第千百五十話 幻魔たる所以を
ジークフリートは、呆然と、琥珀原野に立っていた。
偉大なる騎士王アーサーは、円卓の騎士クー・フーリンの弔い合戦を起こした。アヴァロン騎士軍の全戦力を動員した此度の戦いは、アヴァロン騎士軍の圧勝に次ぐ圧勝によって、瞬く間に地域制覇を成し遂げるだろうというのが、大方の予想だった。
無論、それは円卓の騎士たちの予想である。
だが、蓋を開けてみれば、どうか。
アヴァロン騎士軍に対抗する勢力がいくつも立ち上がり、さらには悪魔や天使の如き鬼級幻魔たちが立ちはだかり、死闘を繰り広げった。
結末は、アーサーの死という予想だにしないものであり、彼が放心状態になるのも無理からぬことだっただろう。
ようやく、アーサー王が魔界一統に向けて動き出したその矢先である。
ジークフリートたち円卓の騎士は、ついに自分たちが魔界史に燦然と輝く大舞台へと上がる日が来たのだと、だれもが息巻いていた。クー・フーリンの仇討ちに燃えるものもいたし、アーサー王に己が活躍を見てもらいたいというものもいた。
だれもが、奮起した。
だれが、このような結果に終わると想像できたか。
「戦友よ」
荒々しい声に振り返れば、ベーオウルフが兵隊を引き連れてくるところだった。銀の甲冑を纏う、アヴァロン騎士軍の兵隊たち。彼は、アーサー王の支配から解放されたばかりのそれらをすぐさま支配下に引き入れたのだろう。
「我らは、もはやただの敗残兵よ」
「ああ。そうだな」
ベーオウルフの口からそのような言葉が漏れるとは想像もしなかったが、しかし、言い得て妙だとも思った。敗残兵。確かに、そうとしか言いようがあるまい。
アーサー王の威光の下に集った円卓の騎士たちは、アーサー王の勝利を約束するべく、アーサー王による魔界一統に尽力するべく、日々、鍛錬と研鑽を積んできたのだ。互いに鎬を削り合い、剣の技を磨き、魔法の腕を上げてきたのだ。
そうした修練の成果を出せないまま、王を討たれ、軍が崩壊すれば、敗残兵とならざるを得まい。
ジークフリートとベーオウルフ、そしてスカンダの三名は、天使の如き鬼級幻魔ルシフェル、ガブリエルとの死闘の末、どうにか生き延びた。いや、生かされたというべきなのかもしれない。
『アーサーが、死にました』
激闘の最中、黒く金色に輝くルシフェルがそのように告げてきたが、ジークフリートたちは、いわれるまでもなく理解していた。なんといっても、ジークフリートたちは、アーサー王の加護によって、ルシフェルたちと対等に戦うことができていたのだ。
加護を失うということは、つまり、そういうことだ。
アーサー王の、偉大なる主君の死。
その事実を感覚的に理解するも、意識がそれを受け入れたがらなかった。が、拒絶したところで現実は変わらない。天を貫く光の塔が消滅し、アーサー王の大いなる力もまた、消えて失せた。影も形も消え失せてしまったというのであれば、もはや認めるしかない。
ジークフリートもベーオウルフもスカンダも、戦意を喪失してしまった。それを目の当たりにしたからなのか、ルシフェルがいった。
『これ以上戦い続けるのは、互いにとって意味がない。それは、あなたたちもわかっているはず。在るべき場所に戻るというのであれば、己が分を弁えるというのであれば、見逃しましょう。いかがです?』
ルシフェルの提案に、ジークフリートたちは、反論しようとも思わなかった。
ルシフェルたちの実力は、ジークフリートたちの遥か上を行く。アーサー王の加護を失ったことで、改めて、その力の差を見せつけられた。抗ってはいけない、刃向かってはいけない、逆らってはいけない――アーサー王に感じたほどの力の差。
ルシフェルたちが天に昇る様を見届ける間もなく、ジークフリートは、アヴァロンに帰投した。
