第千百六十五話 彼女と皆代小隊(一)
「ふたりきりでの訓練って、どういうつもりなんでしょうか」
字がこういう状況で不服げな表情を見せるのは、極めて珍しいことであり、だからこそ、ルナは殊更愛おしく想うのだ。
意識を埋め尽くすように展開する幻想空間は、まさに魔界の真っ只中といった有り様だ。膨大な魔素、そして、幻魔の大軍勢が五人を包囲している。
隊長不在の状態で行われる、皆代小隊の全体訓練。
小隊訓練となれば隊員勢揃いで行うものだという認識があるからか、統魔がいないというだけで妙な違和感を覚えずにはいられないのは、普通の感覚だろう。
頭上は、青空。どこまで広がる青は、地平の彼方まで続いているようであり、揺蕩う雲の数はそれほど多くはない。快晴といっても問題ないくらいの天候だが、そんなものはあてにはならない。ここは魔界。空白地帯のど真ん中を模した幻想空間なのだ。天候など、いくらでも変化する。それこそ、無限に。
「隊長、怒り心頭なんだよ、きっと」
「うんうん、そんな感じだったな」
「それは……わかってるんですけど」
香織と剣の意見に頷きつつも、字は納得いかないといった様子だ。
皆代小隊といえば、隊長の統魔なのだ。統魔を頂点にして中心に据えているからこその小隊であり、小隊連携訓練を行うのであれば、統魔の存在はなくてはならないはずだ。どんな戦術にも、統魔が絡んでいる。
しかし、統魔は、いま、朝彦とふたりきりの訓練を行っていて、そこに字たちが突入するわけにはいかなかった。
だから、隊長不在の皆代小隊で訓練を行うことにしたのだが、その違和感の凄まじさをいまさらのように実感しているというわけである。
連携が、どうにも上手く行かない。
隊員それぞれに全力を発揮しているはずだというのに、だ。
「でも、だからといってふたりきりでの訓練なんて――」
「もしかしてアザリン、妬いてるの?」
「はい?」
「統魔を味泥さんに取られてさ」
ルナが悪戯っぽく問いかければ、字は、あからさまな態度を取った。声を上擦らせ、こちらを見る。
「と、取られるもなにも、隊長はわたしのものでもなんでもありませんし」
「ふーん、だったら、わたしのものにしちゃってもいいんだ?」
「な、ななな、なにをいってるんですか?」
「そうだよ、ルナっち。とっくに自分のものだって主張してるくせにさあ」
「そうそう、統魔くんを独占してる時間でいったら、ルナちゃんに適う人間はいないよ」
「でもさ」
ルナは、しどろもどろな字やからかい半分の香織、剣を見比べ、その柔らかすぎる空気感に目を細めた。暖かく、穏やかな雰囲気。幻想空間上に再現された戦場のただ中にいるとは思えないが、これが皆代小隊なのだ。
これが、ルナの愛するひとたちなのだ。
そして、この実感に、ああ、と、ルナは想いを深めていく。
「でも?」
「どったの? ルナっち」
「ううん、なんでもない」
「変なの」
「でも、最近のルナさんはこんな感じですよ」
「うん。だからいったんだけどね。変だって」
「変って。ちょっと酷くない?」
「事実だもん」
悪びれることなく告げてくる香織に、ルナは、むしろ満面の笑顔になった。香織の冗談は本当にわかりやすい。他意も悪意もなく、からっとしていて、心地が良い。だから、ルナは彼女がすぐに好きになったことを思い出す。
彼女だけではない。
皆代小隊の全員が、大好きだった。
「いつまでくだらないことを言い合ってるんだ? 訓練だぞ」
「くだらないって、酷くない?」
「酷い、酷いよ、れんれん」
「その呼び名のほうが何倍も酷く感じるが」
「でも受け入れてるよね?」
「……仕方なく、だ」
枝連がいつもどおりの渋い顔をしつつ、魔法を発動させた。五人を取り囲むように噴き上がった紅蓮の炎が結界を構築、遠方から飛来した魔力体を受け止めて見せる。爆ぜる数多の魔法が、戦闘が既に始まっていたことを思い知らせるようだった。
