第千百三十七話 騎士王アーサーと円卓の騎士(二)
反アヴァロン同盟軍は、酒呑童子を盟主としていた。
旧兵庫地域北方において、アーサーに次ぐ〈殻〉の持ち主であり、同盟軍における最大戦力を有していたからだ。酒呑童子と血盟を結ぶ茨木童子も、これには大いに喜んだという。
酒呑童子、シナツヒコ、ガネーシャ、茨木童子、ゴモリー、イタス、ザッハーク、そしてハルファス――これが、反アヴァロン同盟軍の主要鬼級幻魔である。彼らは殻主であり、配下に鬼級を従えているものもいる。
彼らが総力を結集すれば、アヴァロン軍にも食い下がれることはできるだろう、とは、マルファスの弁。飽くまでも食い下がれるというだけであって、対抗できるとは考えていないらしい。
反アヴァロン同盟軍の結成に奔走したハルファスは、マルファスに連絡を取り、この輪をさらに広げるべく協力して欲しいと頼んだ。
マルファスは、盟友に同調しつつも、まずはオトヒメに指示を仰いだ。彼は、主君への忠節をなによりも重んじる。そして、オトヒメは彼に動くよう、お願いした。オトヒメとしても、龍宮が侵略され、オロチが再び目覚めるような結果だけは避けたいという強い意志があったのだ。それはオロチの安眠を妨げるだけでなく、龍宮の民を危険に曝すことでもあるからだ。
マルファスは、龍宮が強い影響力を持つ地域に働きかけた。
龍宮北東部には、かつて、ムスペルヘイムがあった。
ムスペルヘイムの殻主スルトは、本能そのものともいえる領土的野心の赴くまま、龍宮へと侵攻、龍宮戦団連合軍の前に敗れ去った。果たして、ムスペルヘイムの崩壊は、その地に広大な空白地帯を生むことになった。
空白地帯は、すぐさま、領土争いの混沌に飲まれた。
スルトの家臣だった鬼級幻魔ホオリもその領土争いに乗じ、みずからの〈殻〉を獲得している。
ムスペルヘイムの跡地をもっとも占有したのは、北に隣接していたハヌマーンである。ハヌマーンは、ムスペルヘイム崩壊を目の当たりにすると、即座に南進、〈殻〉を拡大した。が、ホオリの〈殻〉と周辺の〈殻〉との位置関係によって、二倍から三倍程度の拡大に留まっている。それでも、火事場泥棒的に領土を広げられたのだから、十分すぎる成果だろうが。
つぎに大きく領土を広げたのは、ムスペルヘイム南部に位置していたベリスだろう。ベリスもまた、〈殻〉崩壊の直後、北進、二倍程度にその領土を広げた。それ以上の拡大ができなかったのは、空白地帯の戦乱が激しすぎたからだ。
坩堝の如き混沌は、空白地帯を巡る飽くなき闘争であり、破壊と殺戮の嵐であった。
数多の鬼級が入り乱れ、その果てに〈殻〉を獲得したのは、ウルスラグナ、セト、ティアマト、アムルタート、ハルワタートという鬼級たちである。ほとんどが龍宮未満の小さな〈殻〉ばかりだが、だからこそ、龍宮が強い影響力を発揮することができた。
ムスペルヘイムが龍宮によって滅ぼされたという話は、強い魔力を伴って駆け巡った。
曰く、オトヒメの圧倒的な力の前にスルトは為す術もなく敗れ去った。
曰く、ムスペルヘイムの鬼級三体が力を合わせても、オトヒメ一体に敵わなかった。
曰く、オトヒメは、竜級である。
そのような噂話が、龍宮の立場を強固なものとしていたのだ。
オトヒメとしては、即座に否定したいような噂ばかりだったが、マルファスは、これを利用した。
アヴァロンが動き出した以上、この地に平穏はない。破壊と混沌が全てを飲み込み、なにもかもが塵芥と消え失せる。ならば、力を合わせ、対抗するべきだ、と。
オトヒメの旗の下に集え、と。
そして、オトヒメ軍が結成された。
「……結成はしたがな」
マルファスは、渋い顔で、北方を見遣った。
オトヒメ軍は、龍宮から北東方面に懸けて、その戦力を展開しつつある。
