第千百七十二話 一二三(六)
「マジでいつ以来だよ」
真白がそこはかとなく嬉しそうな表情をしたのは、真星小隊の全体訓練が行われることになったからなのは間違いない。そして、いままさに同じ空間に幸多がいるからだ。
真白が幸多を好きすぎているというわけではない。真星小隊のだれもが隊長のことが大好きだったし、そのことを隠しているものはいなかった。全員が全員、素直すぎるほどに幸多への好意を全身で表現していた。
義一も黒乃も、そして一二三も。
ここは、幻想空間。
中でも汎用訓練場と命名された空間は、障害物ひとつ設置されておらず、ただただ広いだけの空間だ。どこまでも続く真っ白な天地。等間隔に、そして縦横に走る無数の線が、ここが現実世界ではないことを主張しているかのようだ。極めて現実感の強い、けれども違和感ばかりの空間。
そこに真星小隊の四人と、伊佐那一二三がいる。
今日、全体訓練を開くことになった理由こそ、一二三だ。
「そうはいうけど、空いたのは四日とか五日くらいじゃないかな?」
「そうだけどよお」
幸多の発言に真白が少しばかり不満げな顔を覗かせたのは、彼があまりにも幸多に依存しているからなのだが、本人はその事実に気づいていない。多少は己を客観視できているつもりの黒乃ですら兄と全く同感で、幸多への依存度を認識していなかった。
もっとも、だからどうということはなく、義一は、九十九兄弟が幸多にひっついて離れようとしない状況を微笑ましく見ていた。
一二三も、笑っている。
真星小隊の仲の良さについては、一二三が情報収集することしかできないころからよく知っていたのだ。脳だけの存在ではなく、人間として生まれ落ちてからというもの、さらに深く彼らの関係性を理解していった。いまでは、一二三までもが幸多を中心に物事を捉えている節があり、幸多のどこにそのような魅力があるのかと考えている始末だ。
結局、幸多の魔力から抜け出せていない。
魔力。
そう、魔力だ。
幸多には、ひとを虜にする魔力がある――。
(なんていったら、幸多に悪いかな)
そんなことを、一二三は、胸中で思ったりする。どうでもいい、取るに足らない事柄。頭の中を巡り巡って、言葉にならない。言葉にすれば、きっと、いつものようにまくし立ててしまう、そんな気がしてしまって口に出せないのだ。
今日は、一二三が主役だ。
主役は、出番まで黙っていればいい。
「おれとしてはだな、全体訓練の必要性を説いておきたいわけだよ」
「ぼくも兄さんと同じだな……。最近、全体訓練ができていなかったし……。もちろん、隊長が美由理様に見てもらうのはとっても大事だと思うし、優先するべきだとは思うけど……」
「それはそうだね」
義一も、九十九兄弟の発言には強く同意するしかない。魔法技量を磨き上げるためだけの訓練ならば、むしろ幸多の存在は邪魔になりかねないが、しかし、真星小隊の隊としての練度を上げていくというのであれば、彼を交えて訓練するべきだった。
それも徹底的に、全身全霊の力を込めて。
幸多も、そんな隊員たちの考えがわかるから、微笑みを返すのだ。
「わかってるよ。みんなの意見、みんなの気持ち、みんなの考え……ぼくも同感だ。ぼくだって、一刻も早く小隊としての訓練に集中したいんだ」
「けど?」
「いま少し、待って欲しいかな。もう少しなんだ。もう少しで、コツが掴めそうなんだよ」
「コツ?」
「なんの?」
「それは……まあ、また今度話すよ。今日の主役はぼくじゃない。一二三だからね」
幸多が一二三に視線を向けると、真白と黒乃がようやく彼の肩から顎を外した。いまのいままで、幸多の両肩に九十九兄弟がもたれかかっていたのだ。それもいつものことだが。
「そりゃあ聞いたけどよ、いったいどういうことなんだよ」
「まさか、もう合流する目処がついたとか?」
「それに近いかも」
「ええ?」
「冗談だろ?」
「冗談でもないんだなあ、これが」
幸多は、九十九兄弟の反応が想像通りのものだったのが嬉しくて、一二三に目配せした。一二三が緊張感たっぷりに頷く。
