第千百五十七話 師弟(二)
止まらない砲撃の連射が、鳴り止まない爆音の連鎖となり、意識を席巻していくかのようだ。飛来する無数の砲弾が、美由理の前方広範囲に展開する大氷壁に直撃しているのだ。直撃と同時に起こる爆発が、少しずつだが確実に大氷壁を削っていく。そして、間断なく殺到する砲弾を見れば、F型兵装の強みがわかってくるというものだ。
美由理は、目を細めた。精神を統一し、意識を集中させ、魔力を昇華していく。星神力へ。
一方の幸多は、地上を超高速で滑走しつつ、遥か上空の美由理を目標に定め、砲撃を続けていた。百発百中の命中精度を望むのであれば、動かず、体をその場に固定するべきなのだが、相手は戦団最高峰の魔法士である以上、そのような真似ができるはずもない。
魔法士の戦いは、超高速戦闘が基本だ。
重力を無視する飛行魔法による移動もそうだが、攻型魔法の数々もまた、超高速で飛来する。撃式武器による遠距離攻撃、その命中率を高めるというためだけに足を止めるのは、みずから的になりにいくようなものだ。その結果は、目に見えている。
惨敗だ。
故に、幸多は、全速力で移動しつつ、轟雷を連射するのだ。両腕に抱えた二門と、千手に抱えさせた二門、合計四門の機関砲が、間断なく砲撃を続ける。砲撃時の反動は、鎧套に吸われ、幸多に襲いかかってくることはない。でなければ、機関砲を連射することなどかなわないだろう。
地上を滑走し続ける幸多が目標を捕捉し続けていられるのは、並外れた動体視力と、鎧套に備わった万能照準器のおかげだ。それと、銃王弐式に備わった火器管制装置。そして、ユグドラシル・システム。それらすべてがひとつとなって、幸多に星将との戦闘を可能としていた。
水穂市内の入り組んだ地形を模した幻想空間、その地上を全速力で、縦横無尽に滑走しながらも、幸多の放った砲弾は現状、ほぼほぼ美由理の大氷壁に直撃、その分厚い魔法壁を削りつつあった。
(さすがに硬いな)
幸多は、美由理の防型魔法の凄まじさに舌を巻く。いつものように。
そう、いつものことなのだ。
ここ最近、毎日のように美由理から直接指導を受けているのだが、そのたびに実感するのは、軍団長にして星将たるものの実力であり、自分との圧倒的としかいいようのない力の差だ。それは、身体能力とか反射神経といったような一部の能力に関するものではない。
戦闘に関する総合力である。
戦闘能力とも呼ばれるそれは、美由理によれば、究極的には経験がものをいうらしい。
十年以上、導士として前線に立ち続けてきた美由理と、半年前に導士になったばかりの幸多では、比較しようもないほどの経験の差がある。そしてこれは、どう足掻いても埋めようのないものだ。
今後幸多が十年、二十年、導士を続けられたとしても、美由理もまた同じだけの経験を積むのであれば、追い着きようがない。
『そうはいっても、だ。きみの経験値は、十六歳当時のわたしより遥かに上だ。きみのこの半年間は、だれもが得難い経験の連続だったはずだ』
美由理の言葉が、幸多の脳裏を過る。
半年間。
幸多は、考える。戦団に入ってからというもの、確かに普通ではありえない、想像だにしないような経験の連続だった。大規模幻魔災害に巻き込まれたことが何度もあったし、鬼級幻魔と遭遇、交戦したこともある。そうした経験がいまの自分を形作っていることも、わかる。
美由理は、動かない。
大氷壁が削られ続け、ついには薄皮一枚ほどになっても、依然、遥か上空からこちらを見下ろしている状態のままだ。背後には、青すぎる空が広がっていて、入道雲がその巨大さを見せつけていた。季節外れの雲の大きさが、幻想空間であることを思い知らせるようだ。
(いや、違う……!)
