第千百八十一話 この一年(七)
「いいんですか? こんなことをして」
「構わん。おれが許可した」
「しかし……」
「おれは総長だぞ。つまり、戦団の法そのものだといっても過言ではない」
「さすがに過言では……」
「異論があるというのなら、おれより上の立場になることだな」
「そんなむちゃくちゃな」
などという、神威と側近らしき導士たちの会話は、いかにも恐ろしく聞こえ、圭悟たちは、どんな表情をすればいいのかわからなかった。
神威に促されるままについていっているのだが、それが正しいことなのかどうか、判断のしようがないのだ。
「いいのかな?」
「神威様を信じるしかねえだろ」
「そうよ、わたしたちになにができるのよ」
「そうですね。ここは、神威様に従うべきかと」
圭悟たちがこそこそと話し合う声は、当然ながら神威の耳に届いていたが、聞き流した。神威にしてみれば、圭悟たちの反応などどうでも良かったからだ。
大事なのは、彼らを幸多と対面させることだ。
今日は、大晦日。明日になれば、年が明ける。そして、年が明ければ、戦団は大忙しだ。幸多が友人たちと実際に逢って話し合える時間など、ほとんどないかもしれない。
(いや)
神威は、総合訓練所のどうにも無機的な外観を見つめながら、胸中で頭を振る。
(いつ、最後になってもおかしくはない)
そしてそれは、なにも幸多に限った話ではない。
だれしもが、そうだ。
戦団の導士、特に戦闘部の導士ならば、いつ、突如として命を落としたとしてもおかしくはない。星将ですら、そうだった。記憶に新しい城ノ宮日流子の死は、予期せぬものであり、戦団にとってとてつもない損失だった。
幸多は、今後、戦団の主力になるべき人材だ。
対悪魔戦略の要である彼は、同時に、〈殻〉制圧の主力になり得る存在だ。真星小隊に真眼の持ち主、伊佐那義一がいることも大きいが、戦力として申し分ないからだ。
つまり、幸多率いる真星小隊が、今後、困難な戦場に放り込まれること間違いないということだ。
だから、総合訓練所に向かっている。
幸多は、現在、第七軍団の任地である水穂基地にいるのだが、総合訓練所ならば、水穂基地で行われている幻想訓練も視聴することができる。水穂基地だけではない。出雲基地、大和基地、それ以外のすべての訓練施設の情報が集積しているのが、総合訓練所なのだ。
神威が先導して総合訓練所に足を踏み入れると、訓練所内に漂っていた空気が一変したのがわかった。訓練所の中は、大晦日の午後だというのに、非番の導士や任務を終えた導士たちでごった返しており、和気藹々《わきあいあい》とした雰囲気が漂っていたのだが、神威の姿が見えた瞬間、導士たちは何事かと騒然となったようだった。
一瞬にして空気が張り詰めるのを感じた神威は、内心苦笑しながらも、表情には出さなかった。受付を素通りして休憩所に向かえば、導士たちが道を開け、神威に向かって敬礼する。神威は、部下たちの対応を手で制し、いった。
「気を使わせたな」
「い、いいえ!? 滅相もありません! わたくしどもはこれから訓練ですので!」
神威たちに席を譲った導士は、緊張感の余り、がちがちに顔を強張らせながら、深々とお辞儀をし、休憩所から離れていった。部下らしき導士たちが、慌ててついていく。その様子を見れば、彼らが予定より早く休憩を切り上げたのは、火を見るより明らかだ。
「嫌がらせになってしまったか」
「当たり前でしょう。閣下は、そろそろ御自分の立場を弁えて頂きたい」
「そろそろ……な」
神威は、王子公伯の歯に衣着せぬ物言いに目を細めた。首輪部隊の務めを果たすことに全力を尽くす彼の有り様は、神威には眩しいくらいだったし、実に好ましい。
それから、圭悟たちを見る。総合訓練所内に足を踏み入れた事実への興奮と感動、そして多数の導士たちの視線に曝されていることへの緊張からか、六人の学生たちは、どうしたらいいものかと戸惑っているようだった。
「ここに座りたまえ」
神威は、自分に譲られた席を圭悟たちに示すと、彼らは明らかに困惑していた。が、首輪部隊の金ケ崎リリカと茶園場研介に促されると、互いの顔を見合わせたうえで、座っていった。息を呑むかのような学生たちの表情は、この休憩所の張り詰めた空気感に原因があるに違いない。
