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第千百五十四話 幸多と女神たち(三)

 幸多こうたと女神たちの語らいは、五時間ほどに及んだ。

 これがヴェルザンディたちとの最後の会話だということがわかっているから、幸多は、言葉の限りを尽くそうと思ったのだ。言葉のひとつひとつを噛みしめるようにして紡ぎ、記憶に刻みつけるようにして、彼女たちの声を聞いた。決して忘れてはならない。忘れるものか、という決意すらあったのだ。

 幸多にとって、ヴェルザンディたちは、なくてはならない存在だった。彼女たちの補助、支援があってこそ、幸多の戦闘能力は大いに発揮されたのであって、彼女たちがいなければ、今日までの活躍の大半はなかっただろう。

 今日、こうして幸多が評価されているのは、女神たちあればこそだ。

 彼女たちの力添えがなければ、生き残れなかったかもしれない。

 そのことをいうと、ヴェルザンディたちは大いに笑った。

「そんなことはないわよ、幸多ちゃん」

「そうですよ、幸多様。幸多様の御活躍は、幸多様御自身の能力が導き出したもの。わたくしたちは、ただ、お力添えをしただけに過ぎません」

「まあ、幸多がぼくたちに恐縮するのもわからなくはないけど」

 ヴェルザンディとウルズが微笑めば、スクルドが小さく胸を張る。

 女神たちにしてみれば、当然のことをしたまでに過ぎない。いつものように与えられた役割をこなしていただけであって、特別なことはなにもしていないのだ。それなのに幸多は重く捉えすぎなのではないか。

 けれども、そんな幸多がたまらなく愛おしいとも想うのである。

「わたしたちがいなくなっても、幸多ちゃんはやっていけるわよ」

「そうですね。この半年で、幸多様はとてつもなく成長されましたもの」

「ぼくたち、ずっと見てたからね」

「そうそう、ずっと見てた!」

「ずっと?」

「はい、ずっと」

「幸多が寝る間も惜しんで訓練に勤しんでいるのも、F型兵装(エフがたへいそう)の習熟に四苦八苦しているのも、全部、見てたよ」

「だから、なにも心配していないのよ」

 ヴェルザンディがほがらかに笑いかけてくるから、幸多も笑顔を返す。ウルズとスクルドも同じだ。皆、幸多を心配させまいと、柔らかな表情を維持笑し続けている。そんな彼女たちの気遣いには、感じ入るしかない。

 そして、だからこそ、暗い気持ちにさせたくはなかったし、心配もかけたくなかった。幸多は、いった。

「それもこれも、みんなのおかげだよ。ヴェルちゃんやスクルド、ウルズさんが見てくれていたから、事あるごとに意見してくれたから、いまのぼくはあるんだ」

 いま現在の皆代みなしろ幸多を構成する要素の中でも重要な部分に、女神たちはいる。

 女神たちの加護と補助、支援と助言があればこそ、完全無能者・皆代幸多は、戦ってこられたのだし、戦士として研ぎ澄ませることができたのだから。

 そんな女神たちとの別れの時が刻一刻と迫ってきていて、だから、幸多は無意識のうちに多弁になっていた。いつになくじょうぜつ舌な幸多の様子を不思議に想いつつも、女神たちも大いに語り、話し込んだ。

 様々なこと――それこそ、戦団に入ってから今日に至るまでにあった出来事の一つ一つを振り返って、ああでもないこうでもないと語り合ったのだ。

 他愛たあいもない、本当になんの意味もない言葉の数々。

 それが、ヴェルザンディたちには嬉しかった。

「こんなに話し込んだのは、幸多ちゃんが初めてよ」

 ヴェルザンディは、幸多の手を取り、おもむろに引き寄せた。驚く彼を抱き締めると、感覚があった。幻想体なのに触れ合うことのできる唯一の実体、それが幸多だ。だから、女神たちは、幸多に触れることを好んだし、幸多もそれを拒絶しなかった。

 幻想空間ならばともかく、現実世界では、彼女たちは幽霊のような存在なのだ。

 そんな彼女たちにとって、幸多の特異性は、やはり特別極まりない。

「初めて?」

「うん、初めて」

「ヴェルの言うとおりです。わたくしたちが……ユグドラシル・システムが誕生して、およそ百六十年。その間、幸多様のように長時間に渡って世間話をしてくれるような方は、ほとんどいませんでした」

