第千百七十五話 この一年(一)
「聞いたぞ。きみの複製体が星象現界を体得したそうだな」
「ああ。そのようだ」
「これは、戦団にとってこの上なく重要な事柄だ」
「……そうだな」
神威は、いつものように渋面を作りながら、闇に浮かぶ面を見ていた。
護法院。
幻想空間上に構築された会議場は、相も変わらず一面の暗闇であり、どこになにがあるのか、なにがなんだかわからない有り様だ。そしてその無明の闇の中に浮かんでいるのは、戦団の長老たちを象徴する面が複数。
麒麟、栗鼠、雀、鷺、馬、鶴、そして、神威の竜。幻獣である麒麟と竜は無論のこと、それ以外の動物の面も、ただ模しているというわけではなく、威厳と尊大さを併せ持っている。
面の持ち主たちは、いずれ劣らぬ魔法士であり、戦団の前身である地上奪還部隊における中核にして、戦団創設者である。半世紀以上もの長きに渡る戦いの日々の中、一人として欠けることなく、戦団の運営を為してきた。それだけでも驚くべきことであり、喜ぶべきことなのは疑いようがない。
死が蔓延し、滅びが影の如く寄り添っている、そんな世界だ。
「一二三が星象現界を体得し、ある程度使えるようになったことは、喜ばしい。星象現界の使い手は、多ければ多いほど、いい」
「うむ。そこに疑いを持つものはいまい」
「最近は、若い導士の中にも星象現界の使い手が出始めています。素晴らしいとしか言いようがありませんね」
「ああ。皆代統魔に本荘ルナ、草薙真……彼らは近い将来戦団を代表する導士になるかもしれんな」
「一二三くんは、まだそこには加わりませんよ」
と、口を挟んだのは、鶴林テラ。魔法局長である。現在、一二三は、魔法局が責任を持って預かっている。
戦団において魔法に関するすべてを受け持っているのが、魔法局だからだ。その魔法局を以てしても、魔法の基礎から教えることなどありえないのだが、しかし、一二三の才能を考えれば、そのために人員を割くことはなんの問題にもならない。
基礎魔法の習得よりも先に星象現界を開花させるような才能の塊なのだ。彼が成長すれば、戦団は大きな戦力を得ることになる。
「わかっているよ。焦って前線に出した挙げ句、貴重な人材を失うような愚行など考えもしていない」
「それがわかっているのであれば、なにもいうことはありませんが」
「彼は魔法の基礎すらできなかったそうだが、いまはどうなんだ?」
「基礎よりも星象現界を先に体得したから、でしょうか。今日の授業では、昨日までできなかったことができるようになった、と、北条副長が大喜びで報告してくれましたよ」
「ほう」
「ふむ……」
「一二三自身、ここのところ成長している実感があるとのことで」
そういって微笑した麒麟だが、彼女の笑顔がほかの長老たちに伝わったかどうかはわからない。声音から表情を察知したかもしれないが。
「……星象現界は、魔法の極致。本来であれば、その魔法士が到達しうる限界にまで魔法技量を磨き上げて初めて立ち入ることのできる領域――そう、考えられてきた。が、どうやらそうではないらしい」
「それは、一二三に限った話ではあるまい。皆代統魔も、本荘ルナも、草薙真も、いずれ劣らぬ魔法士だが、まだまだ若く、力の限界になど至ってはいまい。魔法技量だけでいえば、星将どころか杖長にも及ばぬはずだ。だが、星神力へ至り、星象現界を発現した。これはやはり、星象現界を発現するか否かは、個人の才能や素養によるところが大きいということだろう」
「その点については異論はありません。まずは〈星〉を視ることができなければ始まりませんし、〈星〉を視ることそのものが万人にできることではありませんから」
「うむ」
「そこを技術的に突破しようという試みが、一部成功したという話もあるな」
「はい」
頷いたのは、鷺の面。技術局長の白鷺白亜である。彼女は、手元の端末を操作すると、会議場に幻板を出力した。そこに星紋調律機の実証実験に関する情報を表示させる。
「星紋調律機は、機械的、技術的に星象現界の発動を補助するという代物です。ご覧の通り、実証実験に成功し、日岡博士が星象現界を発動させました」
