第千百七十七話 この一年(三)
空間魔法は、その名の通り、空間に作用する魔法の総称である。
その代名詞として挙げられることが多いのが空間転移魔法だが、実際には、空間転移魔法こそ、空間魔法の究極形といっても過言ではない。空間転移魔法は、超高難度の魔法であり、だれもが安易に使えるような代物ではないのだ。
空間魔法の使い手の大半は、空間転移ではなく、空間に作用するなんらかの魔法を使う。たとえば、先程の店員のように、対象の物体を任意の高度に配置し、そのまま持ち運ぶといった使い方だ。
「なんつーか、すげーもん見たな」
「そうなんだけど……なんでわざわざ空間魔法だったのかしら?」
圭悟が唸る対面の席で、真弥が怪訝な顔をした。前述通り、空間魔法は、極めて高度な魔法だ。一般市民が学ぶ必要もなければ、研鑽する意味すらないといってもいいほどの代物なのだ。余程の理由がなければ、わざわざ学ぼうとするもののほうが少ない。
たとえば、先程の店員のように複数の料理を持ち運ぶのであれば、わざわざ空間魔法を使うのではなく、魔法の手を作り出すほうがずっと楽であるはずだし、安全なはずだ。空間魔法の制御よりも、それ以外の魔法の制御のほうがより単純で、容易いのだから。
「いま調べたんだけど、あの店員さん、有名人みたいだ」
「有名人?」
「うん。空間魔法で大量の料理をお客さんの元に届けることで知られて、それでこのお店の知名度を爆発的に上げたそうだよ」
「そういや、さっきも店員の様子を撮ってる客がいたな」
「なるほど……あの店員さん目当てなんだ、ほかのお客さんって」
「わたくしたち、流行に疎すぎますもんね」
「天燎高校なんていう場所にいりゃあな」
「うちのガッコ、外界と隔離されてるようなもんだもんね」
天燎高校の生徒なればこそ、他校との差違に敏感だ。まず、母体である天燎財団がこの央都社会にありながら、戦団を敵視していたという事実が、異様だ。戦団は、この央都社会の中心に位置し、頂点に君臨する存在である。それを無闇矢鱈に敵視することの意味は、圭吾にはまるで理解できなかった。そして、立場が悪くなった途端、手のひらを返すようにして方針転換するのであれば、最初から敵対的な態度で望むべきではなかったのではないか。
もちろん、財団の首脳陣には、圭吾には想像もできないような考えがあったに違いないのだが。
そんな財団の影響を多分に受けた天燎高校の在り様もまた、反戦団的といって良かったし、戦団の意向が強く働く央都の在り方に疑問を持つべきだという考えがあった。生徒にもそう在るべきで、そのための思想教育を行っていたのだ。
外界と隔絶された別世界。
そんな学校にあって、圭悟たち四人は、天燎の在り方に染まっていない稀有な存在だった。
「そんな世界に飛び込んできたのが、戦闘部志望の魔法不能者だってんだから、不思議なもんだよな」
圭悟が、焼き立てのハンバーグにフォークとナイフを差し込みながら、いった。切った側から肉汁が溢れてきて、食欲をそそる。
「でも、皆代くんの境遇を考えれば、それが最良の判断だった」
「はい。魔法不能者……いえ、完全無能者の彼が戦闘部に入るには、天燎高校の一員として対抗戦に出て、優秀選手に選ばれる以外の道はありませんでしたもの」
「戦闘部以外ならいくらでも道はあったんだろうけどね」
「確かにな。幸多だったら、ほかの部署ならなんとでもなったんだろうな」
蘭の意見には、圭吾もただただ同意した。幸多は天燎高校の入学試験を突破できるだけの頭脳があり、飛び抜けた体力の持ち主だ。そして、高潔といっていい精神性。
戦闘部以外の部署ならば引く手数多だった可能性はある。
しかし、だ。
幸多には、戦闘部以外の道は考えられなかったのだろう。戦闘部の一員として、戦士として戦場に立つことだけが彼の目標だった。なにがそう彼を駆り立てるのか、いまならば理解できているが、それにしたって、と、圭悟は想うのだ。
魔法の恩恵に預かることもできない完全無能者の身の上で、どうして戦闘部で在り続けられるのか。命を燃やし尽くしても、魂を灼き尽くしても、まだ足りないのではないか。
