第千百八十五話 この一年(十一)
「隊長はいねえぞ」
「え、そうなの?」
一二三が天を仰がんばかりに驚く様を見て、真白は、なんともいえない顔をした。
幸多を除く真星小隊三名での訓練の最中のことだった。突如、幻想空間への接触があり、その相手が一二三だと判明したため、三人は即断即決で受け入れることにしたのだ。一二三は、まだまだ駆け出しの魔法士だが、近い将来、真星小隊の一員になることが決まっている。そして、入隊の暁には、小隊の最高戦力になること間違いないというとんでもない人材なのだ。
訓練に参加したいというのであれば、拒む理由がない。
だから、合流を許可したのだが、幻想空間上に現れた一二三は、きょろきょろと周囲を見回したから、真白が告げたのである。
当然だが、一二三は、水穂基地にはいるわけではない。日夜、戦団本部で魔法の基礎を学んでる最中であり、遠出などできるわけもなかった。
しかし、幻想空間ならば、距離など関係ない。
つまり、一二三は、戦団本部総合訓練所からレイライン・ネットワークを介して、水穂基地の幻想空間へと入り込んでいるというわけだ。
幻想訓練の利点のひとつが、それだ。
つまり、まったく別の場所にいる導士と手合わせしたり、合同で訓練することができるということであり、それによって戦闘部全体の戦闘能力を底上げしているのは間違いなかった。
「隊長は、軍団長に扱かれているからね」
「ここのところ、ずっとだよ。暇さえあれば猛特訓の毎日なんだ。ぼくたちも負けていられないから、大晦日なんて関係なしに訓練してるんだけど……」
「そっか。幸多、いないんだ。残念にも程があるけれど、まあ……仕方ないかな」
「おいおい、おれらじゃ不満だってのか?」
「うん」
「はっきりいうなあ、おい」
真白が苦笑すると、一二三は小首を傾げ、義一を見た。
幻想空間は、一二三の見たこともない地形だった。おそらく、空白地帯の何処かを模した戦場なのだろう。眼下には、底の見えない大峡谷が横たわっていて、異形の怪物が大口を開いているようですらあった。魔界。あまりにも濃度の高すぎる魔素は、かつてこの世界に存在したあらゆる生命を死へと至らせたという。生き残ったのは、幻魔だけ。幻魔の幻魔による幻魔のための世界。故に魔界。
そんな魔界を再現した空間にあって、真白たちがなにをしていたのかといえば、幻魔を相手に大立ち回りを演じていたのだ。そこに一二三からの連絡があったから、一度、訓練を取り止めた。
「幸多がいないと張り合いがないもの。だってそうでしょ。ぼくにとって幸多がすべてなんだ。幸多がいないと始まらないし、幸多のいない世界なんて退屈で仕方がないよ」
「そんなんでよくもまあ魔法の勉強が続けられるな」
「幸多を想えばこそだよ」
一二三がさりげなく、しかし決然たる口調でいった。真白は黒乃と顔を見合わせる。
「一刻も早く真星小隊に合流して、幸多の力になるためなら、魔法の勉強くらいなんてことないよ。逢えない時間が、ぼくを強くするんだ。見てよ」
いうが早いか、一二三の全身に魔力が満ちていく様子が義一の目に明らかだった。真眼が、魔素の充溢を視覚的に把握させる。そしてその魔力がさらに凝縮し、昇華現象を起こす様すらも視覚的に捉えることができるのだ。
故に、義一は、自分と一二三の才能の差をより深く実感することになるのだが、それは、構わない。
(大事なのは、個々人の能力ではなく、戦団全体の戦力の底上げなんだ)
そして、義一の役割は、戦力ではない。
もちろん、優秀な魔法士となり、戦力の一端を担えるようになれればそれに越したことはないのだが、真眼の使い手は、それ以上に重要な役割を持っているのだ。
真眼による殻石の掌握。
そのためにこそ、義一は誕生した。
「星竜」
一二三が星象現界を発動すると、全身から満ち溢れた星神力がまばゆい光を放ちながら収束し、巨大な竜が出現する。その威圧感は凄まじく、特に義一は、真眼で見ているが故にひたすらに圧倒された。
「どう?」
「どうって、変わんねーけど」
「うん……凄いんだけどね……」
