第千百三十八話 騎士王アーサーと円卓の騎士(三)
アヴァロンは、この旧ヒョウゴ地域において最大の版図を誇る〈殻〉である。
殻主たる鬼級幻魔は、アーサー。
騎士王を名乗る鬼級幻魔は、かつて、幻魔大帝エベルの側近だったことで知られる。 地球全土を巡る幻魔戦国時代を終結させ、すべての幻魔を支配下に置いた幻魔大帝。その右腕として、魔剣コールブランドを掲げ、世界各地の戦場を駆け巡り、数多の敵を討ち滅ぼしたのが、アーサーなのだ。
その雷名は、魔界全土に轟き渡っており、彼を知らない鬼級のほうが少ないのではないか。
そんなアーサーの〈殻〉アヴァロンは、エベルの消失後、つまり、魔天創世後に開かれた。最初は、小さな〈殻〉だったという。ありふれた、鬼級幻魔を殻主とする小さな領土。殻主アーサーは、その小さな城にあって、汚濁の如き混沌に飲まれていく魔界を眺めていた。
エベルによる幻魔一統は、一夜の夢だった。
幻魔の時間感覚にすれば、まさに一瞬の出来事といっても過言ではない。平穏と安息に満ちた黄金時代は、もはや永遠に失われてしまった。偉大なる大帝を失ってしまったからだ。
エベルに成り代わり、魔界を統一できるものなど、どこにいよう。
アーサーは、考える。
自分は、エベルの後継者に相応しいのか、と。
魔界統一という大事業を受け継ぐことができるのは、自分だけしかいないのか、と。
考えながら、戦力を整え、〈殻〉を拡大し続けた。
やがて、彼の円卓の座が埋まった。
十二名の鬼級からなる円卓の騎士たちは、彼に忠誠を誓い、彼が掲げる覇道に殉ずることを宣言した。勇名を馳せる鬼級幻魔たちは、円卓の騎士に相応しい実力と人格の持ち主ばかりだった。彼は、円卓の間に勢揃いした騎士たちの姿に未来を見たものだ。
そして、彼は、円卓の騎士とともに魔界を制するべく動こうとした、その矢先だった。
クー・フーリンが、死んだ。
円卓の騎士、その筆頭であったクー・フーリンは、当然のことながら、アーサーがもっとも信頼していた騎士だ。長らくアーサーの腹心であり、まさに片腕というべき彼は、エベルにとってのアーサーの如き存在であった。
クー・フーリンの死因は、わからない。
クー・フーリンに刻みつけた殻印、そこからアーサーの元へと送られていた生命情報が途絶え、それによって彼の死が確定した。ただ、それだけのことだ。
だが、しかし、それだけで十分だった。
アーサーが動き出すには、それだけで十分過ぎたのだ。
アヴァロンの王城、その円卓の間に招集された騎士たちは、アーサーが限りない怒りに身を震わせているのを目の当たりにした。荘厳にして絢爛、神話の世界から抜け出してきたかのような白金の甲冑に覆われた巨躯からは、純然たる憤怒の気が満ち溢れていて、いまにも円卓の間そのものを消し飛ばしかねないほどの迫力があったのだ。
騎士たちは、なにがあったのか、と、顔を見合わせたものだ。
召集令自体、そうあるものではなかったということも大きい。余程の大事件でもない限り、円卓の間に呼ばれることなどなかった。
「クー・フーリンが、死んだ」
アーサーのその一言で、騎士たちは、主君の怒りと嘆き、哀しみを理解した。筆頭騎士たるクー・フーリンがアーサーの寵愛を一身に受けていたことは、だれもが知る事実なのだ。もちろん、それに相応しい実力と歴史があるということも。
だから、他の騎士たちは、クー・フーリンが筆頭であることを甘んじて受け入れていたのだが。
筆頭騎士の座が空いたことを内心喜ぶものもいないではなかったが、その場では、おくびにも出さなかった。
アーサーの不興を買うだけだ。
「なにゆえ、どのように討たれたのかは、わからぬ。だが、クー・フーリンが我が使命の最中に命を落としたことは確かである」
アーサーは、怒りに震える声で、アヴァロン全土をも震わせるように、告げた。声は、雷鳴。天地を駆け巡り、アヴァロンの兵隊たちをも震撼させる。
「彼の無念を晴らすことは、我が覇道を進むために必要不可欠な儀式である。我は、征く」
