第千百四十三話 騎士王アーサーと円卓の騎士(八)
サタンの前に現れたのは、勇壮な騎士だ。鬼級だけあって人間めいた姿形をしており、絢爛たる鎧を纏っていた。その鎧には孔雀の尾羽のような飾りがあり、それらが色鮮やかな光を帯びているのだ。手にした大身の槍が振り回されると、それだけで小いさな竜巻が巻き起こった。
円卓の騎士スカンダ。
「ならば、問答無用!」
「返答を待たずして攻撃しておいて、そんな言い方はないよ」
スカンダが起こした竜巻が周囲一帯を飲み込むほどに巨大化していく中で、サタンは、冷ややかに苦笑した。手を前方に掲げ、魔法壁を張る。すると、スカンダの竜巻は、アヴァロンの大地と兵隊だけに牙を剥いた。スカンダは、造魔たちに被害が及ぶことを全く気にしていない。
鬼級なのだ。
妖級以下の幻魔がどうなろうと知ったことではないだろうし、造魔ならばなおさらだろう。造魔に作り替えられた幻魔たちは、自我も意思も持たない。妖級以上であれば獲得しうる個性も、完全に奪われてしまっているという。
『ロボット?』
タナトスが明らかにした造魔の正体にマモンが小首を傾げたのも、頷けるというものだ。意思を剥奪され、命令通りに動くだけの造魔は、ロボットのそれと変わらない。機甲型のそれと。
『機甲型は、意思までは奪ってないけど……』
マモンの不満そうな表情が、サタンの脳裏を過った。が、それも一瞬のこと。つぎの瞬間には、サタンは、スカンダの懐に潜り込んでいた。スカンダが、目を見開く。
「疾いっ」
「きみが遅いんだよ」
サタンは、告げ、スカンダの槍を掴んで見せた。スカンダの秀麗な顔に驚きと困惑が生じるのも構わず、無造作に放り投げ、魔法を放つ。黒い二重螺旋を描く魔力体。スカンダは強引に身を捩って致命傷を免れたものの、右半身を消し飛ばされてしまった。
そのまま空中で体勢を整えたスカンダは、瞬時に魔晶体を復元して見せ、敵を見た。敵も、鬼級。だが、力の差は、歴然。これほどまでの力量差を感じたのは、二度目だ。一度目は、アーサー。いまや彼の主として君臨する騎士王との対決は、数十年の昔の話であり、故に少年めいた黒き鬼級との退治に常ならざる緊張が生じているのだろう。底知れぬ力を感じている。
まるで深淵を覗いているような、そんな感覚。
「ありえん!」
スカンダは、脳裏に浮かんだ考えを否定するように叫ぶと、槍を振り下ろした。渦巻く暴風が相手に殺到するも、軽々と回避されてしまう。
が、反撃は来なかった。
別方向からの攻撃が、敵の動きを制限したからだ。それは巨大な蛇の口であり、地中から出現し、相手を飲み込んでしまった。それがなんなのか、当然、スカンダは知っている。
「コウガサブロウか!」
「如何にも」
円卓の騎士コウガサブロウは、スカンダの視界に姿を見せると、その長い腕を複雑に絡ませ、印を組んで見せた。巨大な蛇の口が急速に石化していく。そのまま敵を蛇の口の中に敵を封じ込めようというのだろう。
コウガサブロウは、どこか蛇を思わせる意匠の甲冑を纏っている。長身痩躯。その姿そのものが大蛇を擬人化したかのようなものだ。そして、蛇の如き眼が赤黒く輝き、擬似召喚魔法の大蛇を凝視する。
「彼奴は何者?」
「わからん! 敵だという以外には!」
「敵なのは見ればわかるが」
コウガサブロウは、スカンダの返答に苦笑した。思ったことを口走るのは、スカンダの悪い癖だ。戦いの才能と引き換えに思考する力を失ったのではないかと思えるほどに、彼の言葉は拙く、幼い。
が、そんなことは、どうでもいいことだ。彼も円卓の騎士であり、アヴァロンがため、アーサーがために死力を尽くしている。その事実さえあればいい。
「うん?」
そんな声がコウガサブロウの耳朶に刺さり、彼は、咄嗟にその場を飛び離れようとした。が、下半身が消し飛んでしまって、それどころではない。スカンダが突風を起こしてコウガサブロウの上半身を確保すると、それがコウガサブロウの背後に出現していたのを確認した。
