第千百六十三話 兄弟子、弟弟子(二)
朝彦に敗れ、一度現実世界へと帰還した統魔が再び幻想空間に現れるまでに十秒とかからなかった。
訓練である。
何度斃されようとも即座に再挑戦するのが導士の常だ。それくらいの心構え、やる気がなければ、戦士として戦場に立つことなどかなうわけもない。そもそも、一度やられたからといって諦めるようでは、訓練の意味がないのだ。
朝彦は、傷ひとつない統魔の姿が目の前に現れたのを認めると、やはり即座に星象現界を発動したのを認めた。
「やる気やな」
「当たり前でしょ」
統魔は、朝彦が秘剣陽炎をゆらりと掲げる様を見て、地を蹴った。一足飛びに踏み込みながら十五体の星霊を解放する。ギリシア神話の神々からその名を取られた星霊たちは、その名に相応しい神々《こうごう》しさと力を以て具現、周囲を圧倒した。
朝彦の視界を掌握するかの如き神々の降臨、その真っ只中を突き進んでくるのが統魔であり、その両手に光の剣を形成したかと思えば、目にも止まらぬ連続攻撃を仕掛けてきた。だが、統魔の剣撃を受け止め、星霊たちの猛攻に曝されたのは、幻影。
秘剣陽炎が生み出す実体を持つ幻影は、一瞬、反応を示した。つまり、統魔の光剣を受け止めたのである。だが、偽物の秘剣陽炎は、光剣に触れた瞬間に蒸発し、消滅した。そのまま、幻影体そのものが切り裂かれ、爆散する。
爆光。
幻影体が、込められた星神力ごと炸裂し、統魔を吹き飛ばしたのだ。
爆煙とともに吹き飛んでいく統魔に朝彦が多数、殺到する。それらはいずれも幻影体だ。戦闘能力を持たない、ただの分身たち。だが、魔素質量の塊であるそれらを偽物と看破することは、簡単ではない。
事実、統魔には、群れ集う数十体の幻影体の中に本体がいるかどうかも判断できなかった。完全無欠なほどの精巧さを誇るだけでなく、おそらく朝彦の意のままに動いているのだ。
戦闘能力は持っていない。が、目眩ましに戦闘能力など必要なかった。
もっとも、
(本体がわからないのなら、全部排除するまで)
統魔は、空中で体勢を整えると、光剣二刀流を振り回した。肉迫する幻影体たちを次々と切り裂き、爆散させる。凄まじい爆発の連鎖。だが、それによって生じる爆圧は全て、星霊たちが吸収してくれている。身を挺し、盾となったのだ。
そして、ついにすべての幻影体を破壊すると、本体は統魔の目の前にいなかった。視線を巡らせれば、視界を埋め尽くす数の幻影体が出現している。
朝彦は、秘剣陽炎の能力によって幻影体を作り出しながら、戦場を逃げ回っているらしい。幻影体の自爆特攻でもって相手の生命力を削りきるというのが、今回の戦法なのだろう。
統魔は、星霊たちを展開、布陣させると一斉に攻撃させた。嵐が起こり、雷撃が天地を蹂躙する。火球が、洪水が、魔法の帯が、ありとあらゆる属性の魔法が目まぐるしく飛び交い、入り乱れ、舞い踊り、戦場に出現した幻影体の尽くを爆散させていく。爆発に次ぐ爆発。盛大な花火大会を見ているような、そんな感覚すらあった。
「相変わらず、圧倒的としか言い様がないで」
朝彦の呆れ果てたような声は、導衣の通信機を通して聞こえてくる。よって、声を頼りに相手を探すことはできない。
幻影体は、一掃した。
視界に広がるのは、魔界の山岳地帯だが、先程の攻撃と爆発によってその形状を大きく変えていた。巨大な穴が無数に生まれ、結晶樹の残骸がそこかしこに散らばっている。
「味泥さんにいわれたくないな」
「なんでや」
「味泥さんは、第九軍団の杖長筆頭でしょう」
「……せやな」
朝彦は、頭上を仰ぎ見、統魔が星霊たちに山岳地帯を破壊させ始めたのを認めた。山岳地帯のどこかに朝彦が隠れていると考え、それならば地形もろとも破壊し尽くせばいいのではないかと考えたようだ。
しかし、そんな真似ができるのは、戦団内でも一握りの導士だけだ。
統魔は、そんな一握りの導士に含まれる。
(極一部の、な)