どこへ、などと、問うものはいなかった。
クー・フーリンがどのような使命を帯び、どこへ行っていたのか、知らないものはいないのだ。円卓の騎士は、皆、アーサーの腹心であり、だれもが十全に情報を与えられていた。
南へ。
それも、人類が復興を始めているという地へ。
円卓の騎士たちは、主君の甲冑が強烈な熱を帯び、光り輝き始める様を見て、打ち震えた。
ついに、アーサーが魔界一統を目指し、動き出す日が来たのだ。そのきっかけがクー・フーリンの死だというのであれば、その死は、決して無駄ではない。
新たなる魔界の歴史、その幕が上がろうとしていた。
アヴァロン騎士軍の総兵力は、およそ一億。
その内訳は、霊級六千万、獣級三千万、妖級一千万、鬼級十二である。
鬼級は、殻主アーサーと十一名の円卓の騎士からなり、それだけでも旧ヒョウゴ地域における最大戦力であることは明白だった。
アヴァロンの戦力は、絶大にして、圧倒的だ。
この地で、アヴァロン騎士軍に敵うものなどおらず、本格的に動き出せば最後、この地域一帯が平定されるのではないかという恐れが、近隣の〈殻〉だけでなく、地域全土の〈殻〉の殻主たちにあった。
それもこれも、アヴァロンが地道に領土を広げ、戦力を整え続けてきた結果だ。
そして、その結果によって、この地域全土がアヴァロン騎士軍の圧倒的戦力に蹂躙《じゅうりn》され、踏み潰され、飲み込まれていくのだ。
既に、戦端は開かれた。
アヴァロンの境界付近に集った大量の幻魔たちが、進軍の号令とともに堰を切ったように溢れ出す。大地を銀一色に染め上げていくのは、獣級幻魔の群れ。実体のない霊級はともかくとして、獣級以上の幻魔は、いずれも白銀の甲冑を纏っている。それがアヴァロン騎士軍に共通する外見的特徴だ。
霊級幻魔たちの形態も、一般的な霊級とは大きく異なるものである。騎士の如き姿をした霊体たちが、隊伍を為して、山野を埋め尽くしていく。
アヴァロン騎士軍の幻魔は、サナトス機関の協力によって根本から改造されているのである。
霊級も、獣級も、妖級も――。
改造されていないのは、鬼級だけだ。
元より強大な力を誇る鬼級は、改造するまでもないというだけのことだが。
「魔界一統の始まりが、クー・フーリンの弔いとはな」
マルドゥークは、その四つの目をぎらつかせながら、アヴァロン騎士軍が突き進む様を見ていた。旧ヒョウゴ地域北部の山野が、アヴァロンの兵隊によってあっという間に踏み潰されていく光景は、かつて幻魔大帝の軍勢が地球全土を掌握していった様子を思い起こさせる。
マルドゥーク。円卓の騎士たる鬼級幻魔の一体であり、並外れた巨躯の持ち主だった。その魔晶体は甲冑めいているのだが、それはアーサー王に倣ったものであって、彼自身の趣味ではない。そしてそうした趣向は、円卓の騎士全体に波及している。
円卓の騎士ならば、軽装であっても鎧を纏っているのだ。
「クー・フーリンが死んじゃったのは寂しいけどさ。でも、そういうもんでしょ」
とは、ナタ。少年めいた姿態の円卓の騎士は、それこそ軽装の鎧を纏い、風火輪と呼ばれる輪に足を乗せ、空中を移動していた。火を吹く輪が飛行能力を与えている。そんなナタのどうでも良さげな発言は、死者への興味のなさからくるものに違いない。暇さえあればクー・フーリンに勝負を挑んでいた事実からは考えられないが、しかし。
「力こそが全てなんだからさ」
「とはいえ、アーサー様が嘆き、悲しまれておられるのは、事実。そしてその哀しみを払拭することこそ、南進の意図であることもまた、明白」
そのようにナタに告げたのは、円卓の騎士セクメトである。異形の獅子の如き甲冑を纏い、紅い円環を背負う女は、その鋭いまなざしを最前線へと注いでいた。
最前線。
いままさに、アヴァロン騎士軍の兵隊が、敵軍と激突した瞬間を見逃さなかったのだ。
槍頭と名付けられた霊級造魔たちが殺到したのは、ガネーシャの軍勢、その前衛部隊である。