第千百七十九話 この一年(五)
「で……ネノクニ観光な」
「観光じゃないでしょ。確かにそういう側面もあったけどさ」
「観光、できなかったしね」
「そうなのよねえ。本当に残念。ああいう機会でもないと、皆で一緒に回ることなんてできないのに」
真弥が残念そうな顔をすれば、皆が一様に態度で同意を示した。
六人が昼食を終え、喫茶店を出ると、本部町の大通りはひとの波でごった返していた。年末も年末、大晦日だというのにこのひとの数だ。それこそ、央都中の人々がこの場所に集まっているのではないかと思うほどだが、実際のところはそうではあるまい。
年越しをどこで過ごすのか。
年の瀬が迫れば、だれもが頭を捻り、考えるものかも知れない。
一年の終わりであり、新たな一年の始まりであるその瞬間を、この狭い世界のどこで、だれと、どのように過ごすべきなのか。そんなことを思い悩むのも、人類生存圏というわずかばかりの領域に押し込められたひとびとにとっては数少ない楽しみのひとつといっても、過言ではあるまい。
自宅でごろごろしながら年越しのカウントダウン番組を見るのもいいし、友達と一緒に遊びながら過ごすのも悪くない。ただ、その瞬間まではまだまだ随分と時間があり、故に町中に市民が溢れているのだ。
「ネノクニなあ。あんまり良い想い出がねえぜ」
「天輪スキャンダル……か」
「あれで天燎の評判も地に堕ちたからなあ」
「あそこからよく立ち直ったものよね」
「評判があのままなら、わたくしたちの将来も不安でしたものね」
「……そうだな」
真弥は、圭悟が静かに頷く様子を横目に見た。厳めしい面構えは相変わらずだが、天輪スキャンダルに関する話題を広げたくないという彼の気持ちは、真弥にはすぐに理解できる。長い付き合いだ。表情のちょっとした変化から感情を読み取ることなど、造作もない。
それは逆もまた然りだ。
圭吾の察知力は、真弥の思考を魔法で盗み見ているのではないかと思うほどだった。それは、ともかく。
天輪スキャンダルといえば、圭悟の父・米田圭助が多少なりとも関わっていた事件だ。もっとも、天輪スキャンダルの核心は、天燎鏡磨とその暴走にあり、戦団や央都が圭助に責任を問うようなことはなかったが。
財団は、圭助を処分した。
財団は、天輪スキャンダルを天燎鏡磨一派の仕業であり、財団の預かり知らぬことであると結論づけたのである。そして、そのすべての責任を、鏡磨一派に押しつけた。
その結果、圭助は、財団から離れざるを得なくなったのだが、そのことについては、圭悟はむしろ喜んでいるようだった。父と話し合う時間が増えた、と、彼は常々いっている。
冷え込んでいた親子の関係が、天輪スキャンダルの余波の中で回復していったのだという。
だから、圭悟は複雑な面持ちなのだろう。
天輪スキャンダルそのものは許されないことだったし、そこに天燎財団が関わったことも確かだ。しかし、天輪スキャンダルを引き起こしたのは、人間ではなく、幻魔であるという。
幻魔の精神魔法に操られたひとびとが引き起こした大事件なのだ。
みずからの意志で引き金を引いた天燎鏡磨はともかく、イクサの開発、製造に関わった人々にまで責任を問うことはできない。
つまりは、圭助が処分されたのは、財団の勝手な判断なのだが、むしろその結果、家族の絆が深まったという事実があって、故に圭悟は財団に対し処理しきれない感情を抱いているようだ。
真弥からは、なにもいえない。
「まあ……色々あったな」
「色々ありすぎだぜ、まったく」
「天輪スキャンダルのつぎは、機械事変か」
「この半年、ろくなことが起きてねえでやんの」
「……本当にね」
蘭が嘆息とともに、亨梧の心からの声を肯定する。
雑踏の中、六人の会話は途切れることがなかった。六人は、なにか明確な目的があるわけでもなく、ただ、ぶらぶらと街の中を歩いている。本部町の中心部から西へ。
吹き抜ける冬の風は、暖かくなった体には、どこか心地良い。
