第千百四十九話 騎士王アーサーと円卓の騎士(十四)
戦場が、坩堝の如き混沌に飲まれていく。
アーサーは、己が巨躯に満ち溢れる力の莫大さを認識しながら、コールブランドを掲げた。彼が魔力で練り上げた特大剣は、魔力を圧縮し、変異した力によって覆われ、天を衝くほどに巨大な光の塔と化している。この力がなんであるか、アーサーは知らない。
星神力や星象現界の知識を持っていないからだ。
だが、魔力を星神力へと昇華した以上、振るうのに知識は必要ない。アーサーがそれを証明している。溢れんばかりの圧倒的な力を制御し、十二本の光剣を振り回す。光剣は、彼の意のままに飛び回り、周囲を切り開き、平らげていく。倒れていくのは、数多の敵。反アヴァロン同盟軍などと烏滸がましくも名乗る連中の、雑兵たち。そこに鬼級は含まれないが、問題はない。
アーサーは、進軍する。
南へ。
ただひたすらに南へと進めば、ザッハーク領へと足を踏み入れた。ザッハークは、最前線で戦っている最中である。〈殻〉を護るのは妖級以下の雑兵ばかりであり、アーサーの行く手を阻むことはなかった。ただ進軍するだけで、進路上に存在する幻魔という幻魔が塵芥と化すからだ。
もはや、アーサーの障害となるものはない。
このまま数多の〈殻〉を攻め滅ぼし、この地域一帯を制圧し、魔界一統の第一歩とするのだ。
「まあ、よくやったんじゃないかな」
アーサーは、背後から聞こえてきた声の調子に眉根を寄せるようにした。振り向き様に光剣を乱舞させるも、それを切り裂くには至らなかった。
サタンである。
光剣とコールブランドの集中攻撃によって滅ぼしたはずの幻魔は、先程と変わらない姿で空中にあった。ちょうど、アーサーの目線の高さに浮かび、さながら黒い日輪のような光の輪を昏く輝かせながら、こちらを見ている。その双眸は、紅く黒い。幻魔特有の目。だが、その虹彩の眩さは、他の幻魔にはないものだ。
瞳の、闇の深淵そのものの如き有り様も――。
「汝は、何者ぞ」
「ぼくは、サタン。幻魔にして、幻魔ならざるもの。人類の敵であり、幻魔の敵。生きとし生けるものの敵。この世界に存在するあらゆるものの敵。だから、敵対者。そう名付けられたのは、たぶん、想像力の問題なんだろうけれど……まあ、相応しいとは思っているよ」
「なにを言っている?」
「餞別だよ」
サタンは、全周囲から殺到してきた十二本の光剣に対し、翼を広げることで対応した。六対十二枚の黒き翼がそれぞれ異形の刃へと変化し、光剣の尽くを受け止めて見せる。切り結び、吹き飛ばせば、さすがのアーサーも態度を改めた。
コールブランドを天に掲げ、再び光の塔を具象する。アーサーの星神力が収斂して建造される光の塔は、それこそ、天地を両断するほどに巨大だ。それを振り下ろせば、直線上のあらゆるものを消し飛ばすだろう。地平の彼方に至るまで。
だが、サタンは、涼しい顔でそれを見ている。アーサーの星神力の昂ぶりを、集中を、増幅を、ただ、あるがままの現象として受け入れているのだ。
十二本の光剣がまたもサタンに殺到した。光剣でサタンの意識を乱し、その隙を衝くようにして光の塔を叩きつけようというのだろう。
先と同じだ。
「餞別だと?」
「そう、餞別。きみほどの幻魔を死なせるんだ。なにか教えてあげたいというのは、ありふれた感情だろう」
「戯れ言を」
「戯れているのは、どちらのほうかな」
サタンの黒翼が無数に閃き、全ての光剣を打ち砕いていく光景を目の当たりにしたアーサーだったが、もはや止まることはできなかった。光の塔と化したコールブランドを振り下ろし、サタンに叩きつける。
手応えは、あった。
しかしそれは、サタンの右手に受け止められたことによる反動であり、衝撃であった。サタンの発する星神力の波動が、光の塔を構成する星神力と衝突し、凄まじいまでの反発を生み出す。爆発的な余波が、ザッハーク領を崩壊させていく。
連鎖的な破壊の嵐。