だが、成功に至るまでの試行回数、そして成功した星象現界の発動時間を見れば、実用段階に達したなどとは到底いえるようなものではない。もちろん、ここからさらに研究と開発が進んでいくだろうし、精度も性能も上がっていくこと間違いないだろう。そして、いずれ完成する。それがいつになるかはわからないが、白亜は、そう確信さえしているのだ。
イリア率いる第四開発室に任せれば、どのような難問や障害が立ちはだかろうと、いつかは突破してくれるに違いないと断言できた。
「いまはまだ実用段階には程遠いか。しかし、一度成功したというのであれば、大いに可能性があるということだろう」
「はい。そしてこれは日岡博士の野望ですが……将来的には星紋調律機を小型化し、法機のようにだれもが運用できるようにしたいとのことで」
「ほう……」
「だいそれた野望だが……それが実現できれば、人類復興も夢ではないな」
神威は、イリアの発明に人類の未来を切り開く可能性を見て、告げた。魔導院時代からの天才児は、戦団においてもその才能を大いに発揮し、戦団の在り方そのものを変えようとしている。
いや、既に、イリアがもたらした発明の数々が戦団に与えた影響は、膨大極まりない。
彼女がいなければ、現在の戦団はなかったのではないかというほどだったし、だからこそ、彼女の研究に予算を注ぎ込んでいるのだ。
彼女ならば、戦団を間違いなく強くしてくれるとだれもが認めている。
当初こそ疑問視されていた窮極幻想計画も、いまや護法院の全力の支援を得て、つぎなる、さらなる段階へと邁進しているのだ。
窮極幻想計画と、それ以外の様々な研究、開発を同時並行的に推し進めているというのだから、イリアの頭脳の凄まじさがわかろうというものだ。
「人類復興。この四字こそが戦団の宿願にして、悲願。それを忘れてはならない」
「忘れるものか」
「忘れてなるものか」
「我らは、そのために滅びの原野に投げ出されたのだからな」
「……うむ」
神威は、長老たちの想いの籠もった言葉に頷き、目を閉じた。瞼の裏に浮かぶのは、破滅そのものだ。そして、破滅に抗った戦いの日々であり、数多の同胞が散りゆく光景であり、絶望的な勝利の朝だ。その勝利に余韻などはなく、押し寄せる滅亡の危機と戦い続けなければならなかった。
しかし、感傷に浸っている場合ではない。そんな余裕がどこにあるというのか。
(あるものか)
この場にいるだれもがそれを知っている。
だから、神威は、口を開く。
「では、諸君。我らの命が尽きるまで」
『我らの命が尽きるまで』
長老たちの唱和が聞こえて、幻想空間が閉じた。
現実へと回帰した神威は、被っていた面を外すと、執務机の引き出しの中に仕舞った。竜を模した面。神威は、戦団にとっての竜である――そのような想いが込められた面だ。
「竜……か」
神威は、存在しないはずの右眼が疼くのを認めて、苦い顔になった。
十二月三十一日、火曜日。
魔暦二百二十二年も、ついに終わろうとしている。
「ようやくって感じだな」
「そうねえ。本当に……長かったような、短かったような、なんともない一年だったわねえ」
「ほんとだよ。色々ありすぎ」
「でも、まあ……楽しかった、といっていいのでしょうか」
「いいんじゃない?」
「いいのかなあ」
この一年の総評について考え倦ねるのは、なにも紗江子と蘭だけではなかった。
圭悟も、どういう評価をくだしていいものかどうか、判断のしようがなかったのだ。良いことも、悪いことも、大量にあった。それらが複雑に絡み合っていて、良かったことを考えれば即座に悪かったことが頭をもたげてきて、邪魔をするのだ。
見上げれば、冬の空。青く澄み渡っていて、雲は数えるほどしかない。吹き抜ける風は冷たいはずだが、防寒用魔具のおかげでなんの問題もない。突然強烈な寒風が吹き付けてきたとしても、だ。
だから、冬だというのに、厚着の人間が少ないのだ。
葦原市の真っ只中。
道行く人々の数は、決して少なくない。
大晦日だ。
だれもが一年の無事な終わりを実感しながら、年の瀬を過ごしている。
来年は今年よりもいい年でありますように。
きっと、央都市民の、いや、双界住民のだれもがそう想っているに違いない。でなければ、嘘だ。こんな世界で平穏を願わない理由がない。
圭悟だって、そうだった。
平穏無事に過ごせるのであれば、それが一番なのだから。