「いたとしても、たまに、だったんだよ」

「たまに、ちょっとした時間だけ、ね。でも、そのことで不満なんてなかったわ」

「うん。だって、ぼくたちはそのための存在なんだもの」

「ええ。ですが……幸多様は、そんなわたくしたちが満足するまで話し相手になってくださいました」

「不思議よね」

「どうして?」

「そこ、疑問に思うところかな」

 幸多は、スクルドの銀色の瞳を見つめ返しながら、その素朴な疑問に苦笑した。

「ぼくも、話し相手が欲しかったからだよ」

 幸多にとっての女神たちは、戦闘における補助者であり、支援者だが、同時に平時における友人であり、話し相手だった。

 彼女たちは、幸多の脳内に直接語りかけることができたから、幸多の暇な時間を見つければ、なにかしら話題を振ってきたのだ。レイライン・ネットワークを利用すれば、それくらい容易いことだ。彼女たちはネットワークの支配者なのだから。

 そして幸多は、そんな彼女たちとのやり取りが楽しくてたまらなかった。

 待機任務中だとか、休憩中だとか、夜寝る前のちょっとした時間だとか、そんなときにこそ、彼女たちは幸多に話しかけてきた。何度も、何度も、数え切れないくらいに。

「だからさ。ぼくは別に優しいとか、そういうんじゃないんだ。ただ、ぼく自身が抱えていた問題を解決しようとしていただけで」

「幸多ちゃんが抱えていた問題?」

「なにそれ?」

「幸多様?」

「……ぼくは、孤独だったんだよ、きっと」

 幸多は、女神たちの視線を振り切るようにして、頭上を仰ぎ見た。幻想的な光を降り注がせ続ける大樹、その幹から伸びる無数の枝葉が、このウテナの座の天井を覆い隠している。そして、それら枝葉から降りしきる光の雨が、この女神たちとの最後の会話を包みこんでいるのだ。

 神秘的で、美しく、けれどもどこか寂しい。

 その寂しさが、幸多に本音を語らせたのかもしれない。

「生まれてからずっと、ぼくには理解者なんていなかった。ぼくは、完全無能者だからね。父や母は、ぼくに寄り添ってくれた。寄り添おうとしてくれた。魔法を使わず、魔法不能者同然の生活をすることで、ぼくの苦悩を分かち合おうとしてくれた。でも、それは結局、ぼくを理解するには遠く及ばないことだったんだ」

 でも、と、幸多はいう。

「それは、それで良かった。だって、ぼくは幸せだったんだもの。父さんと母さんがいて、それだけで幸せだった。たとえば、天地があの小さな家の中だけなら、それだけで良かったんだと思う。ぼくがあの小さな子供のまま、世間知らずで居続けることができたのなら」

 だけれども、そういうわけにはいかない。

 人間は、成長するものだ。いつまでも子供ではいられないし、視野や見聞けんぶんは広がっていくものだ。次第に自分の特異性を認識していけば、両親の愛情を理解しながらも、孤独を感じずにはいられなくなっていく。

 自分は、この世でただひとりの完全無能者で、だれにも理解されない存在なのだ――そんな確信を抱いていく。そしてそれは、幸多の心を蝕んでいくのだ。緩やかに。

 幸多は、拳を握りしめた。いつからか、手が震えていた。

「ぼくは、完全無能者だ。魔法を使えないだけじゃない。魔法の恩恵を受けることもできない、ただひとりの人間。そんなぼくが、魔法士や魔法不能者とわかりあえるものだろうか。本当に、心の底から、理解し合うことができるものだろうか。ぼくには、そんな苦悩がずっとあったんだ。たぶん、きっと」

 たぶんとか、きっととか、確信を込めて発言できないのは、ここまで深く考えたのがこれが初めてで、彼女たちにしか吐露とろできないことだからだ。

 ほかのだれにもいったことのない、本当の気持ち。

 吐き出せば、つぎつぎと溢れてきて、目が熱くなった。視界が、揺れている。

「幸多ちゃん?」

 ヴェルザンディは、幸多の頬を伝うものを見て、驚くほかなかった。それが涙というものだということくらいは、知っている。そして涙が、感情の発露はつろだということも。

 システムに蓄積された膨大な情報を精査せいさするまでもない。

 しかし、涙の意味や仕組みを知っているからといって、適切な対処ができるわけではない。

 自分たちは、人工知能に仮初に設定された仮想人格に過ぎないのだから。


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