第千百六十四話 兄弟子、弟弟子(三)
朝彦にとって、統魔は、最高にして最良の弟弟子といっていい。
朝彦は、麒麟寺蒼秀に弟子入りしたのは、何年も前の話だ。
戦団に入った当初から圧倒的な魔法士としての才能を見せつけた麒麟寺蒼秀は、伊佐那美由理や天空地明日良たちとともに新世代の導士として持て囃された。その能力、魔法技量は卓越したものであり、新人導士の中でも特に秀でていたことはいうまでもない。
すぐさま頭角を現し、階級を駆け上がっていた彼らは、光都事変における英雄的大活躍を経て、星将となり、軍団長に任命された。
当時、朝彦は、伸び悩んでいた。蒼秀たちよりも遥かに先輩である彼だったが、あっという間に追い抜かれ、力の差、才能の差を見せつけられれば、それまで多少なりとも残っていた自信も喪失するというものだろう。
それまで辛くも形を保っていた自尊心が、若き才能の続出によってばらばらに砕け散ったのをいまも覚えている。
だから、軍団長となったばかりの蒼秀に弟子入りを志願した。
蒼秀は多少驚きつつも引き受けてくれたものの、その事実を知った同期や同世代の導士たちからは大きく驚かれたものだ。戦団には年功序列などという古くさい習慣こそないが、自分よりずっと年下の導士に弟子入りするというのは、極めて稀なことだった。というのも、戦団――特に戦闘部では、年齢即経験値であり、こればかりは類まれな才能や優れた素養、素質をもってしても埋め合わせられないものだからだ。
そして、導士としての能力は、経験がものをいう。
なればこそ、先達に学ぶことこそあれ、後輩に師事することは考えにくいのだ。
蒼秀は、そんな朝彦の気概を買った。自分よりもずっと若く、経験も浅い導士に頭を下げ、弟子になろうとするその意気こそ、魔法士としての将来性そのものではないか。故に師弟の契りを交わしたのだ。そしてそれは、蒼秀にとっても大きな糧となった。少なくとも、蒼秀が魔法士としてさらなる段階に踏み込むことができたのは、朝彦との師弟の日々のおかげだということは疑いようのない事実だ。
ともかく、朝彦だ。
朝彦は、蒼秀という師を持ったことで、己が能力を開花させた。魔法技量を磨き上げ、導士として必要な能力を限りなく高めていった。杖長に任じられただけでなく、十名いる杖長の筆頭にまで上り詰めたのだ。次期副長、次期軍団長候補と呼ばれるようになったのも、師匠の薫陶があればこそだと常日頃から想っている
蒼秀との巡り合わせがなければ、彼に弟子入りしていなければ、いまの自分はいないだろう。
確信がある。
故にこそ、朝彦は、蒼秀の弟子であり、我が弟弟子である統魔のことが可愛くて仕方がなかった。
鳴り物入りで戦団に入ってきた彼は、まだ十四歳の子供だった。星央魔導院を飛び級かつ首席で卒業したというのだ。見るからに幼く、けれども魔法技量において同期入団の導士たちを遥かに凌駕していた彼を育て上げるのは、麒麟寺一門として楽しみだったのだ。
実際、統魔が瞬く間に成長していくのは、側で見ていてとても頼もしかったし、素晴らしいとしか言い様がなかったことを覚えている。
才能の塊とは、統魔のような人間のことをいうのだろう。
統魔は、魔法士として必要な能力を全て高水準で備えており、それらを磨き上げていけば、宝石の如く光を放った。いまやその輝きは星そのものとなり、戦団の超新星の名をほしいままにしている。
「でも、おれは」
統魔が手を止めた隙を見逃さず、朝彦は陽炎を振り抜き、二刀の光剣を弾いた。その瞬間、がら空きになった統魔の腹を蹴りつければ、大きく吹っ飛ぶ。
「おれは、なんや?」
「……おれは、味泥さんに学びたい」
「そんなこというたらあかん。お師匠はんが悲しむで。あのひと、ああ見えて情に厚いひとなんやから」
「わかってます」