朝彦は、己がそこに含まれていない事実を実感しながら、秘剣陽炎の柄を握り締めた。無数の幻影体による自爆特攻は、星神力の消耗を加速させた。ただでさえ消耗が激しいのが星象現界だ。星象現界を維持し、さらにその能力を駆使するとなれば、あっという間に尽きかけるのも道理だった。
(しゃあないやろ)
そうでもしなければ、朝彦が統魔を出し抜くのは難しい。
先程と同様の戦法は、通用しまい。ならば、全く別の戦法に切り替えるしかないのだが、物量作戦を実行し続けるには、朝彦の星神力は足りなさすぎた。
統魔ほど莫大な星神力を持っているのであればまだしも、朝彦のそれは、杖長の中では多いほうであって、星将に匹敵するかどうかという程度に過ぎない。
そして、統魔の星神力が並外れて膨大であり、星将に匹敵するどころか凌駕するほどのものだという事実を認めるしかないのだ。
そして、その星神力総量の差が、そのまま戦闘結果に表れる。
「で、次期第五軍団長だ」
「……おう」
通信機越しに聞こえた統魔の声がいつになく低く、冷えているように感じて、朝彦は、なんともいえない顔になった。
統魔にそのことを伝えたのは、今朝のことだ。朝彦の栄達を聞いた統魔は、見るからに強い衝撃を受け、動揺さえしているようだった。朝彦を真っ直ぐに見つめる紅い瞳の奥に波紋が生じたような、そんな反応。
朝彦の期待とは異なる反応に戸惑いすら覚えたものだが。
「なんでもっと早く教えてくれなかったんですか。ずっと前に決まってたんですよね?」
「決まったのは半月くらい前のことや。ずっと前っちゅーほど前やない」
「そんなの、言い訳じゃないですか」
「言い訳? 言い訳か?」
「言い訳です」
統魔の断言とともに山岳地帯が吹き飛び、朝彦の姿が露わになる。分厚い地層が朝彦の星神力すら覆い隠していたのだが、それがなくなれば、上空から彼の姿を視認することは容易い。秘剣陽炎を手にしているのだ。
星神力が、陽炎のように揺らめいている。
「……なにを怒っとんねん」
「怒ってません」
統魔は告げ、朝彦へと殺到した。虚空を蹴り、光の矢の如く飛んでいく。まさに一条の光芒となって地上へと降り注いだ統魔に対し、朝彦は、覚悟を決めて秘剣を振り上げた。二刀の光剣による連撃を陽炎で捌いていく。光の剣の激突は、そのたびに星神力を発散させ、周囲の地形を激変させた。大地に亀裂が走り、岩盤が隆起し、爆煙が吹き荒ぶ。
「おれは、味泥さんが教えてくれなかったことに怒ってるんです」
「怒っとるやないか」
「怒ってません!」
「さっきからいってることとやってることがめちゃくちゃやで、きみ」
「味泥さんにいわれたくないです!」
「なにがや」
「味泥さんだって、矛盾と混沌の塊じゃないですか!」
「なんやそれ」
朝彦は、辛くも統魔の連続攻撃を捌いていたが、それも長続きはしないと確信していた。幻影体を大量に生成したつけというべきか。星神力を消耗するということは、戦闘能力だけでなく、正常な判断力も失われていくということだ。星神力は、魔力を超密度で圧縮し、昇華したものである。それを消耗し尽くすということは、つまり、全身の魔素という魔素を絞り出したということに等しい。
魔素は、魔力にのみ用いられるものではない。人体のあらゆる機能に影響しており、それらを絞れるだけ絞り出せば、当然、反動が、悪影響が出るものなのだ。
「おれに第九軍団の柱になれっていったくせに、自分は第五軍団に行くって、どういうことなんですか!」
「言葉のままの意味やろ。どこが矛盾しとんねん」
「どうして、おれを導いてくれないんですか!」
「皆代、きみの師匠はおれやない。蒼秀はんやろが。そんなに導いて欲しかったら、蒼秀はんに、師匠に導いてもらえや」
統魔のそれは、もはやただの感情論だ。そこに理屈などあろうはずもなく、よって、正論をぶつけてもなんの意味もないことは、朝彦にははっきりとわかっていた。
だからこそ、伝えなければならない。