第千百七十四話 一二三(八)
一二三は、興奮と昂揚の中にいる。
大量の幻魔を相手に戦うのは、幻想空間とはいえ、今回が初めてだ。そもそも、魔法を学び初めたばかりといってよく、修得した魔法といえば、基礎も基礎というようなものばかりだった。戦闘用の魔法も多少はあるが、実戦に耐えられるほどのものではない。当然、そんな状態で幻魔を相手にした訓練を行う理屈もない。道理を外れている。
が、将来的には真星小隊の一員となり、幸多と同じ戦場に立つことを夢としている一二三にとっては、一刻も早く実戦的な訓練に移行したいと思うのは、当然ではあるだろう。夢は夢。希望は希望。思うだけならば、願うだけならばいくらしても問題はない。
そして、その希望がいままさに叶っているという事実に打ち震えているのだ。
しかも、そのような状況になったのは、自分自身に秘められた魔法士としての才能、素質が開花しようとしているからだ。
『きみには、類い希な魔法士の才能があるんだ。だから、焦らず、じっくり学びなさい。魔法士として必要な技術、知識、能力を身につけることが、導士として、戦闘部の一員としての第一歩なのだから』
(わかってます)
頭の中に響く北条ギガの言葉にうなずきながらも、この昂ぶりには抗えない魔力があることを認める。
夢みたいだ。
巨大な水槽染みた生命維持装置の中から見ていた世界、そのただ中で、まさに夢想していた日々がいま、自分を取り囲んでいる。肉体を得て、ひとびとと交流し、社会の中に溶け込むということだけでも、現実味を帯びないただの妄想に過ぎなかった。それがいまや当たり前の現実となって彼の意識を包み込んでいた。
いまは、現実世界ではなく幻想空間上にその意識が同期しているものの、極めて現実感のある仮想空間にあっては、そんなことはどうでもよかった。
これは、現実だ。
脳だけが見ていた夢などではない。
断じて。
「四十体って、結構な数だな」
「でも、星象現界の力を試すというのならそれくらいは欲しいかもね」
「うん」
「そういうこと。戦闘の基礎も学んでいない素人とはいっても、星象現界の使い手だからね。期待はするよ」
幸多は、妖級幻魔の群れと向き合う一二三の後ろ姿を見つめながら、いった。そうした幸多の考えは、星象現界の圧倒的な力を散々見てきたからこそのものだ。星将や杖長たちが繰り出す星象現界は、鬼級幻魔に食い下がるどころか、撃滅せしめるほどのものだったのだ。妖級など比較にならない力を持っていることは、いうまでもない。
無論、魔法初心者に等しい一二三に同等の戦果を望みはしないのだが。
ものは、試しだ。
四十体もの妖級幻魔たち。
炎魔人、水天女、歌鳥女、大鬼、雪男、機妖鬼、戦乙女、邪鬼――八大属性に分類される妖級幻魔たち。それぞれ五体ずつ、一二三の遥か前方に配置されている。
見るからに迫力満点であり、威圧感を感じた。現実の幻魔を完璧に再現しているからこその圧力であり、一二三に戦闘経験がないからこそ、受ける印象が強烈になっているというのもあるのだろう。だが、全身に満ちた昂揚感が、妖級幻魔の威圧感を吹き飛ばしてくれる。
なにより、星竜の存在が一二三には心強すぎた。だから、彼は幸多に聞いた。
「いい?」
「いつでも」
幸多は、一二三が興奮気味に身を乗り出す様を見て、多少の危うさを感じたが、了承した。目を見開き、幻魔を見据える彼の様子、そしてその意気は、見習い魔法士にしては上出来だと言ってもいいのだが、しかし、己の能力を完全に理解しているようには見えない。
もちろん、当然のことだ。彼はまだ戦闘の基礎すら学んでいない。戦闘部の導士ですらない魔法士見習いなのだ。ならば、
それになにより、これは訓練だ。幻想空間上の。ならば、なんの問題もなければ、心配もいらない。どのような目に遭おうが、惨憺たる結果に終わろうが、構うことはなかった。後遺症があるわけでもないのだから。
幸多は、一二三が踏み出すのを見た。歩き始めたかと思えば駆け出し、飛び上がると、その真下へ星竜の長い首が差し込まれていく。そのまま落下した一二三が星竜の背に乗ると、翼が虚空を叩いた。光が発散し、加速する。星竜の飛翔。一瞬にして最高速度に到達した星竜は、妖級の群れの中へと突っ込んでいく。