そんなことはいわれるまでもない、と、統魔は朝彦を睨んだ。蒼秀と師弟の契りを交わしてからというもの、蒼秀に様々なことを学んだ。基礎から応用に至るまで、魔導院で学んだことは再び、学ばなかったことは最初から――導士として必要なことのほとんどすべてを師に叩き込まれたものだ。
星象現界を体得すれば、その力の制御方法を徹底的に教えてくれたのも、蒼秀だった。
師は、師だ。
偉大にして唯一無二の存在。
統魔の導士としての根本のような人物であり、故にこそ、大切に想っているし、時間さえあれば、直接指導してもらいたいと常々考えている。
しかし、蒼秀は軍団長である。ただでさえ忙しい身分である蒼秀は、この半年、頻発する大規模幻魔災害などの対応や事後処理を巡り、多忙に多忙を極めていた。そんな蒼秀の余った時間を弟子のために費やして貰おうなどとは、とてもではないが思えないのだ。
少しでも休んで貰いたいからだ。
無論、蒼秀から指導してくれるというのであれば、喜んで応じるのだが。
だから、というわけではないにせよ、朝彦に頼りがちだった。
「師匠が弟子想いなのは、わかってるんです。でも、師匠は多忙でしょう。おれのために時間を割くくらいなら、しっかり休んで欲しいんですよ」
「まあ……その気持ちもわからんではないけどな」
朝彦は、秘剣陽炎を解除すると、その場に座り込んだ。星象現界の酷使によって、星神力は愚か、全身の魔素という魔素を消耗し尽くしてしまった。これでは、統魔と戦うことなどできるはずもない。
統魔も、どういうわけか星象現界を解除すると、朝彦に歩み寄ってくる。
「蒼秀はんは、頼られるのが好きなひとやから、頼れるだけ頼ったったらええねん。時間は有限やで。いつまで蒼秀はんに教わることができるもんか、わかったもんやあらへんねん」
「……それは」
「おれは、第五軍団に行く。軍団長になるためにな」
朝彦がその場に寝転がったのを見て、統魔もそれに倣った。幻想空間上に再現された魔界の空は、隙間ひとつなく雲で覆い隠されている。
「城ノ宮軍団長が亡くならはって、長い間空席やったやろ。相応しい人材がおらんから、このまましばらく空席なんかなーって、だれもが思てたはずや」
「……はい」
それについて、統魔にも異論はない。
軍団長に相応しい人材となると、戦闘部を見回してもそういるものではない。星象現界を体得した煌光級の導士ならば軍団長に相応しいかといえば、そんんなことはないのだ。それは、軍団長に必要な最低条件のようなものである。
そして、最低条件を満たした上で、ひとの上に立つだけの能力を持つ人格者でなければならない。
それこそ、城ノ宮日流子のような立派な人間でなければ、軍団長は務まらないのだ。
ただ魔法技量があればいいというわけではない。
断じて。
「おれも、そう思うてた。まさか、おれに白羽の矢が立つやなんて思いも寄らんかったで」
「そうですか? おれは、美乃利副長か味泥さんのどちらかじゃないかって踏んでましたけど」
「……っちゅーことはや、きみ、おれが第五軍団長になる可能性を感じてたってことやないか」
「はい」
「……あのなあ」
朝彦は、横目に統魔を見た。彼の表情は、先程までの剣呑さなど露知らぬ、普段通りの少年めいたものになっていた。朝彦が思わず見取れかけるほどだ。統魔の魅力は、性別を問わない。
「せやったら、おれが第五軍団長になることを祝福してくれてもええんちゃうの」
「祝福はしてますよ」
「そんな感じ、全然せえへんけど」
「それは気のせいです」
「なにがや」
「だって、おれは、味泥さんのこと、心の底から尊敬していますし、いつか味泥さんが軍団長になれる日が来るのを待っていたんですから」
「ほー……」
朝彦は、統魔の真っ直ぐすぎる視線に目を細めた。その深紅の瞳に映るのは、朝彦の顔だ。朝彦は、もちろん、統魔からの好意に疑問を持たない。そんなものは、いわれるまでもなくわかっていたことだ。
だから、聞いてみたのだ。
「せやったら、皆代小隊全員でうちに来るか?」