第千百七十三話 一二三(七)
魔法初心者が魔法の基礎を学び終えるより早く星象現界を発現、思い通りに発動できるくらいにまでなれたという話は、聞いたことがない。
星象現界は、戦団によって発見された概念、技術であり、世間一般に普及しているものではないのだ。
戦団魔法局の研究成果であり、現状、人間では戦団の導士だけが使うことのできる、魔法の究極形だ。最秘奥にして、極致。魔法の最終到達点というのは言い過ぎかもしれないが、しかし、人間にはこれ以上の魔法は持ち得ないのではないか、と、考えられている。
人間が持ちうる魔素の総量から考えれば、そのような結論に至るのが普通なのだ。
故に、導士たるもの、星神力への到達を、星象現界の体得を目指すものであり、そのために精進しているのだが。
「こりゃあ……」
「とんでもないね……」
真白と黒乃は、いままさに魔法士としての才能の格差を見せつけられたきがして、言葉を失った。
一二三の全身から満ち溢れる星神力の眩いばかりの輝きもそうだが、化身具象型星象現界の威圧感たっぷりの姿を目の当たりにすれば、驚嘆するほかない。
特に九十九兄弟は、九月機関出身の先輩から、度々《たびたび》、失敗作だの不良品だのといわれ、否定されてきたのだ。その言葉が意味するところは、九十九兄弟が戦団に馴染めず、暴発と失敗を繰り返してきたことに違いないのだが、しかし、と、考え込んでしまう。
一二三の才能は、とんでもないものだ。
少なくとも、戦団の歴史上、最高峰のものといってもいいのではないか。
「星竜っていったよね?」
「うん。この子の冠と翼、どことなく星の形をしてるでしょ。だから、星竜」
一二三は、星霊の大きな頭を目の前まで持ってこさせると、角の冠に触れた。頭部に生えた無数の角が複雑に絡まり合ってできた冠は、確かに星の図形に見えなくもない。翼は、全開にすることで、多少歪ながらも星形に見えるようになっていた。なるほど、スタードラゴンと呼ぶに相応しい。
一二三の意のままに動く星竜を見ていると、圧倒されるしかない。星竜は、巨大だ。その魔素質量も膨大極まりない。それこそ、強大な重力場なのだ。引き寄せられ、触れれば最後、崩壊してしまうのではないか。
「もう自在に星象現界を発動できるようになっただなんて、とんでもない才能だよね。本当、末恐ろしい義弟だよ」
義一は、一二三の才能に多少なりとも嫉妬したものの、むしろその事実に安堵してもいた。自分よりも遥かに遅く魔法を学び始めたものが一足飛びに頭の上を飛び越えていったのだ。嫉妬さえ感じないのだとすれば、向上心もなにも持っていないのと同じなのではないか。それでは前に進むこともままならない。
なにより、この小さな嫉妬の火こそが、己の能力を高める力になることを知っているからだ。
自分は、伊佐那麒麟複製体だ。伊佐那麒麟の体細胞から作られた、伊佐那麒麟の代替品。真眼の持ち主であることにこそ存在価値があり、意義がある。そして、麒麟と同等の魔法的素養を生まれ持ち、麒麟よりも早く開花させた。
それは、現代の魔法教育が麒麟の子供時代よりも優れたものだったからだ。
そして、それは一二三にもいえることではないか。
神木神威の体細胞から作られた神木神威の複製体は、神木神威と同等の魔法的素養を持って生まれた。神木神威戦団総長は、第一世代でありながら、現在においても魔法士として最高峰の能力の持ち主だ。神威が現代規準の魔法教育を受けていれば、いまよりもずっと強力な魔法士になっていてもおかしくはない。
麒麟に対する義一のように。
一二三のように。
しかし、とも、義一は考える。
たとえ現代規準の魔法教育を受けたとしても、基礎魔法すら使いこなせない状態で星象現界の発動に至るだろうか。
