第千百六十二話 兄弟子、弟弟子(一)
「なんや、随分と剣呑やな」
朝彦は、統魔の目つきの鋭さに対し、笑うしかないという気分だった。まるで敵でも睨み付けるかのようなまなざしには、弟弟子の胸中に渦巻く複雑な想いが込められているのだろうが、それにしたって鋭利にもほどがある。
研ぎ澄まされた刃のようだ。
ここは、幻想空間。
央都から遠く離れた魔界の山岳地帯を模した戦場は、見渡す限りの山々と、山肌を覆い尽くす大量の結晶樹によって成り立っている。頭上は真っ白で、空の青も太陽の光も見当たらない。渦巻くのは、大量の魔素。魔界に満ちた純粋にして莫大極まりない魔素が、異様なほどの濃密さで流れているのだ。
それらがただの情報に過ぎないことはわかっていても、意識は、誤認する。幻想空間と現実世界の差違を完璧に把握できるほど、人間の脳は高性能ではないのだ。
(っちゅーよりは、幻想空間が出来過ぎやねんな)
なにもかもが完全無欠に近く再現された仮想空間は、現実世界となんら遜色ないのだ。
そして、そんな現実世界となにひとつ変わらない仮想空間にいるのは、朝彦と統魔のふたりだけである。
幻想空間上に構築された空白地帯の荒涼たる大地、そのただ中にあって、対峙している。最新型の導衣を身に纏い、手には最新型の法機を握り締め、両者の間にはただならぬ空気が流れていた。
「これ、訓練やんな?」
「はい。ご覧の通り、幻想空間を利用したただの訓練です」
「……おう」
なんともいえない気まずさを感じることには大いに思い当たりがあるから、朝彦は、うなずくほかなかった。
統魔が訓練を持ちかけてくることは、よくあることだ。ふたりの師である蒼秀は、軍団長ということもあって多忙を極めている。筆頭杖長である朝彦も暇人というわけではないのだが、軍団長と比較した場合、時間的余裕があるのだ。故に、弟弟子の面倒を見ることも少なくない。
それは、必ずしも統魔のためだけではない。
朝彦にとって、大きな実利があった。
なんといっても、統魔は、世代最強の魔法士といっても過言ではないのだ。逸材も逸材である。いまや星象現界に目覚め、煌光級にまで上り詰めた彼は、世代間だけでなく、戦団全体を見渡しても最高峰の魔法技量の持ち主だ。
足りないのは、経験くらいのものではないか。
魔法技量だけを見た場合、統魔に匹敵する導士のほうが遥かに少ないはずだ。
そんな統魔との訓練は、朝彦の魔法技量をさらに鍛え上げ、研ぎ澄ませるのに打って付けだった。
事実、統魔が星象現界に目覚めてからというもの、朝彦は、より強い刺激を受けるようになり、星象現界のさらなる力の獲得へと至っている。
よって、朝彦は、この統魔とふたりきりの訓練を好ましいと思っていたし、弟弟子からただようなんともいえない空気感さえも好ましく思うのだ。
「ということで、最初から、全力で」
「ま……せやな」
朝彦は、統魔の全身から満ち溢れた星神力が複雑にして緻密な律像を形成していく様を目の当たりにして、肯定した。飛び退きつつ魔力を練成、星神力へと昇華し、律像を紡ぐ。多層構造の律像は、星象現界の発動がためのものであり、どれだけ魔法技量を磨こうともそれなり以上の時間を要する。
魔法が強力であれば強力であるほど律像の完成に時間がかかるのは、魔法士の数少ない欠点といえる。だが、そのような欠点など、魔法のもたらす結果によって容易く覆されるのだ。
「万神殿」
統魔の律像が完成し、真言が唱えられると、その全身から黄金色の光が発散された。それは莫大極まる魔素であり、星神力そのものである。幻想空間上に充ち満ちた魔素を圧倒し、吹き飛ばすほどの黄金の光は、瞬く間に統魔の全身に収束すると、光り輝く金色の衣となった。その背後に日輪を連想させる光の輪が出現し、十五本の光線が伸びていく。まるで後光だ。