「皆代が活躍するのはさ、嬉しいんだ。でも、同時にこうも思うわけよ。あいつは無理をしてないか、無茶ばかりして、いつかどうにかなっちまうんじゃないか。そうなったら、おれらにはどうしようもないだろ」
「どうしようもないのは、いつだってそうだろう」
「そりゃそうなんだけどよぉ。どう思う? 米田くんよ」
「くんって」
圭悟は、亨梧が肩を組んできたので、そちらを一瞥した。身長は圭吾のほうがずっと高いから、亨梧が無理しているように見えるが、そんなことはどうでもいい。亨梧からしてみれば、一番幸多と仲が良い相手が圭悟だからだろう。一番仲が良くて、もっとも頻繁に連絡を取り合っている相手だからこそ、絡んできたに違いない。
「米田くん、米田さま、圭悟さま?」
「なんなんだ」
「なんてこたあねえよ。皆代幸多は、大丈夫なのかって聞いてんの」
「……どうだろうな」
「なんだよ、その反応」
亨梧は、圭悟のどこか冷めたようなまなざしを受けて、憮然とした。全力で拒絶されたような、そんな感覚。仕方なく、彼の肩に置いていた手を離す。圭吾は、困ったような顔をした。
「おれに聞いたって仕方ないだろ。幸多は導士様なんだぜ。そりゃあ、連絡は取り合ってるけどな……本当のところなんて、知りようがない」
「そうよ。皆代くんがなにもかも全部話してくれると思う? 仮に思ってること全部打ち明けてくれたとしても、わたしたちの心配を煽るような真似をするわけがないでしょ」
「ま……そりゃそうか」
亨梧は、ふたりからの返答に鼻白みつつも、うなずいた。幸多の第一の親友であろう圭悟と、圭悟に次ぐくらいには仲の良さそうな真弥の発言である。尊重しなければならない。
それからしばらく会話がなかったのは、だれもが言葉を飲み込んでいたからだろう。そして。
「……そんで、戦団本部前に到着したわけだが」
とは、亨梧。自分以外の五人に言い聞かせるように口を開いた彼だったが、なぜ、自分がこんな場所にいるのかわかっていなかった。
目的もなくぶらついていただけだというのに、いつの間にか、眼前に戦団本部の要塞染みた建物が立ちはだかっていたのである。
「なんでまた」
「知らないわよ」
「だれが先頭を歩いてたっけ?」
「圭悟」
「じゃあ、圭悟くんの意志じゃん」
「おれ?」
「うん、おまえ」
「おれなのか?」
「あんた以外のだれがいるのよ」
「そうだぞ、おまえだぞ」
「おれかあ……」
圭悟は、なんだか自分が率先して幸多に逢いたがっているのではないかと思えてきて、気恥ずかしくなってきた。ここのところ、幸多と逢えていないのだ。携帯端末越しのやりとりならば、数え切れないくらいにある。文章での会話だけでなく、通話したことだって何度もあるのだ。しかし、直接逢えてはいない。
導士は、多忙だ。ここのところの幸多は、休日すらも訓練に費やしているという。
そんな彼を一目でも見たいと思うと、無意識に戦団本部に足が向いていたようだ。
もちろん、今月、幸多は水穂基地に着任中であり、戦団本部にいないことは理解しているのだが。
(あわよくば、とでも思ったのか)
圭悟は、自分の無意識が恐ろしくなって、歯噛みした。
「本部に入るのか?」
「そのために来たんだろ? 違うのかよ」
「それは……」
「大晦日でも入れたっけ?」
「開放区域なら大丈夫なはずですわ」
「そっか。じゃあ、入ろう」
真弥が先導してずかずかと戦団本部に向かっていくものだから、圭悟もついていくほかなかった。いまさら、別の場所に行こうなどと言い出せるはずもない。
戦団本部は、市民ならば自由に立ち入ることのできる区画があり、そういう場所を開放区域と呼ぶ。
本部棟を始め、様々な場所が開放されていて、休日などは、区域内の広場が市民の憩いの場となっていたりする。
もっとも、天燎財団と深い関わりを持つ圭悟たちにとって、戦団本部は、異世界というほかないのだが。
というのも、財団は長らく戦団を敵視していたからであり、末端の社員すらも徹底していたからだ。
よって、真っ先に本部の敷地内に足を踏み入れた真弥ですら、緊張で心臓の高鳴りを聞いていたのだ。