「反応、うっすいなあ。前よりも持続時間が伸びたんだけどなー」
「いやいや、そんなの、ひと目見てわかるかっての!」
「冗談だってば」
真白が声を張り上げれば、一二三が大笑いする。
その光景を見守りながら、義一は、星竜に満ちる星神力の膨大さに感じ入るのだ。化身具象型の星象現界の産物たる星霊は、その全身が星神力の塊だ。莫大にして破壊的なエネルギーの塊。見ているだけで、気圧される。
この一年、自分はなにをしてきたのか。なにかひとつでも成し遂げられただろうか。脳裏を過る想いは、数多。数えきれず、故に形にもならない。朧気で、無惨にも崩れていく。幾多の戦いがあり、死線を潜り抜けてきたという実感もある。この異能が役立ったことは数知れず、殻石の破壊に貢献したことは二度もある。
だが、それだけだ。
それでは、足りない。
『気にしすぎじゃない?』
(そう……かもね)
義一は、脳内に響く美零の声に応えると、星竜が動き出す様を見た。翼が広げられ、星の形を作る。
真白が仕方なしに訓練を再開させると、遠巻きに真星小隊を取り囲んでいた幻魔たちが動き出した。獣級と妖級の混成軍である。極めて実戦的な訓練であり、故に真白たちも苦戦を強いられていたのだが、一二三の登場が戦況を激変させたのはいうまでもない。
星竜の角冠から放たれる無数の光条が、虚空を切り裂くようにして幻魔の軍勢を薙ぎ払っていく。
圧倒的としかいいようのない光景を見せつけられれば、真白も黒乃も真顔にならざるを得ない。
一二三は、ふたりが辿り着けない境地にいる。
いずれ星象現界に到達したいと思っていても、だれもがその領域に足を踏み込めるわけではないという絶対的な現実を前にすれば、言葉を紡ぐことはできない。だれもが望めば手に入る力ではないのだ。修練と研鑽の果て、それでも辿り着けるかわからない、魔法の極致。
一二三は、才能だけでそこに踏み入った。
才能の差を見せつけられれば見せつけられるほど、九十九兄弟は考え込むのだ。
自分たちは、いったい何者なのか、と。
この一年、なにをしてきたのか。なにか得られたのか。なにか、変化はあったのか。
『だからいったんだ、さっさと諦めて帰れってさ』
『そうよ。あなたたちは失敗作で不良品で役立たずの未完成品なんだから。妖精の城にでも閉じ籠もっていなさいな』
真白と黒乃の頭の中を巡るのは、同じ九月機関のふたりの導士の言葉だ。八十八紫と九尾黄緑。その冷ややかなまなざし、凍てついた言葉は、いつもふたりの意識を攻め立てた。
第八軍団に入った当初、入隊先で問題を起こしては脱隊、別の小隊への移籍を繰り返していた九十九兄弟には、否定しようのない言葉だった。
幸多と出逢い、ようやく自分たちにとって心地の良い場所を見つけることができたのだが、それまでは問題児として処分されたとしてもおかしくない言動ばかりだった。
だが、いまは違う。
真星小隊の一員として、幸多の部下として任務につけることがなによりも嬉しかったし、幸多のためならばいままで以上に力を発揮することができた。
数多くの任務をこなし、大きな戦いでも結果を残した。
もう失敗作とはいわせない。
そう息巻いていたのも束の間、より大きな才能が開花する瞬間を目の当たりにしてしまった。
獣級は無論、妖級すらも容易く撃破していく星竜の力強さたるや、真星小隊にないものだった。
一二三が小隊に加われば、自分たちの立場など消し飛ぶのではないか。
いや、幸多がそんなことを考えるはずもなければ、戦力が充実することを喜ぶべきなのだろうが、しかし――。
真白は、星竜が幻魔を軽々と殲滅する光景を見届けながら、防型魔法を展開した。黒乃が真白の意図を察し、攻型魔法の律像を編んでいく。複雑にして破壊的な律像。黒乃の最大最高威力の攻型魔法。
そんな九十九兄弟の様子を見て、義一もまた、一二三に向き合った。
一二三は、義一たちの反応にきょとんとしたが、黒乃と義一の律像が自分に向けられた攻型魔法であることを理解した。
これは、挑戦だ。
星象現界の使い手への。
一二三への。