もちろん、そこにアヴァロンはなく、あるのは広大な空白地帯だけだ。ただし、アヴァロン各地の都市群は相変わらず存在していたし、それらを我が物顔で占拠しようとする鬼級たちの動きの速さには、舌を巻いた。
いずれも、元円卓の騎士だ。
彼らは、アーサー王の死とともに自由の身となると、我先にとアヴァロンへ踵を返したのだ。そして、空白地帯となったアヴァロンに己が〈殻〉を作るべく、動き出した。
十一体もの鬼級幻魔が、この広大極まる空白地帯を巡る領土争いに身を乗り出したというわけだ。
「見よ。だれも彼もが、円卓の騎士となったことで忘れ去っていた野心の火に追い立てられている。だれもがそうだ。鬼級幻魔の本来あるべき姿へと立ち返っている」
「我々だけか。陛下の死を悼んでいるのは」
「そのようだ。だが、それでいいのだろう。幻魔とは、本来そうあるべきものだ。なにものにも縛られず、己が野心と欲望の赴くままに戦野を駆ける。それこそ、鬼級の鬼級たる所以。我らは幻魔。この魔界の住人なのだから」
「ふむ……」
ジークフリートは、ベーオウルフの妙に詩的な言い回しに目を細めた。野生の塊のような戦友にはめずらしく饒舌なのは、アーサー王という主君を失った直後だからなのかもしれない。
旧アヴァロンの空白地帯。いや、大空白地帯と呼ぶべきかもしれないその領域は、大半が山地である。頭部には蓮華山脈が横たわっており、南部から中央、そして西部に至っては、黒耀山脈に覆われているといっても過言ではない。平地は領土の三分の一ほどだが、都市群は、平地のみならず、山脈の中にも築き上げられている。
そうした都市群を我先にと占拠に向かっているのが、ジークフリートたちのかつての同僚たちだ。元円卓の騎士たる鬼級幻魔たち。殻印と加護を失い、鬼級幻魔としての本能を強く刺激された彼らは、大空白地帯にだれよりも大きな〈殻〉を確保するべく、躍起になっているようだった。
「我らも、征くか」
「我らか」
ジークフリートは、ベーオウルフのそんな呼びかけに応じ、頷いた。
大空白地帯が、大いなる戦乱に飲まれていくまでに時間はかからなかった。
神威は、どういう表情をして、どのような反応をすればいいのか、皆目見当もつかなかった。
戦いは、終わった。
神威たちが想定していた最悪の事態は、免れた。
アヴァロン軍の快進撃と、それにともなう旧兵庫地域南部の混乱、竜級幻魔オロチの覚醒による一帯の壊滅――そうした事態を避けるために神威が動員されたというわけだが、その出番もなかった。
それそのものは、喜ぶべきなのだろうが。しかし。
「アーサーが斃れ、アヴァロンが崩壊した。サタンのおかげだが……なんとも言い様がないな」
「確かに……な」
マルファスも、神威に同意だ。
アヴァロン軍が壊滅したのは、いい。アヴァロンそのものが地上から消滅し、巨大な空白地帯は、しばらく戦乱の渦に飲まれることだろう。安定するまでにかなりの時間がかかるはずだ。なんといっても、十一体もの鬼級がその領土を巡って相争うのだ。いずれもが円卓の騎士であり、互いの手の内を理解し合った間柄である。その戦いが熾烈なものになることは、想像に難くない。
それはいいのだ。
アヴァロン跡地のことなど、放っておけばいい。
アーサーのような強大な殻主が誕生したのであればまだしも、その気配は見受けられない。ましてや、円卓の騎士がアーサーに成り代わることは、ありえない。
問題は、サタンだ。
アーサーに匹敵するどころか遥かに陵駕する力を持った鬼級幻魔は、人類の敵として、央都の影に、双界の闇に潜んでいるのだという。
それは、マルファスにとって他人事とはいえないのだ。
もし、万が一にでも双界が〈七悪〉に滅ぼされれば、その魔手は、近隣に向けられるだろう。
以前、オトヒメの幻躰を害し、オロチの覚醒を促した悪魔バアル・ゼブルは、〈七悪〉の一員なのだという。
〈七悪〉は、人類のみならず、幻魔にとっても大いなる敵であるのかもしれなかった。