第百十三話 無能者無双3
「二対一でも勝てないとは……」
花影璃空が、愕然とつぶやく。
農人心の幻想体が爆散していく中、皆代幸多の体が重力に引かれて未来河の水面に落下していく様を見ながら、だ。
花影璃空は、第七軍団の灯光級一位の導士だ。先に倒された千代田秀明と階級は同じだが、年齢は彼のほうが上である。撫子色の髪と琥珀色の瞳が特徴といえるだろう。
そんな彼の目を通してみれば、皆代幸多という人間は常識外れであり、規格外というほかなかった。通常、ありえないことが目の前で繰り広げられている。
「魔法不能者だからといって舐めてかかってはいけないってことだね」
継灯里が、己に言い聞かせるようにいった。同じく第七軍団に所属し、灯光級一位の導士だ。黒檀色の髪、千草色の目を持つ彼女は、皆代幸多がずぶ濡れになったまま河川敷に上がってくる様子を見ている。
皆代幸多という魔法不能者が、魔法不能者の常識を覆す戦闘能力を見せつけているという事実には、もはや驚かなくなっていた。
彼の身体能力は尋常ではない。異常と言って良かった。しかし、そうした突然変異的な超人には、つい最近、見覚えがあった。
皆代統魔である。
皆代統魔は、継灯里よりも後輩だが、その超人的な実力でもってあっという間に上の階級になってしまった。
皆代幸多が、皆代統魔と兄弟だという話は、聞いたことがある。血は繋がっていないとも聞いているが、幼いころから一緒に訓練を受けていたのだとしたら、彼の身体能力の高さの源流をそこに見出すことも出来るだろう。
「二対一でも相手にならないか。では、三対一ならば、どうだろうな」
伊佐那美由理は、びしょ濡れのまま河川敷に佇む幸多を見下ろしながら、技術士に連絡を取る。つぎの瞬間、ずぶ濡れだった幸多の全身が嘘のように乾ききった。
幻創機を操作すれば、幻想体の状態をいくらでも変更可能なのだ。
そういう意味でも、幻想訓練は理に適っていた。あらゆる状況を想定した訓練を行うことができるのだ。幻魔を再現した幻想体を相手に訓練することもできたし、自身の置かれている状況や状態を様々に設定することもできる。
戦団が幻創機のさらなる改良、進化を望むのも当然といえる。
「さすがにそれは彼が可哀想じゃないですかね」
と、美由理に意見したのは、白鳥真珠だ。第十軍団に所属する灯光級一位の導士である。美由理以上の高身長が一番の特徴といえる彼女は、薄色の髪と琥珀色の目を持っている。
「いや、これは彼の、皆代幸多の実力を測るための訓練なのだから、なにも問題はない。それとも、きみたちは、わたしとの訓練を望まないのか」
「そういうわけではなくてですね……」
純粋に幸多のことを心配しての発言ではあったのだが、無意味な失言だということに気づくと、彼女は頭を振った。
「本当にいいんですね?」
「構わん」
「じゃあ、行きますか」
白鳥真珠は、継灯里と花影璃空に目配せすると、河川敷で待つ皆代幸多の元へ向かった。
「わたしは第十軍団灯光級一位、白鳥真珠。恨むなら、きみの師匠を恨んでね」
「あたしは第七軍団灯光級一位、継灯里。厳しい師匠を持つと大変だ」
「同じく、花影璃空。まあ、法器にぶつかったと思って」
幸多の前方に布陣した導士たちは、三者三様の挨拶をしてきた。
「よろしくお願いします!」
幸多は、これまで通りお辞儀をして、拳を構える。
三人は、幸多と五メートルほど離れた場所に等間隔に並んでいる。もっとも近いのは、三人の中心に立つ花影璃空で、その左右に立つ二人との距離はさらに離れている。
三対一。
一対一、二対一とは、さらに状況が変わる。苦戦を強いられてもおかしくはない。数は力だ。人数の差がそのまま戦力の差になる。特に幸多は魔法が使えず、相手は魔法士ばかりだった。
普通ならば幸多に勝ち目はない。
しかし、幸多は、勝つつもりでいた。負けてやるつもりはなかった。
美由理の訓練を受けるのは、自分なのだ――そういう強い意志が幸多の中にあった。
「始め!」
美由理の合図とともに、幸多はまず、花影璃空に向かって飛びかかった。地面を蹴るようにして、全速力で殴りに行く。すると、花影璃空が後ろに飛ぶことで距離を稼ぎ、左右の導士が同時に飛びかかってきたものだから、幸多は対応しなければならなくなった。
ちょうど、左右から挟撃される形になる。
継灯里が大上段に拳を打ち下ろしてくれば、白鳥真珠が幸多の足下を狙うように蹴り込んできた。それに対し、幸多はその場で軽く跳躍することで白鳥真珠の蹴りを躱し、また、身を捩ることで継灯里の拳をも避けつつ、その腕を掴み取った。
「嘘っ」
