第千百六十七話 彼女と皆代小隊(三)
第三陣は、妖級幻魔の大軍勢。
イフリートを始めとする妖級幻魔の特徴といえば、その巨大さだろう。魔素質量に比例するようにその魔晶体《肉体》を大きくしていくのが、妖級以下の幻魔に見られる性質であり、故に、その大きさを見れば、ある程度の脅威度を理解できるだろう。
さて、ルナたちは、といえば、字の指示通りに動いている。
つまり、丘の頂上に布陣するのではなく、丘を降り、一点に戦力を集中、妖級幻魔の集団を蹴散らし、丘の麓に陣地を構築したのだ。
そうすることにより、全周囲からの包囲攻撃を逃れることができるというのが字の判断であり、実際、枝連は、防型魔法を前方に集中していた。彼女の指示は適切であり、戦術に間違いはない。。
防型魔法――に限らずそうだが――は、効果範囲に応じて必要な魔力が増減するだけでなく、強度も変動する。つまり、全周囲を覆う結界よりも、一方向だけに展開する防壁のほうが魔力の消耗が少なくて済む上に強度を高めやすいということだ。
故に、字は、丘の上の高所という絶好の攻撃地点を捨て、丘を降ったのである。
確かに丘の上からならば、迫り来る幻魔の大軍勢に対し、一方的に攻撃を仕掛けられるだろう。高所に陣取ることこそ、戦術の基本といわれていた時代がある。だが、いまや過去のものと成り果て、無用の長物と化した戦術に縛られる必要はあるまい。
魔法士同士の戦闘もそうだが、幻魔との戦いでも、高所に陣取ったからといってそれほど有利にはならない。
だれもが、呼吸をするように魔法を使えるのだ。
あらゆる幻魔が空を飛び、遠距離攻撃手段を持っている。それこそ、丘の麓から超長距離射程の魔法を的確にぶつけてくる幻魔など、掃いて捨てるほどいる。
丘の上に陣取るのは、全周囲から魔法攻撃が殺到し、包囲覆滅されるのを待つだけの悪手としかいえない。
字の戦術によって丘の北側の幻魔たちを吹き飛ばし、陣地を構築した皆代小隊は、大量の妖級幻魔を前方に捉えていた。
イフリート、ヴィーヴル、アプサラス、サハギン、サイレン、ピクシー、オーガ、ガーゴイル、イエティ、フィーンド――妖級幻魔が隊伍を組み、徐々にこちらとの距離を詰めつつも、遠距離攻撃魔法を雨霰と浴びせてきていた。
火球が数多に降り注げば、無数の水撃が殺到し、突風が吹き荒れ、岩石群が津波のように押し寄せてくる。
それら魔法攻撃を受け止めるのは枝連の役割だが、さすがに数が多すぎるということもあって字も防型魔法を唱えていた。補手は、補い手。小隊内で足りない部分を補うのも、重要な役割だ。
「うーん、さっすがに多過ぎじゃない?」
「確かにね」
香織が顔をしかめるのも無理はない、と、剣は思った。
「でも、これから先のことを考えるのなら、これくらいの物量は相手にしていかないと」
ルナが、さも当たり前のように言い放ち、剣たちの頭上に浮かび上がる。規格外の魔素質量を誇る彼女は、星象現界を未だ維持し続けている。その圧倒的な力があればこそ、難なく字の戦術を実現できたという事実は、枝連たちに考え込ませることになった。
つまり、ルナがいなければこのような戦術は取れず、妖級幻魔の大群に包囲殲滅されるのが落ちだったのではないか、ということだ。
ルナが背後の三日月を頭上に掲げ、回転させていく。ゆっくりと、しかし確実に回転速度を上げていくそれは、光の輪を形作っていく。
「これからは、皆が主役なんだから」
「うん?」
「皆が主役?」
「それって、どういうこと?」
香織たちが怪訝な顔をしている間にも、ルナの猛攻は始まってしまった。猛攻。そう、猛攻だ。光の輪と化した三日月を投げ放てば、それを猛追するようにして飛び出したのである。三日月が遥か前方のイフリートへと到達すれば、容易くその胴体を寸断する。断末魔を上げる炎の巨人を踏み越えて、月の女神が飛躍した。
妖級幻魔が、ルナに目標を定めた。
圧倒的な魔素質量を持つルナこそ真っ先に滅ぼすべきだと考えるのは、幻魔ならば当然だろう。いや、幻魔でなくともそうしたかもしれない。
少なくとも、この五人の中で最強はルナなのだ。ルナが落ちれば、残りの四人は、妖級幻魔の物量に負けざるを得ない。
ルナだけが頼りだ。
(それが駄目だっていうのかな?)