巨大な光跡は、流星のようだった。
イフリートが巨大な火球を投げつければ、アプサラスたちが舞い踊り、無数の水柱を星竜の進路上に乱立させる。響き渡るサイレンの歌声は破壊的な超音波だ。オーガは地面に突っ込んだ拳を振り上げることで巨大な岩塊を投げつけ、グレムリンたちが雷光となって星竜に殺到した。ヴァルキリーたちが上空から光線を降り注がせ、フィーンドたちが闇の槍を投げつける。
それら妖級幻魔の一斉攻撃に対し、一二三は、星竜を信じるしかなかった。星竜を、己の星象現界を信用し、任せるだけしかないのだ。
「星竜!」
一二三が叫べば、星竜もまた、吼えた。咆哮とともに発散する星神力は、超高熱の光波となって全周囲に拡散し、迫り来る無数の魔力体を打ち消していく。妖級程度の攻撃では、星竜には傷ひとつ付けられないとでもいわんばかりだ。
星竜が、敵陣のど真ん中へと至り、着地と同時に尾を振り回した。巨大な尾の一閃がイフリートたちを薙ぎ倒しただけでなく、周囲一帯の地形をも激変させるほどの破壊を起こす。致命的とも言えるほどの星神力の奔流。余波が、アプサラスたちを飲み込み、三体を撃滅する。
軽く動いただけで、それだ。
本格的に戦闘を始めれば、あっという間に決着がついてしまった。
妖級幻魔たちが力を合わせ、状況を打開しようとしたが、無駄に終わった。星竜の圧倒的な力の前には、為す術もなかったのだ。
一二三は、星竜の背に跨がったまま、戦闘が終わるのを見守っていたに過ぎない。なにか明確に指示したということもなければ、星竜の能力を駆使した感覚もなかった。ただ、星竜が思うままに暴れ回り、その結果、妖級幻魔が全滅してしまった。
「終わった……」
一二三は、なんだか拍子抜けしてしまって、幸多たちにどんな顔をすればいいのかわからなくなった。驚くべきなのか、誇るべきなのか、茫然とするべきなのか。いずれも本心には違いないのだが、なんともいえない感覚がある。
そうしている間に幸多たちが駆け寄ってきた。
星竜の周囲一帯は、徹底的に破壊され尽くしていて、原型など一切留めていなかった。その破壊跡に幻魔の死骸などはない。幻想体である。崩壊が確認されれば、幻想空間から抹消されるだけだ。
故に、星竜の巨躯が圧巻だった。
「凄い、凄いよ、一二三!」
幸多は、ゆるりと星竜の背から降りてくる一二三に歩み寄ると、彼の手を取った。握り締め、ぶんぶんと振り回せば、一二三が照れくさそうな顔をする。
「そ、そうかな?」
一二三には、まるで実感がない。星竜は、一二三の星象現界だ。星象現界の発動には、魔力の練成、星神力への昇華、律像の形成といった段階を踏む必要があり、そこには確かな実感があるのだが、しかし、発動後は、すべて星竜に任せきりだった。自分がなにかをしたというわけではないのだ。
幻魔を攻撃した感覚さえ、ない。
「あの数の妖級をたったひとりで殲滅しちまうかよ」
「とんでもないよね……?」
「うん、とんでもない」
真白に黒乃、義一までもが賞賛してくれるものだから、一二三は、ようやく自分がとんでもないことを成し遂げたのだと理解した。
「これだけの力があるんだったら、いますぐにでも真星小隊に入りゃいいのにな」
「そう?」
「おう。おれがお墨付きをくれてやる」
「えーと……」
真白が自信満々にいってきたので、一二三は、幸多に目で問いかけた。
「真白はともかくとして」
「どういうこったよ」
「実際問題、星象現界が使えるというだけで、きみを隊員として迎えたい小隊はいくらでもあるだろうね。もちろん、ぼくも、きみが隊員になってくれるなら大歓迎だよ。でも、まあ……」
「……うん。そうだね」
一二三は、幸多がなにをいいたいのか理解できたから、静かに頷いた。
「せめて、基礎を完璧にしてから、かな」
そうはいったものの、しかし、一二三は、遥か遠くにあったはずの目標がかなり現実味を帯びてきているという事実に表情を和らげた。
夢が、現実になりつつある。