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第千百三十三話 激動(一)

 闇の世界ハデスは、相も変わらず暗澹あんたんたる闇に覆われていた。

 陰鬱いんうつな、それこそ、なにもかもが重力の渦に囚われ、ただただ沈み込んでいくかのような暗黒の深淵しんえん。それがこの〈クリファ〉のすべてであり、それ以外になにもない。虚無そのものを具象したとでもいうべき領域は、七つに分割され、それぞれ異なる悪魔たちの住居として明け渡されている。

 憤怒ふんぬの座を中心とし、傲慢ごうまんの座、強欲ごうよくの座、暴食ぼうしょくの座、色欲しきよくの座、嫉妬しっとの座、怠惰たいだの座――〈七悪しちあく〉を司る七つの座があるのだ。

 その中のひとつ、強欲の座では、マモンが研究にいそしんでいた。彼の領域は、幻魔が本能的に忌み嫌う機械で構成されているといっても過言ではない構造をしている。彼の欲望を満たすため、彼の尽きない問に解を導くため。

 そんな座であるが故に他の悪魔たちが足を踏み入れてくることはほとんどない。

 マモンの母たるアスモデウスですら、そうだ。

 そのような場所でありながら我が物顔でくつろいでいるのがベルゼブブである。

 彼は、機械仕掛けの部屋の片隅に設けられた書斎、そのど真ん中に適当に配置した長椅子に腰掛けていた。マモンが読書にふけるために設けた場所は、いまやベルゼブブが己が欲求を満たすための場所と化している。

 ベルゼブブは、〈暴食〉を司る。つまり、際限なく減り続ける腹を満たすのが彼の本能であり、使命であるため、常になにかを口にしていなければならなかった。そして、そのための食物とは、人界から奪い取ってきた大量の食べ物であり、そんなものを口にするベルゼブブの気が知れないとは、マモンのみならず、悪魔たちの共通見解だ。

 しかし、そんなことをいえる立場にマモンはいない。

 マモンもまた、他の悪魔からすれば、奇異の目を向けられる側の存在なのだ。

 だからこそ、マモンは、ベルゼブブがこの座に出入りするどころか、好き放題するのも黙認しているのかもしれない。

「一々説明するのって、面倒そうだな」

 ベルゼブブが、ふかふかすぎて安定しない長椅子に居心地の悪さを感じながら、いった。このソファは、マモンがアスモデウスのために用意したものだというのだが、肝心のアスモデウスがこの部屋に足を踏み入れてこないため、宝の持ち腐れになっていた。だから、彼が使っているのである。

 そのことでマモンが不服そうな顔をしたことはない。

 諦めに似た表情を見せたことは、あったが。

「でも、悪くはない気分だよ」

 マモンは、そのようにいうと、直属の部下である鬼級幻魔への説明を再開した。

 マモンの部下は、タナトスという名の悪魔だ。先頃、マモンが掴まえようとしたものの取り逃がしたが、サタンの手に落ち、さらに悪魔への転生を果たしたばかりだった。。

 元の名は、サナトス。悪名高きサナトス機関の所長であり、かつては、幻魔大帝エベルの腹心だった鬼級幻魔だ。故にその名は魔界に広く知れ渡っており、その名を知らぬ殻主かくしゅはいないといわれるほどだ。

 ベルゼブブが、バアルという一介の鬼級幻魔だったころ、幻魔の兵隊を提供してくれる組織の存在を聞いたことがあった。しかし、バアルにはそんなものは必要なかったから、鼻で笑ったものだ。

 なんの役にも立たない雑兵など、だれが必要とするというのか。

 バアルは、〈殻〉を持たなければ、〈殻〉に属してもいない、孤高の存在だった。孤独を孤高と言い換えて自己満足していただけではないか、と、マモンが冷ややかに言ってきたものだが、彼は苦笑するほかなかった。事実、その通りだったかもしれないのだ。

 いまや、悪魔の一団に属し、このようにマモンとつるんでいる。

 バアルであったころには考えられない状況だ。

 無論、バアルはバアル、ベルゼブブはベルゼブブであって、全く別の存在といっていいのだが。

 さて、タナトスである。

 サタンによって悪魔へと転生した彼は、サナトス時代の老人めいた姿から、幼さすら帯びた少年の姿にへと変貌している。黒衣を纏い、背に一対の翼を生やした美しい少年。左側にかかった片眼鏡モノクルが、黒環こくかんの役割を果たしているようだ。眼鏡の向こう側に覗く赤黒い瞳は、マモンから説明を受けるだけで輝きを帯びていた。