天地が入り乱れ、攪拌されるかのようであり、その力の渦の中で、アーサーの視界がねじ曲がった。踏ん張り、飛び退こうとするも、かなわない。コールブランドを掴まれている。アーサーは、咄嗟にコールブランドを手放し、素早くその場から離脱した。
遥か後方へ跳躍しながら、律像を練り上げる。十二本の光剣を再度具現するも、そのときには、彼の眼前にサタンがいた。
黒い竜の鎧を纏った悪魔は、その手と尾でコールブランドを握り締めており、特大の刀身を闇で覆っていた。光の塔ならぬ、闇の塔だ。この世に絶望的な闇をもたらす剣。
アーサーは、吼えた。あらん限りの力を解き放った。十二本の光剣をサタンに向かって飛ばし、さらに破壊的な魔法を連発する。光弾、光柱、光芒、光波――ありとあらゆる光魔法がサタンに殺到するが、彼は表情ひとつ変えなかった。
闇の塔をアーサーに叩きつけ、白金の装甲に鎧われた巨躯を真っ二つに断ち切っていく。アーサーは、最後まで吼え続けていた。荒ぶる咆哮が真言となり、星神力が魔法となってサタンを攻撃し続けた。だが、そんなものがサタンに痛撃を与えることはなかったし、彼は、アーサーの最後を看取ることもなかった。
サタンの巨大化した影が、アーサーの崩れ行く魔晶体を飲み込んだからだ。
超鬼級ともいうべき幻魔の最期は、あまりにも呆気なかった。
そして、サタンは、コールブランドも己の影に飲み込ませると、周囲を見回した。サタンとアーサーの激突によって、ザッハークの〈殻〉は壊滅状態だ。幸いなるか、殻石は無事だったらしく、〈殻〉そのものは維持できている。しかし、元の状態に作り直すのには多大な時間と労力が必要だろう。
「可哀想に」
「思ってもいないことを仰る。さすがはサタン様であらせられまするな」
軽薄にして空疎な言葉を並べ立てられて、彼は、そちらに目を向けた。アザゼルが、どうでもよさげに突っ立っている。空中に、なんの苦労もせず。
「なにがさすがなのかな」
「さすがは、さすがでござる」
「そう……まあ、いいや。そっちも終わったのかな?」
「そりゃあ、もう。サタン様が御大将をやっちまいましたからねえ。円卓の騎士は烏合の衆と化してしまったというわけで」
「弔い合戦に興じようなんていう愚か者はいなかったわけか」
サタンは、アザゼルの鼻につくような言い回しにも顔色ひとつ変えなかったし、なんとも思わなかった。そこに嘘が混じっているというのであればまだしも、そうではないのであれば、なんの実害も問題もない。
事実、戦線は崩壊していた。
アーサーの死は、アヴァロン騎士軍の指揮系統を一瞬にして壊滅させた。当然だろう。アヴァロンの極大戦力を取り纏めていたのは、アーサーの威光である。超鬼級とでもいうべきアーサーの存在があればこそ、あれだけの戦力が一糸乱れぬ統制の取れた軍隊となっていたのであり、アーサーが死ねば、そうした秩序はたちどころに消えて失せる。
もう二度と戻らない。
円卓の騎士たちを支配していたのは、殻印などではなく、アーサーの力だったようだが――現にアヴァロン消滅後も騎士たちはアーサーに従っていた――、アーサーが死んだことによって、円卓の騎士ではなく、ただの鬼級幻魔に戻ったのである。
アヴァロンは、空白地帯と化した。極めて広大な、主なき大地。その領有を巡る鬼級同士の争いがいままさに始まるに違いなく、その混沌は、北部のみに留まらずに拡大していく可能性はあった。
さすがに、北の空白地帯全土をアーサーに成り代わって制圧できるほどのものがいるはずもない。
アーサーほどの鬼級は、ほかにはいないのだ。
故に、サタンは、アーサーを滅ぼすのではなく、取り込んだのだ。
新たな悪魔とするために。
「ルシフェルたちも上手くやってくれたようだね」
「それはもう、彼らとしても死活問題ですから、当然、死力を尽くすでしょうとも」
アザゼルは、サタンと同じ方向に視線を定め、大天使たちが天軍を率いて天に昇る様を見ていた。天使たちの昇天は、この戦いの最後を飾るのに相応しいくらいに幻想的で、神秘的だった。