香織は、ルナの発言の意図を考えながら、律像を形成していた。幻魔の猛攻がルナひとりに集中しているということもあって、じっくりと考えつつ、魔法を練り上げることができている。
ルナは、自分に殺到するありとあらゆる魔法を軽々と捌き、あるいは受け止めていた。妖級幻魔の強力な攻撃魔法をもってしても、ルナの星装を傷つけることができないのだ。
だから、ルナは、幻魔の群れを相手にものともせず、攻め込むのだ。そして、迫り来る妖級を千切っては投げ、千切っては投げの大活躍である。
星象現界を発動しているのだから当然、というべきなのかもしれないが、だとしても、圧倒的としかいいようのない彼女の戦いぶりには、ただただ驚嘆するほかない。
自分は、彼女のようになれない。
香織は、事実を認め、真言を唱えるのだ。
「鬼雷砲!」
香織が掲げ、印を結んだ両手の先に雷光が収束、巨大な球体を形成すると、爆音とともに射出された。一瞬にしてガーゴイルの顔面に着弾、大爆発が起きる。ガーゴイルの頭部と上半身の一部が消し飛ぶも、すぐさま復元を始めた。が、そこまでだ。猛烈な風圧がガーゴイルの傷口を広げ、魔晶核を粉砕したからだ。
「たかみー、やっるー!」
「香織のおかげだけどね」
「そりゃそうだけどさ」
「相変わらず、息ぴったりだね」
ルナは、香織と剣のやり取りを遥か彼方に聞きながら、ヴィーヴルの熱光線を左手で弾き飛ばした。ルナの全身を包み込む白銀の衣は、それ自体が星神力の塊なのだ。生半可な攻撃ではびくともしなければ、傷つけることも簡単ではない。少なくとも、妖級程度に負ける理由がない。
だから、踏み込む。
ヴィーヴルの表情が歪んだ。再現体というには豊かすぎる反応には、苦笑を禁じ得ない。現実の幻魔そのもののような反応の数々。故にこそ、訓練の価値もあるというものなのだろうが。
ルナは、ヴィーヴルたちの群れの中で三日月を旋回させた。
「月華大乱咲」
縦横無尽に暴れ回る三日月がヴィーヴルたちを事も無げに切り刻み、その魔晶体をばらばらにしてしまった。
月の女神と化したルナにとって、妖級以下の幻魔など、取るに足らないものなのだ。サイレンの超音波攻撃も、ピクシーの巻き起こす突風も、オーガの咆哮も、ガーゴイルの岩の雨も、イフリートの火球も、ルナには届かない。
そうした攻撃の数々を涼しい顔で捌き続ける彼女が見つめるのは、皆代小隊の四人だ。
上庄字、六甲枝連、高御座剣、新野辺香織。
本荘ルナが憧れ、心の底から大好きになった四人。ルナにとって、掛け替えのない人達。だからこそ、考えるのだ。
自分がいなくなった後、四人は、上手くやっていけるだろうか。
いや、と、頭を振り、イフリートを三日月で薙ぎ払う。
ルナが皆代小隊に入るまで、統魔を含めた五人でどうとでもやってこられたのだ。
自分がいなくなったところで、なんの問題もないはずではないか。
(それはそれで、ちょっと寂しいかな)
そんな矛盾を抱えながら、ルナは、残りの妖級幻魔を一方的に殺戮していった。