統魔のその姿は、神話の中から登場した太陽神の如くであり、見ているだけで圧倒されかねない。
(相変わらず、壮観やな)
朝彦は、むしろだからこそ嬉しいのだ。ほくそ笑み、真言を発する。
「秘剣陽炎」
朝彦の攻撃的な律像が星神力とともに発散し、軽く掲げた右手の先へと収斂していく。膨大かつ超高密度の魔素の収束と変化によって具現するのは、まばゆい光を帯びた両刃の直剣。その長い柄を握り締めると、朝彦の意識が瞬時に研ぎ澄まされたかのような感覚があった。
星象現界の発動は、どのような型式であれ、術者の能力を飛躍的に向上させる。
魔力を星神力へと昇華させた段階で大幅な能力の向上を実感できるのだが、そこから星象現界へと至れば、さらなる領域へと足を踏み入れたのだと感覚的にわかるはずだ。肥大した意識が、鋭敏化した感覚が、自分が全能者であるかのような錯覚さえ抱かせる。
それは、初めて魔法を使ったときの感覚に似ている。
その感覚に身を委ねれば最後、暴走し、取り返しのつかない結果になることが目に見えるくらいの万能感。絶対者の如き力の脈動――。
「星象現界同士の戦闘訓練や。遠慮はいらへん」
「遠慮なんて、しませんよ」
朝彦に対し、統魔ははっきりと宣言した。一歩踏み込み、地を蹴ると、一足飛びに間合いを詰める。風を切るというよりは、大気の層を突破するかのように、一瞬にして朝彦の元へと殺到、右手を振り抜く。手には、いつの間にか光の剣が握られていた。星神力の結晶たる光の刃。朝彦が秘剣陽炎で受け止めると、刃と刃が触れ合っただけで凄まじい反発が起きた。衝撃が刀身から全身を貫く。が、それだけだ。直後、朝彦の姿が掻き消えた。
まさに、陽炎の如く。
統魔は、光剣が空を切るのを見届けるまでもなく、その場から飛び離れた。頭上から降り注いだ無数の光線が、周囲一帯を粉々に破壊していく。
統魔が攻撃したのは、秘剣陽炎の能力によって生み出された朝彦の幻影。しかも魔素質量を欺瞞したものだったため、統魔の第六感・魔覚をもってしても判別できなかった。極めて高性能な偽装魔法。
(さすがだな)
統魔は、頭上を見遣り、舌を巻いた。朝彦が複数、白雲の下を漂っていたのだ。それらすべてが同等の魔素質量の塊のように感じられたし、それぞれが秘剣陽炎を手にし、律像を浮かべてすらいた。
そのうち本体は一体で、それ以外すべてなんの力も持たない偽物に過ぎない。
故に統魔は、光輪から十五本の光条を射出した。それらが強烈な光を放ちながら飛び出せば、つぎの瞬間にはそれぞれ異なる姿を取る。神々の名を与えられた十五体の星霊たち。それらは、統魔の意のままに上空へと移動すると、様々な攻撃手段で朝彦の分身を攻撃していった。
朝彦の分身は全部で二十体はいただろうか。それらのほとんどすべてが戦闘能力を持たないがため、星霊たちの一撃で破壊されていく。ポセイドンの三叉矛が、アテナの大身の槍が、アポロン、アルテミスの放つ矢が、つぎつぎと分身を粉砕していくのである。
その間、統魔は本体探しに視線を巡らせたが、ふと気づき、背後に向き直った。激しく流転した視界の端に光が煌めいた。死の大地そのものたる風景に違和感がある。それがなんであるか調べる必要はない。
統魔は。星霊たちに命じ、視界に映るすべてを破壊させた。
絨毯爆撃にも等しい攻型魔法の炸裂が、結晶樹に覆われた山肌を薙ぎ払い、大穴を開けた。だが。
「いくらなんでも容赦なさすぎやろ」
「それ、おれの台詞ですよ、味泥杖長」
統魔は、腹を貫く両刃の剣を見下ろし、そこから全身へと至る激痛に満足感さえ覚えながら、つぶやいた。
朝彦は、そんな統魔の背後に立ち、十五体もの星霊による爆撃の凄まじさに拍手さえしたい気分だった。