第千百八十四話 この一年(十)
幸多にとってこの一年は、まさに激動そのものだった。
人生が、変わった。
それこそ、根底からだ。
なんといっても、戦団に入り、導士になったのだ。それも戦闘部に所属できたのだ。
まさに夢だ。
夢が現実になった。
完全無能者たるこの自分が戦闘部に入れたことそれ自体が奇跡といっても過言ではなく、だからこそ、導士としての責務に忠実たろうとしてきた。その決意と覚悟は、いまも変わらない。
だれよりも導士で在り続けたいと思っていたし、そのために命を燃やし尽くさなければならないのだとすれば、そうしよう。
それくらいの意志がなければ、導士など務まらない。
ましてや、魔法不能者なのだ。
魔法士たちとは、立場が違う。
窮極幻想計画、そして、F型兵装のおかげでどうにか幻魔とやり合えているだけで、これがなければ、幸多は戦力になりえなかった。
足手纏いどころの騒ぎではなかったはずだ。
『魔法士だって、導衣や法機に頼っているわ。だから、きみがF型兵装を頼みにすることになんの問題もないのよ。人間は、これまでずっとそうしてきた。自分の足りない部分を道具で補うのは、人間にとって当たり前の行いなのよ』
だから、胸を張れば良い。
幸多の悩みを察したのであろうイリアは、そのようにいった。F型兵装は、明らかに導衣や法機とは役割が違ったが、しかし、開発者であるイリアの考えを聞けば、幸多の心が多少なりとも軽くなったのは間違いない。
イリアを始めとする技術局第四開発室のひとたちが、幸多の心の支えになったのだ。
そして、数多の戦いがあった。
数え切れないほどの幻魔と戦い、撃破してきたのだ。F型兵装の性能を存分に発揮して、戦い抜いてこられた。
その戦果が、輝光級二位という階級に現れている。
始まりは、灯光級三位。
すべての導士が、そこから始まる。いまや星将として燦然と輝く軍団長たちも、戦団に入った当初は、灯光級三位だった。そこから星光級へと到達するまでにどれほどの年月を費やし、どれだけの戦果を上げたのか。
星将にまで上り詰めることの難しさは、いまの幸多ならば身に染みて理解できていた。
幸多が輝光級二位にまで昇格できたのは、自分自身の力というよりは、人類を取り巻く状況によるところが大きい。
そんな、幸多の脳裏を過る戦いの記憶が、幻想空間に反映され、極めて現実的な映像となって圭悟たちにも体感させていく。
大社山頂野外音楽堂で起きたバアル・ゼブルとの戦い、虚空事変を皮切りに、天輪スキャンダル、機械事変、スコル事件、マモン事変、龍宮戦役、境界防壁防衛戦、オトロシャ襲来――様々な、幸多が体験した戦闘模様が繰り広げられれば、圭悟たちは、圧倒され、息を呑んだ。
それらの戦いに関する概要は、戦団の公開情報や報道で知っているが、しかし、幸多の記憶に基づいた映像のすべてが、圭悟たち一般市民には知りようのないものばかりであり、だからこそ、呼吸すらままならなくなるのだ。
幸多の実体験であろう死闘の数々。
幸多が幾多の死線を潜り抜けてきた若き勇者だということは、圭悟たちも頭では理解していることなのだが、再現映像とはいえ、そうした激戦を実際に目の当たりにすれば、衝撃も受けようというものだろう。
同時に、幸多の立場が心配になるのは、圭悟たちのひとの良さなのか、どうか。
「い、いいのか? こんなの見せて。おれたちはただの市民だぞ?」
「そ、そうよ、皆代くん。このことが知られたりしたら、問題になったりするんじゃ……」
「まあ、そうだね」
幸多は、頭上に浮かぶオトロシャの異形を見上げながら、圭悟と真弥の怯えた声に頷いた。それは、そうだろう。公開情報ならばともかく、戦団が非公開にしている情報を一般市民に教えることは、戦団規則が許さない。露見すれば、それなりの責任を問われること、間違いなかった。
が、そんなことは、どうでもいいのだ。
