第千百四十二話 騎士王アーサーと円卓の騎士(七)
天が割れ、地が揺れる。
強く、激しく、止めどなく。
遥か地平の先で行われているはずの戦争の余波が、大気中の魔素を震撼させ、その熱量すらも肌で感じ取れるのは、ここが魔界だからに違いない。だが。
「これが、アヴァロン軍の南進が始まった証か」
神威は、地平の彼方を見遣りながら、眉根を寄せた。多数の鬼級幻魔たちがいままさに全力をぶつけ合っているのが、感覚的にわかるのだ。
魔覚。
第六感の正体とも呼ばれる、魔法士特有の感覚。体内の魔素がざわめき、神経を、脳を刺激している。
鬼級幻魔たちが激突し、強力無比な魔法の数々が衝突することによって生じる波動を、命の危機を、感じ取っている。
「そうだ。だが、妙だな」
そういって、怪訝な顔をしたのは、マルファスだ。
神威がいるのは、龍宮の北側に広がる空白地帯であり、マルファスが定めた最終防衛線の外側である。これより後ろに下がれば、ここが戦場と化した場合、龍宮が巻き込まれることとなり、オロチを目覚めさせる羽目になりかねない。それだけはなんとしてでも避けなければならず、故に、前線を押し上げられるだけ押し上げようとしているのが、龍宮なのだ。
マルファスの呼びかけに応じて結成された連合軍の盟主は、北東に大規模な〈殻〉を持つ鬼級幻魔シヴァである。当初は、ムスペルヘイムの跡地に犇めく〈殻〉群を纏めることでアヴァロン軍に対抗しようと考えていたマルファスだったが、それだけではあまりにも戦力が足りないという結論に至り、シヴァに声をかけた。
シヴァもまた、この魔界の一統をこそ目標に掲げ、そのための長期的な計画を打ち立てていた。当然、アヴァロンが領土拡大のため、全戦力を動かそうというのであれば、無視できるわけがない。
旧兵庫地域がアーサーの手に落ち、全土がアヴァロンと化した場合、シヴァの〈殻〉は、大きく削られることになる。戦力も、領土も、全てが損なわれかねないのだ。
故に、シヴァ自身、アヴァロン軍がその南進計画を食い止めるべく動こうとしていたようであり、マルファスの目的と合致、シヴァを連合軍の長とすることによって、全軍の士気を大いに高めることに成功していた。
シヴァによって天嵐連と命名された連合軍は、マルファスの戦術通りに部隊を展開、大防衛網を構築している。
龍宮の軍勢も、大防衛網の構築に一役買っており、その最大戦力が神威だ。
もっとも、神威の出番は、アヴァロン軍が最終防衛線に到達しようとしたときであり、最終最後の切り札である。
神威自身、己が能力を安易に使いたくはなかった。その結果、大破壊を周囲に撒き散らすこととなり、この旧兵庫地域の奇妙な均衡を崩しかねないからだ。
いずれは全ての鬼級、全ての幻魔を滅ぼすのだとしても、それは、人類側の戦力が整ってからのことであって、いまではない。いま神威が、この竜眼の力で鬼級を斃し回っても意味がないのだ。
調子に乗って暴れ回った挙げ句、ブルードラゴンを呼び寄せ、神威が討ち斃されてしまっては元も子もない。本末転倒にもほどがある。
それは、それとして。
マルファスは、上空から遥か北方の戦場を見ていた。
反アヴァロン同盟が敷く防衛網は、アヴァロン軍の圧倒的大戦力によって蹂躙されており、ところどころに綻びが生じ始めているようだった。それはつまり、円卓の騎士が、十一体の鬼級幻魔が、最前線に出てきているからに違いあるまい。
対抗する連合軍もまた、鬼級幻魔でもって対抗しているに違いなく、だからこその天変地異めいた余波がこの地にまで伝わってきているのだが、それにしても、と、彼は考え込むのだ。