幸多は、そう――燃えている。
圭悟の目には、まばゆく輝く星そのものに見えるのだ。燃えて尽きるまで光を放ち続ける星――。
「でも、あいつは戦闘部じゃなきゃ駄目だった。だから、うちに来たんだ。うちは、対抗戦にやる気がなかったからな。対抗戦部だってなかったくらいだぜ」
「で、圭悟が奔走して、部を立ち上げた、と。珍しいわよね、圭悟が見ず知らずの他人にそこまで力を尽くすなんて」
「米田くんの献身ぶりには、感動を禁じ得ませんわ」
「……おれは、ただ面白そうだと思っただけだよ。幸多の尋常じゃない運動能力なら、魔法士相手にもなんとかやれるんじゃないかってのもあったしな」
「実際、それで対抗戦を勝ち抜けるんだから、本当に凄いよね、皆代くん」
「ま、対抗戦を優勝できたのは、黒木先輩と我孫子先輩のおかげなんだけどな。あと、おまえら」
「わたしたち?」
「おうよ。おまえらが雑用なりなんなり手伝ってくれたから、対抗戦部がなんとか形になったんだよ」
「おれらがいねーじゃねーかよ、米田」
「まあ、どうでもいいが」
「ん?」
予期せぬ方角から殴りつけられたような感覚とともに背後に向き直れば、圭悟たちの真後ろの席に魚住亨梧と北浜怜治のふたりがいた。思わず仰け反る。
「うおっ」
「んだよ、その反応。こっちだろ、それ」
「まったくだ」
「いや……まさか、こんなところで遭遇するとは思わなかったんだよ」
「遭遇って……言い方ってもんがあんだろが」
「そうだよ、圭悟くん。ふたりに失礼だよ」
「そうそう、対抗戦部を手伝ってくれたんだから」
「そうですよ、おふたりの尽力も忘れてはいけませんよ」
「……わーってるっての」
圭悟は、親友たちからのまなざしを浴びて、バツが悪い顔になった。幸多のための対抗戦部設立だが、最低でも六名以上の部員が必要だった。そこで圭悟が白羽の矢を立てたのが、このふたりだ。曽根伸也の手下だったふたりの弱みにつけ込んだのだが、結果としてみれば、最良の判断だったといっていいのではないか。
少なくとも、圭悟にはそう思えた。
「感謝してるよ、ふたりにはな」
「人数合わせだし、活躍なんざしてねえけどな」
「いてくれただけでありがたいんだっての。おかげで、幸多は念願の戦闘部入りを果たせたんだ」
「……そのことなんだが」
「うん?」
少し照れくさそうな顔をする怜治に、圭悟は、疑問を持った。
怜治と亨梧のふたりは、対抗戦決勝大会後も対抗戦部に残り続けており、いまや主力の一角である。故に圭悟たちとも付き合いが深くなっていて、以前に比べれば随分と話すようになっていた。それこそ、真弥と紗江子を除く、男たちだけでつるむこともあるくらいには。
「あいつが、皆代が戦闘部の一員として大活躍していることが、おれには自分のことのように嬉しいんだ。まったく関係ないどころか、危害を加えただけの部外者なのにな」
「それな」
亨梧が、怜治に同意する。
「皆代の野郎、無謀にも戦闘部に入ったってだけでも凄いのにさ。いまや若き英雄だぜ。あいつが皆代統魔に並び立つほどの活躍をするだなんて、だれが想像したよ?」
「おれは、想像したぜ」
圭悟がどこか自慢げに告げれば、真弥と紗江子が目線を交わして微笑した。ふたりにしてみれば、圭悟のそういった部分が可愛らしく思えて仕方がない。ぶっきらぼうで無造作、暴力的ですらある圭吾の魅力を引き立たせる、愛嬌。
「幸多が超新星の如く輝く日をさ」
「……まあ、そうか」
「おまえは、皆代の熱狂的信者だもんな」
「信者いうな。親友と呼べ」
「熱狂的親友? ちょっと気持ち悪いな」
「どこがだよ、健全だろ」
「そうか?」
「そうに決まってんだろ」
なにやら言い合いを始めた三人を眺めつつ、蘭は、野菜スープを口に含んだ。
穏やかなクラシック音楽が流れる店内では、空間魔法使いの店員が歩き回っていて、客の目を引いている。その光景は平穏そのもので、央都に迫る危機などだれもが素知らぬ顔だ。
理解しているのに、見て見ぬ振りをしている。
そうしなければ、この世界では生きてはいけないからだ。
央都は、常に破滅と隣り合わせだ。