導士の中の導士たろうというのであれば、戦団の掟こそ最優先するべきなのだろうが、しかし、総長閣下が圭悟たちとの触れ合い、語り合いに時間を割くべきと考えてくれているというのであれば、これくらいは構わないはずだ。
でなければ、わざわざ水穂基地から幸多を召喚したりはしないだろう。
(これくらい……か)
とんでもない巨大さと異形さを誇るオトロシャの姿を幻想空間から掻き消し、圭悟たちに向き直ったときには、周囲の風景も様変わりしていた。水穂市の真っ只中から、海上運動競技場へ。
「問題は大ありだろうけど、まあ、みんなが内緒にしてくれていたら大丈夫だよ。いまの映像は、外からは見えないはずだから」
「な、内緒?」
「そう、秘密。ぼくたちだけの秘密だよ」
幸多は、そういって、圭悟たちに微笑んだ。
今年になって天燎高校で知り合ったばかりの、親友たち。一年に満たないどころか、実際の日数では数ヶ月に過ぎない付き合いだったが、しかし、幸多にとっては彼らほど自分の人生に影響を与えた友人はいなかった。
幸多の人生を変えたといっても過言ではないのではないか。
対抗戦部の一員として数ヶ月を戦い抜き、決勝大会で死力を尽くしてくれた仲間たち。この場にいるだれひとり欠けても勝利はなく、幸多が戦団に入ることはなかっただろう確信がある。
蘭や真弥、紗江子も、対抗戦部の重要な存在だ。三人が、足りない部分を補ってくれたからこそ、幸多たちは特訓に全力を注ぎ込むことができたのだし、大会で力を発揮できたのだ。
「秘密……」
「う、責任が重いな……」
「大丈夫。たとえこの場で見たことをいったって、だれも信じないと思うよ。だれがぼくの記憶を覗き見たなんて与太話、信じるのさ」
亨梧と怜治の反応に、幸多が優しくいった。実際、そうだろう、と思う。幸多が幻創機に干渉し、幻想空間を作り替えるような力を持っていることが知れ渡っているのであればともかく、そうでない以上、幸多の記憶を覗き見るなど不可能だと考えるはずだ。
戦団の技術力を持ってすれば、幸多の記憶を映像として抽出することなど造作もないのだが、そんなことを一般市民ができるはずもないし、一般市民相手にするわけもない。
よって、圭悟たちがうっかり口を滑らせたとしても、だれも信用しないはずだ。
少なくとも、戦団の関係者以外は、だが。
「まあ、気楽に考えていいよ。ぼくだって皆に責任を負って欲しいわけじゃないからね。別にこのことが露見して、ぼくが罪に問われたとしても、気にする必要はないんだ」
「それはさすがに気にするっての」
「そうですわ、皆代くん」
「そう?」
「うん、気にする」
「おれたちのせいだったら、な」
「いや……おれたちと無関係だったとしても、だ」
「みんな、優しいね」
幸多は、圭悟たちの思い遣りに感じ入り、目を細めた。頭上には、満天の星々があり、夜空を彩っている。対抗戦決勝大会、二日目の夜を再現した幻想空間だ。幸多たちは競技場の中心にあって、吹き抜ける夜風に包まれていた。夏の熱を帯び始めた夜の風。
いまや遠く、懐かしい記憶。
「そんなことはない」
「そうだぜ。おれたちが優しいなんていったら、それこそ、おまえのほうが優しいっての」
怜治と亨梧が困ったような顔で幸多を見ていた。ふたりにしてみれば、曽根伸也と関わり、彼を攻撃しようとした自分たちを、反省したからといってすぐさま許し、それ以来そのことでなにもいってこなかった幸多のほうが、何倍も、いや、何十倍も優しく思えるのだ。
その優しさがあるからこそ、導士として戦場に立てるのではないか。
そんな風にすら、思う。
幸多は、取り合わない。
「ぼくは、そうは思わないけどね」
幸多からすれば、自分を取り巻く友人たちのほうが余程優しいひとたちだと思うのだ。自分の我が儘に付き合い、対抗戦部を設立、三ヶ月もの間、毎日のように猛特訓していた日々は、それこそ優しさの塊ではないか。
彼らの優しさが、いまの幸多を形作っている。
だから幸多は、皆が大好きだった。