魔界の、赤黒い地肌が剥き出しになった大地は、複雑にして起伏に富んでいるのだが、五人が固まっているのは、中でも特に隆起した場所だった。丘の上。そして、見渡す限りの大地を埋め尽くすようにして、大量の幻魔がこちらに迫りつつある。
幻魔の大津波だ。
霊級、獣級、妖級――鬼級未満の全等級の幻魔が軍隊を形成しているのは、これが実戦形式の訓練だからだ。
野良とも呼ばれる野生の幻魔は、ほとんど集団行動することがなく、指揮系統などあったものではないが、〈殻〉に属する幻魔は、軍隊化している可能性が極めて高いことが判明している。そして、戦団がもっとも重視するべきは、それら軍隊化した幻魔であり、〈殻〉の軍勢なのだ。
故に戦務局は、幻魔の軍隊との戦闘を可能とする戦場設定を用意、戦闘部の導士たちに開放しているのである。
「にしても、数、多過ぎじゃない?」
「そうだよ。隊長いないのにこの数はどうかと思うんだけど」
「そうはいうが、これくらい捌き切れないと、これから先の戦いについていけなくなるぞ」
「そうかもね」
枝連の言い分は、彼が今回の訓練の設定をしたからというのもあるだろうが、現実を見据えてもいた。
央都を取り囲む現状というのは、極めて厳しいものだ。内に〈七悪〉なる鬼級幻魔集団を抱え、外に数多の〈殻〉が存在しているのだ。それら外敵のうち、オトロシャなどは、央都侵攻の意図を明確にしている。
そして、オトロシャ軍の総戦力は、億を超えるというのだ。
央都の人口は、ようやく百万人を突破したばかりだ。戦団には二万人ほどの導士がいるが、戦闘部の導士となると一万二千人程度。その一万二千人の戦闘員をひとつの戦場に動員できるわけもない。各地を防衛するための戦力も必要なのだ。
よって、一小隊にかかる負担というのは、とてつもなく大きくなる。
特に、皆代小隊は――。
「おれたちは期待されているからな」
枝連が力強くいえば、香織と剣は頷き合った。彼の考えに異論はない。
「隊長が隊長だもんね」
「ぼくたちも、その期待に応えたいものだね」
「だからといって、無茶はしないでくださいね」
「そうそう、無理は禁物だよ。統魔に心配させちゃ駄目なんだから」
ルナは、字に同調しつつ、魔力を圧縮、星神力へと昇華した。
その間にも幻魔の大軍勢が四方八方から迫っていて、先陣を切る霊級幻魔の群れが各人の視界を埋め尽くすようだった。まさに霊体そのものの如き化け物たち。オニビが火の玉となって飛来すれば、ニンフが水流そのものとなって迫り来る。スプライトが突風を呼び、バンシーが地響きを起こした。
それらの攻撃魔法は、枝連の炎の結界が完璧に防ぎきったが、それだけではどうにもならないのが戦闘というものだ。攻撃を受け続けるだけでは、消耗し、力尽きるだけのことだ。
打って出なければ、ならない。
「電光手裏剣!」
「轟閃風!」
香織が電光を帯びた魔力体を乱射することで多数の霊級幻魔を撃破していけば、剣が巻き起こした暴風が大量の霊級幻魔を吹き飛ばしていった。字もまた、真言を唱えている。
「水天護印」
その瞬間、字を含む五人の背に摩訶不思議な紋様が刻まれた。水天護印は、字が得意とする水属性の補型魔法であり、魔素の収束効率を飛躍的に向上させる。それはつまり、魔素から魔力への練成を助長するということであり、絶え間ない魔法の連撃を可能とした。
当然、星神力への昇華も加速させる。
「月女神」
そして、ルナが星象現界を発動すれば、戦況は激変せざるを得なくなった。
少なくとも最前線の幻魔たちの動揺が、その進軍速度の低下から見て取れた。自分たちよりも遥かに強大な、超極大の魔素質量が出現したのだ。混乱を来したとしても、不思議ではない。
そうした幻魔の反応も、これまで戦団が獲得してきた幻魔に関する膨大な情報を元にしたものであり、極めて現実的なものと考えていい。でなければ、訓練の意味がない。
やがて、ルナが白銀の衣を纏い、月の女神を想起させる三日月の光背を負えば、皆代小隊の四人は、それだけで心強くなった。
統魔が不在ならば、ルナを戦術の中核に置くべきだろう。