幸多は、美由理の周囲に律像が渦巻いているのを認めて、はっとした。複雑にして精緻なる多層構造の律像。
その形には、はっきりと見覚えがあった。
(千陸百壱式――)
「――月黄泉」
美由理の真言は、低くも、しかし確かに幸多の耳に届いた。耳朶に突き刺さり、鼓膜を突き破るかのような、それほどまでの存在感を放つ、声。
瞬間、幸多は、美由理の背後に白銀の満月が出現するのを目の当たりにした。そして、満月が銀色の閃光を放てば、幻想空間内の時間が静止する。
伊佐那美由理の星象現界・月黄泉は、時間を支配する唯一無二の魔法だ。発動すれば最後、魔素を持つものはその時間を止められてしまう。止まっている時間を認識できるものは、いない。
ただひとり、幸多を除いて。
幻創機を通じてこの訓練に関する情報を集積しているユグドラシル・システムですら、静止した時間を認識することはできなかった。
幸多が、月黄泉発動の直前まで連射していた砲撃も、止まった。数多の砲弾が空中で動きを止めていて、その遥か向こう側で爆煙が凍り付いていた。ついに大氷壁に穴が空き、美由理がその凍てついたまなざしを覗かせたものの、その周囲に飛び散る無数の氷の破片が、彼女の魅力を引き立ててさえいた。
時が凍りついた。
美由理は、大氷壁に穿たれた穴に手をかけ、押し広げようとしたものの、すぐさま諦めた。時間静止中、干渉できるものは限られている。そして、その場から降下すれば、幸多がどうにかして抱え込んでいた機関砲を手放したところだった。
幸多自身は、月黄泉の影響を受けない、時間静止中に動くことのできる稀有な存在だが、その身に纏うF型兵装は、魔素の塊である。闘衣だけならばまだしも、鎧套を着込んでいる以上、その全力を発揮することはかなうまい。
美由理が幸多に接近するまで、彼はその身に付けている武装を解除することもできずにいた。そして、美由理を見る。その褐色の瞳に動揺があった。
「わたしの手札は、知り尽くしているはずだが」
「それはそうなんですが」
幸多は、美由理の淡々とした指摘に反論ひとつできなかった。
つぎの瞬間、満月の銀光が途絶え、時が動き出したかと思えば、幸多は、足元から隆起した氷柱に吹き飛ばされていた。鎧套の分厚い装甲があればこそ耐えられたものの、しかし、大打撃を受けたのは間違いない。全身に走る激痛が、致命的な一撃に等しいことを伝えている。しかも、美由理の攻撃は、それだけに留まらない。
空中高く打ち上げられた幸多に対し、四方八方から氷塊や氷柱が襲いかかり、痛撃を叩き込んだのだ。付け入る隙のない連続攻撃。銃王弐式を立ち所に打ち砕き、闘衣すらも損壊させていく。
幸多は、物凄まじい勢いで地面に叩き付けられ、血反吐を吐いた。口の中に広がるのは、鉄の味。内臓がやられた。が、そんなことを気にしている暇はない。すぐさま地面に手を付き、起き上がって、飛び上がる。体は軽い。銃王弐式の大部分が破壊されたからだ。故に、幸多は呪文を唱える。
「送還」
転身機が反応し、幸多の体に残った鎧套を完全に取り除いた。闘衣だけとなったのだ。美由理が星象現界を発動した以上、魔法合金の塊を身につけるのは悪手以外のなにものでもない。
先程のように時間静止中に魔法を設置され、解除とともに連続攻撃を食らいかねない。そして、そんなことになれば、敗北必至だ。
既に、体力差は圧倒的。
このままでは勝ち目はない。
(それは最初からか)
相手は、偉大なる師であり、戦団最高峰の導士が一人。当代における最強の魔法士の一角であり、五星杖の一。
氷の女帝、伊佐那美由理。
幸多は、美由理の背後で、白銀の月が輝くのを見た。時間が静止する。
だが、闘衣だけになった幸多には、なんの影響もない。風が止まり、雲が流れなくなったとして、それがなんだというのか。
魔法士が相手ならば、魔素の塊が相手ならばともかく、魔素を持たない幸多には、完全無能者には、なんの効果もないのだ。
それが唯一無二の月黄泉の弱点なのではないか。