アヴァロンがいずれ反アヴァロン同盟軍を蹴散らし、南進してくるに違いないからだ。そして、このままでは、オトヒメ軍も蹴散らされるのは、火を見るより明らかだ。
『同盟軍と合流しないのかね』
『そのほうが、勝算が高いのではないか?』
「だれが好き好んで己が〈殻〉から離れるものか。殻主たちの自尊心の高さを低く見積もって貰っては困る」
『ふむ……』
「滅びに瀕してもなお、そうなのだ。一度〈殻〉を作れば、〈殻〉に引き籠もるのが殻主というものらしい」
皮肉でもなんでもなく、マルファスは、告げた。肩を竦め、神威たちを見つめる。ただの人間たち。しかし、鬼級を打倒する力を持つ驚異的な存在でもある。中でも神威は、竜級に匹敵する力を持っているのだから、マルファスとしては畏敬の念を抱くばかりだった。
「戦団は、どう考える。この事態、この状況。どう見ている」
『どうもこうも』
神威は、マルファスの真紅の目を見つめながら、そのようにいった。彼の表情から感情を読み取ることは難しい。人間なのだ。幻魔には、人間の感情の機微など、理解できようはずもなかった。
『我々も、危機に瀕している。存亡のな』
「ふむ……?」
『オトロシャが目覚めたことは、さすがに聞き及んでいるだろう』
「ああ。それは聞いた。長きに渡る眠りから目覚めた、とな。眠っていたことすら知らなかったが」
『オトロシャの家臣もそういっていたよ。オトロシャがなにをしているのか、なぜ、外征を命じないのか、困り果てているのだ、とね』
嘆息して、神威は、事の次第をマルファスに説明した。
マルファスは、南東を見た。この大境界防壁の歩廊からは、アトラス領内部の都市群がよく見えた。そしてその向こう側にオトロシャの〈殻〉恐府が横たわっているのだ。さながら巨獣のように。
龍宮にとっても、恐府の動向は見過ごせないものだ。常に警戒していなければならないし、もし外征の気配があるならば、やはり周囲の〈殻〉と力を合わせ、対抗しなければなるまい。
恐府は、龍宮とは比較にならないほどに巨大な〈殻〉であり、戦力差も著しい。
もちろん、そんなものは、竜級幻魔オロチの存在だけで、どうとでもなるのだが、オロチに頼るなどあってはならないことでもある。オロチは、制御できるものではないのだ。目覚めれば最後、再び安定するまで暴れ続けること請け合いだったし、もしそんなことになれば、この地域そのものが魔界から消失したとしてもおかしくはない。
竜級の力とは、それほどのものなのだ。
故に、今回の戦いも、オロチに頼ることはできない。
「なるほど。しかし、だとしても、今回に限ってはオトロシャの動きを気にする必要はないと思うが。オトロシャも、アヴァロンの動きにこそ気を取られているはずだ」
アヴァロンと恐府の戦力差は、三倍以上ある。もちろん、アヴァロンのほうが圧倒的に上だ。まともにぶつかり合えば、オトロシャ軍が敗れ去るのは、目に見えている。故に、オトロシャも、アヴァロンの撃退に尽力こそすれ、この混乱に乗じて行動を起こそうなどとはしないのではないか。
『そう信じたいところだが』
「……まあ、あなたたちの懸念も理解できる。後顧の憂いを抱えたまま、アヴァロンとの戦いに全戦力を注ぐことなどできるわけがないな。だが、アヴァロンを放っておくこともできない」
『わかった。こうしよう』
神威は、護法院の老人たちと目線を交わし、うなずいた。
事態は、急を要する。
『おれが、行く』
神威の一言に、マルファスは、心底安堵した。
神威さえ協力してくれるというのであれば、それだけで十分だった。いや、それこそ望んでいたのだ。ほかの星将などどうでもいい。
竜級魔法士の力さえあれば、最悪の事態だけは避けられるはずだ。
この地が滅び去るという最悪の事態だけは。