継灯里の悲鳴染みた声を聞きながら、その筋肉質の体を振り回し、白鳥真珠に叩きつければ、二人ともが大きく吹き飛んでいく。そのときだ。
「風雪花!」
真言とともに花影璃空の魔法が完成し、猛然たる吹雪が幸多を襲った。吹き荒ぶ冷気の奔流が幸多の全身をずたずたに引き裂き、嵐のような激痛を生む。そして、渦が消えたかと思えば、氷の花が咲き乱れ、幸多をその場に固定した。氷漬けになったのだ。
「さっすが!」
「では、わたしたちも」
継灯里と白鳥真珠が立ち直り、氷漬けになった幸多に追撃を叩き込むべく、魔法を練り始めた。想像を巡らせ、氷像と貸した魔法不能者を徹底的に破壊する力を脳裏に浮かび上がらせる。
それは二人だけがしていることではない。当然、花影璃空も新たな魔法の構築を始めている。
「伍百伍式天雷矛!」
白鳥真珠が雷属性の魔法を、
「八百壱式黒断斧!」
継灯里が闇属性の魔法を、
「六百肆式尖氷撃!」
そして、花影璃空が氷属性の魔法を発動させた瞬間、彼らは勝利を確信した。
雷光の矛が対象の足下から上空に向かって立ち上り、無数の氷塊が頭上から降り注ぐことによって挟み撃ちにする。そこへ継灯里が黒く巨大な斧を振り翳しながら突っ込んでいき――弾け飛ぶ氷の破片によって接近を阻まれ、彼女は、一瞬なにが起こったのかわからずに困惑した。
弾け飛んできたのは、幸多の幻想体を包み込み、氷漬けにしていた氷の花であり、美しく咲き誇っていた氷の花々が、無数の花弁となって散っていく光景は、雷魔法と氷魔法の狭間に飲まれて消えた。
そこに幸多の姿はない。
継灯里は悲鳴を聞いた。振り向けば、白鳥真珠の頭がなにかによって貫かれ、幻想体そのものが崩壊を始めていた。
「そうだな。確かにわたしはそういった」
美由理は、幸多が白鳥真珠を撃破すると、透かさず継灯里の頭部をも投擲した氷片でもって打ち砕く様を見届けた。
幸多が氷漬けの状態から脱したのは、紛れもなく身体能力だけだった。身体能力だけで全身を包み込む氷の層を破壊して見せたのだ。そして、氷の破片を掴み取り、投げつけた。圧倒的な身体能力で投げ放たれる氷の破片は、一瞬にして白鳥真珠、継灯里を撃破して見せた。
この戦いにおいてなにをしてもいい、と、いったのは、美由理だ。当然、この幻想空間に存在する全てを活用してよかったし、相手の魔法を利用してもいい。
現実における幻魔との戦いにおいても同じことだ。人間側が規範を以て戦ったところで、幻魔が聞いてくれるわけもないのだ。ありとあらゆる方法を用い、手段を用い、戦術を用いなければ、幻魔を相手に生き残ることはできない。
残すは、花影璃空だけだ。
花影璃空は、地上ではなく、空高く飛び上がっていた。それも、かなりの高度だ。さすがに幸多の跳躍力では届かないだろうという高さ。しかしそれは、花影璃空にとっても良いことばかりではなかった。
狙いが付けにくい。
「なんてこった。あれが完全無能者たる所以か」
花影璃空は、皆代幸多という人間が対魔法士戦において必ずしも不利ではないということを今更のように思い知っていた。
魔法士が魔法の狙いを定めるとき、もっとも基本的な方法は、肉眼だ。これは、肉眼で見ている場所、ものを魔法の着弾地点に指定する方法である。距離が近ければまず外れないし、離れていても、ある程度の補正は効く。魔法は想像の産物だ。想像が補正する。
距離が離れれば離れるほど、肉眼による捕捉は難しくなる。
だから、肉眼ではなく、対象の魔素を当てにするのだ。
導士が戦う相手というのは、大半が幻魔である。幻魔は、超高密度の魔素の塊そのものだ。故に狙いを定めやすい。どれだけ離れていても、その魔素の塊を捕捉するのは決して難しくはない。
魔法士も、そうだ。全身が魔素で満ちている。魔力を練り上げている戦闘中となればなおさらのことであり、捕捉し、狙撃することも難しくなくなる。
だが、皆代幸多は違った。
いまや豆粒にしか見えなくなった彼を捕捉しようにも、魔素を当てにすることができなかった。彼はただの魔法不能者ではなく、完全無能者だからだ。魔素を一切内包しない希有な存在。
この世界で唯一無二の。
花影璃空は、仕方なく、広範囲を攻撃する魔法を想像した。豆粒のような相手に狙いを定めるのではなく、その周囲一帯まるごと全てを巻き込み、破壊するのだ。それによって、一方的な勝利が決まる。
「美由理様の寵愛は、おれが頂――」
彼は、勝利を確信し、悠々と魔法の想像を始めていたのだが、魔法が完成することはなかったし、その言葉を言い切ることも出来なかった。
氷片が、彼の首を貫いたからだ。