真星小隊の全員が自分に注目する嬉しさと、上手くやれるだろうかという不安が複雑に絡み合って、一二三の緊張が増大した。ぐっと堪え、呼吸を整えれば、義一が彼の肩に手を置いた。見れば、義兄の金色の瞳が輝きを帯びている。真眼の光。それには、見るものの心を落ち着かせる力があるような気がした。
ふうと息を吐き、精神を統一する。全神経を研ぎ澄ませ、魔力を練成していく。
「なんだなんだ?」
「魔力の練成……だね」
真白と黒乃は、一二三が魔法初心者とは思えないほどの速度で魔力を練り上げていくのを見ていた。最新式の導衣を身につけていることも多少関係しているだろうが、しかし、導衣による練成効率の向上は、補助的なものに過ぎない。魔力を練成する技術を持たない人間には、なんの意味もないのだ。
つまるところ、一二三は、魔力練成技術は体得したということだ。
いや、それだけではない。
「おいおい、まじかよ……」
「そんな……」
九十九兄弟が驚嘆するのも無理はなかった。
真眼を通して視ずとも、一二三の全身から溢れ出したそれが魔力ではなく、星神力であることは明白だった。出現したのは、莫大極まりない魔素質量。見るからに強力で、物凄まじい重圧を感じた。いわば重力だ。星神力特有の重力場が、一二三を中心に形成されている。そして、その重力場を彩るのは、多層構造の律像。複雑にして精密なる幾何学模様の乱舞は、星象現界の設計図そのものだ。
九十九兄弟は、幸多と義一を見て、それから一二三に視線を戻した。。
一二三は、魔法初心者だ。つい先日まで魔力を練成する方法すら知らなかったほどの。それが魔力の練成技術を完璧なものとしただけでなく、一足飛びに星神力への昇華を行い、星象現界を発動しようとしている。
「星竜」
一二三が発した真言は、星象現界の発動を促し、律像を眩いばかりに輝かせた。律像は、星々が煌めくかの如くに散らばり、星神力が彼の背後に収束し、巨大な光の塊となった。かと思えば、急速に輪郭を帯びていく。そして、全体像が明らかになれば、その場にいた全員が目を輝かせたものだった。
それはまさに竜だった。
竜の姿をした星霊が、具現したのである。
全長はおよそ五メートルほどか。長い首の先に竜と呼ぶに相応しい頭があり、その頭部を飾るのは、光り輝く角で形成された王冠だ。複数の角が複雑に絡み合って、神々しさすら感じさせる冠を作り出しているのだ。そして、大きな目は、竜級幻魔の如く虹色の光を帯びている。
その一点で、伝説や神話に登場する竜というよりは、竜級幻魔の記録映像を元に想像力が発揮されたもののように思われた。
隆々たる巨躯は、無数の鱗に覆われているのだが、それら鱗のひとつひとつが星の輝きを放っていた。そして、翼。一対の巨大にして異形の翼が開くと、星神力の光が拡散し、周囲を飲み込んでいった。長い尾が一二三を庇うようにして、彼の体に触れる。一二三には慣れたことなのだろう。尾の先っぽを手で触れ、星霊に応えるかのような素振りを見せた。
「これがぼくの星象現界だよ」
一二三が告げると、竜が一同を見回し、一声、鳴いた。雷鳴のような咆哮が幻想空間を駆け抜けていく。その衝撃に九十九兄弟は目をぱちくりとさせ、義一は頷き、幸多は手を叩いて喜ぶ。
そんな真星小隊の反応がただただ嬉しくて、一二三は、満面の笑みを浮かべた。こんな日がこうも早く来るとは、想像だにしていなかったが、それは当たり前だろう。
まだ魔法の基礎を学び始めたばかりなのだ。
基本的な魔法を完璧に使いこなせるようになるより先に星象現界を体得するなど、普通ならばありえないことだ。
『例外中の例外であり、規格外だよ』
北条ギガの呆然とした顔と声が脳裏を過った。
だが、そんな事実はどうでもいいことのように思えた。真星小隊の一員になれる日が目の前にきているのではないかということにこそ、一二三は興奮しているからだ。
一二三は、幸多に恩返しがしたい。
ただそれだけのために、日々を過ごしているのだから。