総合訓練所内の一角にある休憩所には、百席以上の座席がある。そのうちのいくつかを占有したところで、問題はない。そして、空中には無数の幻板が浮かんでいるのだが、それらには現在行われている訓練の中継映像が流されている。それら中継映像を見ながら談笑するのが、導士の楽しみのひとつだったりする。
たとえば、星将の訓練などは、滅多に見られるものではないから、星将が訓練所に入ったということが知れ渡れば、そのためだけに休憩所を訪れる導士も少なくない。星将の訓練となれば、見るだけで勉強になるものだ。
さて、座席に腰を下ろした圭悟たちは、なんともいえない居心地の悪さを感じずには居られなかった。周囲には、制服の導士が何十人もいて、全員が圭悟たちを奇異の目で見ている。どう考えても場違いな一般市民が紛れ込んでいるのだ。それも、神威の案内で、だ。
導士たちが好奇の眼差しを向けるのも当然だった。
(なんだか悪い気がしちゃうわね)
(そりゃあな)
(ぼくたち、完全に異物だもんね)
(戦団本部異物混入事件って感じだな)
(否定できませんね)
圭悟たちが恐縮しきりなのもわからなくはないが、神威は、まったく機にしていなかった。近くにあった端末を操作し、一番大きな幻板の中継映像を切り替える。番号を指定すれば、それだけで神威が望んだ通りの映像が出力された。
つまり、水穂基地で行われている幸多と美由理の訓練であり、幻板に表示されたのは、水穂市御名方山を模した幻想空間だった。晴れ渡る空の下、真冬よりも凄まじい冷気が渦巻いている様子が見て取れる。
美由理の氷魔法が、猛威を振るっている。
「皆代輝士は、いま、水穂市にいる」
「は、はあ……」
圭悟は、神威の発言に生返事を浮かべた。そんなことは、知りすぎるくらいに知っている。幸多が所属する第七軍団は水穂基地の防衛任務についており、日夜水穂市内を巡回したりして、任務をこなしているという話だった。幸多とは、日々、通話や文章でやり取りしているのだ。直接逢うことこそないものの、そうした交流が途切れることはない。
だから、幸多と直接逢えるというような神威の提案に心底喜んだのだが、どうやらそうではないらしい。
「これは水穂基地での訓練の様子だ。もちろん、幻想空間だが」
それもまた、当たり前の話だ。
現実世界で山の一角を氷漬けにするような訓練ができるはずもない。そんなことをすれば、一大事だ。環境問題として取り上げられるだけでなく、戦団のやり方そのものが問題視され、糾弾されかねない。
もちろん、それが幻魔災害への対応だった場合には、取り沙汰されることなどありえないのだが。
幻魔は、存在そのものが災害だ。ただ発生しただけで周囲に壊滅的な被害をもたらす怪物たち。それらを討伐するための組織である戦団は、災害よりもさらに強大な力を持たなければならない。
そのための訓練。
そのための幻想空間。
やがて、巨大な氷柱が林立し、一面氷漬けになった御名方山の斜面を爆走する幸多の姿が見えた。その姿は、遠目にはクニツイクサにも勝るとも劣らないほどの重武装であり、多数の火砲が上空に向かって弾丸をばら撒いていた。
「あれが二十二式機関砲・雷電……かな?」
「そうなのか?」
「たぶん……だけど」
「御名答。よく知っている。さすがは情報通だ」
「え、ええと……」
神威の言が素直な賞賛なのか、それとも皮肉なのか。蘭にはまるでわからず、どのような顔をすればいいものか困惑した。
「幸多くんに聞いただけです……」
「ふむ。情報漏洩か。皆代輝士は降格だな」
「ええ!?」
「冗談だよ」
神威は、そういうと、朗らかに笑った。圭悟たちは、顔を見合わせ、それから幻板に視線を戻す。神威のひととなりがまるでわからない。
雪煙を上げながら爆走する幸多は、上空を高速飛行する敵に向かって砲弾を乱射している。敵とは、もちろん、美由理だ。
そして、空を舞う星将の攻撃のほうが余程恐ろしく、凄絶であることはいうまでもない。
降り注ぐ氷塊の雨霰が幸多を飲み込んだかと思うと、山そのものを氷の牢に閉じ込めてしまったのだ。
「勝負あったな」