一二三は、神威ですら持ち得なかったなにかを持っているのではないか。
義一の真眼は、一二三の全身を絶え間なく流れる膨大な星神力をはっきりと認識している。まさに星々の煌めきの如き超高密度の魔素。魔力よりもなお深く、なお重い、力の流れ。それが竜の姿をした星象現界を形成しているのだ。
「でも、先生は、真星小隊に合流するのはまだまだ早いっていうんだよ」
「そりゃそうだ」
一二三が少しばかり不服げな顔をすると、真白が大きく頷いた。
「星象現界が使えるだけで生き残れるほど、戦場は甘くはないからな」
「うん。そうだね。そりゃあ、星象現界は強力無比だ。並の幻魔なんか相手にならない」
幸多が、真白に同意しつつ、いつの間にか手にしていた端末を操作した。すると、汎用訓練場のそこかしこに変化が生じた。獣級幻魔の再現体が多数、五人を取り囲むようにして出現したのである。
ガルム、フェンリル、ケットシー、カーシーという顔触れ。
「ものは試しだよ、一二三。戦ってみたことくらいは、あるんだよね?」
「うん。先生にもいわれたんだよ。基礎魔法を覚えるよりも先に星象現界を使いこなせるようになるべきかもしれないんじゃないかって。だから」
だから、ここのところの北条ギガとの訓練は、星象現界に重点を置いたものになっていた。故にこそ、こうして星象現界をある程度は使えるようになったのだ。ある程度、だ。完璧でもなければ、及第点といえるほどのものでもない。だが、使える。いまはそれで十分だ。
一二三は、いつの間にやら眠りそうになっていた星竜を起こした。星竜があくびを漏らす。あまりにも生物的な反応は、一二三の想像力の反映であり、星竜が気怠そうに首をもたげていくのも、彼の思い描いた竜の姿そのものだった。
最大限に開かれた翼の先端が星竜の頭上で重なり、一対の翼が星形を形成する。そして、翼から照射された光芒が、前方の幻魔を一瞬にして消滅させてしまった。
さらに星竜は、視線を巡らせ、四方から迫り来る幻魔の群れを認識した。
星霊は、通常、自律行動だ。その状態ならば、術者が星霊の制御に意識を割く必要がなく、負担も大きく軽減された。その場合、星霊の思考類型を攻撃型、防御型、補助型に切り替えることも可能なのだが、それは極めて高度な制御法であり、いまの一二三には攻撃に専念させるのが精一杯だった。
だが、いまはそれで十分だ。
星竜は、一二三たちに殺到する火球を見て、一声、吼えた。放たれるのは一条の光芒。火球を薙ぎ払い、爆光で視界を埋め尽くす。ガルムが叫び、フェンリルが唸りを上げる。熱波と吹雪が多方から押し寄せてくれば、星竜の冠から無数の熱光線が発射された。数多の火線があっという間に獣級幻魔の群れを壊滅させると、星竜は再びあくびをもらす。
取るに足らない相手だったといわんばかりだ。
「まあ、獣級程度じゃ相手にならないよね」
「そりゃあな」
「当たり前というか、なんというか……」
「ぼくの弟を甘く見て貰ったら困るかな」
「ええと……」
幸多たちからの手放しの賞賛には、一二三は、なんだか照れくさくなってしまう。
この星象現界は、己を鍛え上げて獲得した技術などではないと断言できるからだ。偶発的に発動し、どうにか制御できるようになっただけであって、そんなもので褒められようなどと思ったこともないのだ。無論、星象現界を完璧に使いこなせるようになれば、戦団の戦力としても申し分なくなることは、理解しているのだが。
それはそれとして、だ。
自分は、まだまだ魔法士としては初心者の域を脱してもいないのである。
だから、褒められすぎても嬉しくはない。
「つぎは、どうかな」
幸多が端末を操作すると、今度は数十体の妖級幻魔が一二三の視界を埋め尽くすようにして出現した。