コウガサブロウの擬似召喚魔法が飲み込んだはずの鬼級幻魔だ。だが大蛇は、既に完全ある石像と化している。口腔内に飲み込んだものごと石像化する魔法だ。どうやって抜け出したというのか。
「アヴァロン内に円卓の騎士が二体……か」
サタンは、コウガサブロウの魔晶体が瞬く間に復元していく様を認めながら、つぶやいた。
アーサーは、南進のために全戦力を展開するという愚を犯さなかった。それは、いい。アヴァロンは、〈殻〉だ。殻石の守護者を配置しておくのは、アヴァロンほどの軍事力を誇るのであれば当然だろう。
しかし、その結果、多方面に戦力を展開するという戦略そのものの破綻が、目に見えているように思えてならなかった。九体の鬼級と妖級以下の大軍勢では、反アヴァロン連合軍を撃滅することすら難しいのではないか。
「……なるほど」
サタンが不意に納得したのは、遥か南方に絶大無比な魔素質量が出現するのを感じ取ったからだ。
騎士王アーサーの御出陣である。
鬼級幻魔アーサー。
アーサー王伝説をその名の由来とする鬼級幻魔は、騎士王の名に恥じない、隆々《りゅうりゅう》たる巨躯を誇った。全長十メートルは有ろうかという巨体は、それそのものが白金の甲冑といってよく、その荘厳にして幻想的な装飾の数々は、彼が伝説上の存在であることを示すかのようだった。
天を衝くほどの巨体――というのは大袈裟だが、しかし、鬼級幻魔の中では巨大であることに変わりはない。そして、その巨躯は、莫大としか言いようのない魔素質量だ。
戦場に現れた瞬間、その立ち姿だけで他を圧倒し、絶句させた。
手には、宝剣コールブランド。アーサーの身の丈ほどもある特大剣は、刀身が蒼く透き通っていた。湖面のように美しく澄み渡り、すべてのものを反射する。光も影も天も地も、その狭間に存在するすべてを跳ね返し、輝いているのだ。
そして、アーサーがコールブランドを掲げると、ただでさえ莫大な魔素質量がさらに膨れ上がり、天地を震撼させた。大地が割れ、隆起し、変形していくのは、その絶大な魔力に押し潰されていくからだ。
「あれが騎士王か」
「さすがは幻魔大帝の腹心、というべきでしょうか」
「そうだね。それが正しいものの見方というものかもしれないね」
ルシフェルは、ガブリエルの反応に頷きながら、鬼級たちの攻撃を躱した。ジークフリートとベーオウルフ、二体の円卓の騎士は、まさに阿吽の呼吸というべき戦術でもって、ルシフェルたちに襲いかかってくる。対するルシフェルたちも、息の合った連携で対抗しているのだが、これでは埒が開かないのも事実。
そんな中、アーサーが最前線に出現した。
戦況は、激変するに違いない。
コールブランドを掲げる騎士王の姿を見ただけで、円卓の騎士たちの士気が否応なく高まっていくのがわかるのだ。まるで、なにか強力な補助魔法をかけられたかのように。
ジークフリートの斬撃が切れ味を増し、ベーオウルフの剣閃もまた、より強く、重くなっていた。
そのとき、アーサーが、コールブランドを振り下ろした。その斬撃は、直線上の大地を破壊し、敵幻魔の群れを一掃し、〈殻〉そのものに致命的な一撃を叩き込んでいった。まさに強力無比としか言い様のない斬撃。
殻主ゴモリーの悲鳴が聞こえてくるのではないかと思えたのは、その〈殻〉ゲヘナが壊滅寸前になっていたからだ。
ルシフェルは、ガブリエルと力を合わせて大魔法を発動、ジークフリート、ベーオウルフを吹き飛ばすと、ゴモリーの元へと向かった。幻魔がどうなろうと知ったことではないが、ゲヘナが消滅するのは避けたかった。
この旧兵庫地域には、数多の〈殻〉があり、それらが互いに牽制しあうことで奇妙な均衡が築かれている。なんらかの理由によってその均衡が崩れ去れば、人類生存圏にとって良からぬ事態が起こりかねない。
天軍が今回の戦いに介入したのは、そのような事態を防ぐためなのだ。
そして、
「あれがアーサー」
アーサーの巨躯を目の当たりにすれば、鬼級が人間に酷似しているというのは嘘なのではないかと思わざるを得ない。
あまりにも巨大すぎて、人間とは程遠い。