいわれたな」
「たいちょは、自己肯定感が低いもんね。もっと尊大に振る舞ってくれてもいいのにさ」
「……そうなのか?」
「そうだよ」
「そうですよ」
「そうだね」
自分以外の全員が香織の意見に同調する様を見て、統魔は、なんともいえない顔になった。自分以外には、そう映るものなのか、と、受け止める。
統魔自身は、そんな風には思っていない。己の能力に自信はあるし、魔法技量が並外れたものだと確信してもいる。規格外の星象現界が、戦団の戦略そのものに影響を与えかねないほどのものだということも、認識しているつもりだ。
だが。
「……こんなので、ふんぞり返ってもな」
「こんなのって、随分と控えめな評価だな」
「そうだよ、統魔くん。統魔くんの力、とんでもないんだよ」
「それは、わかってる。でもな」
統魔の脳裏を過るのは、大境界防壁防衛戦における自分の不様な姿だ。アーリマンを名乗る悪魔に敗北し、命を落としかけた。
『鬼級は、星将でも三人以上で戦わなければならない相手。きみひとりでどうにかできる相手ではないということを覚えておきたまえ』
戦後、麒麟寺蒼秀が統魔に告げた言葉は、いまも鮮明に思い出せた。そんな相手なのだから、統魔が敗れ去ったとしてもなんら不思議ではないのだし、むしろ生き残れたことを喜ぶべきだ、と、師はいう。
しかし、と、統魔は、拳を握り締めてしまう。
自分にもっと力があれば。
鬼級幻魔とも対等以上に戦えるだけの力があれば。
(高望みにも程があるな)
内心苦笑し、頭を振る。
「隊長?」
「ああ、いや、こっちの話だ。おれの話はここまでとして、おまえはどうなんだ? この一年、激動にも程があったんじゃないか?」
そういって統魔が話題を振ったのは、ルナである。
「うん、激動だった」
ルナは、統魔の言葉を反芻するようにして、いった。
「父さんと母さんを失ってさ。そしたら、なんだかわけがわからなくなって、気がついたら統魔たちに囲まれてたんだよね」
それが、始まり。
彼女にとっての、すべての始まり。
ルナが自分の頭の中を覗き込めば、そのときの風景がすぐに浮かび上がってきた。本荘家の一室。魔法で腐敗を抑制された両親の亡骸。無意識に放たれる己の魔法。精神支配。戦団の導士たち。戦団本部。光都跡地。天使。そして、悪魔。
統魔。
「――色々あってさ、こうして皆代小隊の一員になれたのは、喜ぶべきことなのかな。ううん、喜ぶべきことだよね」
「喜ぶべきなのは、ルナっちが仲間になってくれたことだよー」
香織がルナに抱きつき、頬ずりをすれば、ルナの表情がわずかに弛んだ。柔らかくて、暖かくて、幸せな気持ちになる。
「だったら、良かったな。わたしも、みんなと一緒に戦えて、本当に良かった。本当に楽しかったし、幸せだった。わたしが小隊にいたのはほんの四ヶ月だけど、それでも、さ」
(ん?)
統魔は、ルナの発言に違和感を覚えた。なにか、言い方が妙だ。まるで今生の別れかのような、そんな言葉遣い。
「時間の長さとか短さとか、関係ないない。ルナっちが小隊に入ってからのほうが、激動の連続だったんだから」
「そうそう、それまでの皆代小隊なんて、大きな任務なんてなかったし、大規模幻魔災害なんて、今年に入ってから頻発するようになったんだからさ」
「それは良いことでもなんでもないがな」
枝連が厳めしい顔つきで告げれば、香織と剣が顔を見合わせた。
統魔は、その間、ルナの顔だけを見ていた。