 サナトス時代の、研究者だったころの性質は、引き継がれているようだ。

 ベルゼブブがそうであるように。

 マモンもまた、そうであるように。

「なるほど! わっかりましたー!」

 タナトスは、元気よく声を上げると、研究室の中を歩き回り、機材をひとつひとつ確認していく。その様子にはマモンも満足そうだ。

「王様気分か?」

「……そんなんじゃないけど」

 マモンは、ベルゼブブが不満げな顔をするのがおかしくて仕方がない。マモンに部下がついて、自分に部下がいないのが不公平だとでもいうのだろうか。立場を考えれば当然の結果だったし、そのような道理を理解できない彼ではあるまいに、と、マモンは思うのだ。ベルゼブブは、馬鹿ではない。むしろ、聡明そうめいで理知的だ。

 彼は、サタンの腹心たる存在なのだから。 

「戦力を増強していく上で必要な駒が揃いつつある。ただそれだけのことだよ」

「駒……ねえ」

「駒だよ。彼は、ただの駒に過ぎないんだ。きみとは違ってさ」

「そりゃそうだ。なんといっても、このおれ様は、サタン様第一の腹心だからな」

「そうだね」

 マモンは、ベルゼブブの強気な発言を否定しない。

 タナトスが意気揚々《いきようよう》と機材を操作し始めるのを眺めつつ、もはやベルゼブブの寝床と化した書斎に足を向けた。そして、床の上に散らばった書物を触手で拾い上げ、本棚に戻していく。

「サタン様の腹心なら、北の動きも知ってるよね?」

「ったり前だろ。で、サタン様にお灸を据えられたおれは、指をくわえて見ているしかないっってわけだ」

「お灸……ね」

 マモンは、苦笑とともにベルゼブブを一瞥いちべつし、彼が不満げに頭上の六つの目を開く様を見た。その目が見通すのは、遙か北の地――騎士王アーサーが開く〈殻〉アヴァロンに違いない。

 アヴァロンが、いままさに動き始めたという話がマモンの耳にも届いていた。

 当然だろう。

 アーサー第一の家臣たるクー・フーリンが、サタンに討ち滅ぼされた。

 たかが鬼級幻魔如きがサタンに立ち向かえるわけもなかったし、滅ぼされて然《》るべきなのだが、それがアーサーの逆鱗げきりんに触れたのだとすれば、致し方のないことだろう。

 そしてその結果、この地が戦乱の炎に包まれようとしているのだとしても。

「まあ、いいだろ。おれ様が動かなくたって、なんとでもなるだろうしな」

「それもそうだね」

 マモンは、ベルゼブブの隣に座ると、触手による片付けを終わらせることにした。

 タナトスの能力を測るためには、一度全てを任せてみるべきだ。そして、その能力に応じた役割を与えれば、マモンはさらに使命に没頭できるに違いない。そのように考え、思索にふけるべく、書棚から本を手繰たぐり寄せる。

 ベルゼブブは、そんなマモンの横顔を見て、その純粋さを多少、憐れんだりした。

 自分もまた、同類なのだろうが。



 大国アヴァロンの騎士王アーサーが、突如として動き出したことは、近隣の〈殻〉という〈殻〉を激しく動揺させた。

 アヴァロンは、とにかく巨大な〈殻〉だ。オトロシャ領恐府(きょうふ)の三倍から四倍の領土を誇り、その総戦力は、十倍に留まらない。なんといっても、アーサーの配下には、円卓の騎士と呼ばれる十二体の鬼級幻魔が控えているのだ。

 アーサーを含め、十三体もの鬼級幻魔を擁する大軍勢、大戦力。

 この地域における最大勢力といわれるのも、道理でしかない。

 アヴァロン周辺の〈殻〉は、アーサーの機嫌や顔色を窺い続けることで、どうにか生き延びているといっても過言ではなかった。もし、アーサーが侵攻の意図を明らかにすれば、目標の〈殻〉は愚か、進路上の〈殻〉も、跡形もなく滅び去る。

 アヴァロンが動けば最後、この地域は、瞬く間に制圧、全土がアーサーの領土と化すに違いなかった。

 そして、アヴァロンの全軍が動き出したとなれば、近隣の〈殻〉という〈殻〉に衝撃と動揺、恐怖と混乱が過り、絶望感すらもが漂い始めるのも当然の帰結だろう。

 騎士王アーサーが目指すは、遥か南方。

 いまや人間の領土として知られる方面へ、アヴァロンの騎士軍が動き出したのだ。


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