「よく、持ち堪えている」
「うん?」
「いや、戦力差を考えれば、既に連合軍が大損害を被っていてもおかしくはないと思ったのだが……杞憂だったか」
「だと……いいが」
神威は、マルファスの想定した事態が、彼の言葉通り杞憂で終わって欲しいと願わずにはいられなかった。余波だけで、龍宮近辺にまで影響を与えるのだ。アヴァロン軍が最終防衛戦に到達した場合、それだけで、央都は、人類生存圏は、多大な損害を被る可能性があった。
戦況が大きく動き始めたのは、サタンが戦線に加わったからだ。
サタンは、アヴァロン軍で溢れかえる戦場を北進した。銀甲冑を纏う妖級以下の幻魔たちを触れることなく消し飛ばしながら、アヴァロン領内へ入り込むことに成功する。
アヴァロン軍が戦力を多方面に展開した結果、このような隙を作ってしまったというわけだ。
アヴァロンは、極めて広大な〈殻〉だ。少なくとも、この旧兵庫地域において、アヴァロンに比肩しうる〈殻〉は存在しない。央都四市の三、四倍はあるのではないかという広大な土地の大半は山間部であり、その山間にいくつもの都市が存在している。
それら都市のひとつひとつが円卓の騎士が統治を任されているという話は、タナトスから聞いている。サナトスの転生体であるタナトスは、アヴァロンに関する様々な情報を持っており、サタンに全て明らかにしていた。
もっとも、それでわかったことといえば、円卓の騎士たちの名前や能力であり、アーサーの力がどれほどのものなのか、というくらいのことでしかない。
どうでもいい、実にくだらない情報ばかりだった。
「くだらない」
サタンは、一笑に付し、眼下を埋め尽くす幻魔の群れに手を翳した。昏い光の柱が地の底から沸き上がり、幻魔の騎士たちを根こそぎ吹き飛ばしていく。
騎士。そう、騎士だ。騎士と呼ぶに相応しい鎧兜を纏った幻魔たち。それらがサナトスによって製造された特別製の幻魔だという情報も、タナトスによってもたらされた。
それら特注の幻魔は、造魔と呼ばれていた。造魔たちは、本来の魔晶体をどろどろに溶かされた挙げ句、銀甲冑の中に封じ込められているのだといい、それによって通常とは比較にならない力を発揮できるようになっているらしい。
もっとも、いくら並の妖級、獣級とは比べものにならない力を持とうとも、サタンの相手にはならない。
無数の騎士が様々な武器を手に飛びかかってくれば、魔道士たちが次々と魔法を放ってくるのだが、サタンに到達することは永久になかった。
サタンが軽く手を振り下ろすだけで、周囲一帯に破壊の嵐が巻き起こり、多量の造魔が死滅した。断末魔を上げることすらなく、圧壊した甲冑の中からどろどろになった魔晶体を撒き散らしていったのだ。
だが、こんなことに意味はないことは、サタンも知っている。造魔をいくら斃したところで、アーサーが南進を止める理由にはならない。造魔の量産は、アヴァロンへの攻撃に対する防御面での備えであって、侵攻時の主戦力を補充するためなどではないのだ。
主戦力は、鬼級幻魔。
それは、古今、変わらない。
「ここをアヴァロンと知っての狼藉か!」
強く、猛々しい声が飛び込んできたかと思えば、サタンの視界を切り裂くものがあった。間一髪のところで回避したサタンは、それを見て、手を翳した。魔力弾を撃ち出せば、それは容易く飛んで躱して見せる。大爆砕が山肌を抉り取り、兵隊を吹き飛ばす。
「だから、ここにいるんだろう」
サタンは、冷ややかなまなざしをその鬼級に投げかけ、それが大身の槍を振り回す様を見た。旋風が巻き起こり、大気中の魔素が激しく唸った。
嵐が起こる。