第千百三十二話 違和感
朝彦は、黙考している。
周囲に横たわるのは、廃墟そのものだ。破壊し尽くされた幻魔製造工場。つい数時間前、朝彦率いる調査隊が絶体絶命の窮地に陥った場所。
幻魔の工場を破壊するべく潜入したはいいが、皆代統魔が死に瀕した挙げ句、天使と悪魔が勢揃いしたのだ。理由はわからない。が、合計十一体もの鬼級幻魔が朝彦たちの前に立ちはだかったのだ。
これを絶望と呼ばずして、なんと呼ぼう。
戦団本部は、すぐさま神木神威と二名の星将、神木神流、新野辺九乃一を寄越し、それによって状況を打開しようとした。
実際、神威が竜眼の力を解放してくれたおかげで苦境を脱することはできたのだから、本部の判断はなんら間違っていない。その判断のおかげで生き残れたのだ。不満もなにもあったものではない。
異論も疑問もありはしない。
「隊長、どうされました?」
躑躅野南が、朝彦の顔を覗き込むように見た。どうにも難しげな表情をしている。第九軍団杖長筆頭は、普段のおちゃらけた様子をその端整な顔立ちの奥底に仕舞い込んでいて、まるで導士の代表のような面構えだ。
それは彼女が恋い焦がれた味泥朝彦の顔であり、だから、食い入るように見つめるのだ。
「どうもこうも、あらへん」
朝彦は、南の心情などつゆ知らず、真面目くさった顔のまま、幻魔の卵の残骸を踏みつけた。魔法合金にも似た金属の塊だ。踏んだ程度で潰れるような代物ではないが、そうでもしなければやっていられないような感情がある。
「この工場、いくらなんでも広すぎやろ」
「確かに……これで五箇所目、ですもんね」
南も朝彦の意見に頷くほかなかった。
そうなのだ。
数時間前、味泥小隊と皆代小隊の合同任務で行われた調査は、幻魔製造工場の極一部に触れただけに過ぎなかったということが、この度の調査で判明したのである。つまり、あのとき破壊したのは、工場の一角だけだったのだ。
朝彦は、防壁拠点への帰投後、すぐさま小隊を見繕い、中隊を編制、再びこの地を訪れている。あの工場周辺から鬼級幻魔の固有波形が消え失せており、いまならば全域を調査することができると踏んだからだ。
事実、いまのところ調査はつつがなく進んでおり、なにひとつ問題は起きていなかった。
最初に調査したのは、もちろん、朝彦たちが窮地に陥ったあの一室だ。千機以上もの製造機が並べられた大部屋は、完膚なきまでに破壊され尽くしていて、調査する必要すらなかった。
そこから奥の通路に進むと、道が分岐しており、それぞれ、大量の製造機が並んだ大部屋に繋がっていた。
部隊を分け、それら大部屋に突入、幻魔の卵を破壊し尽くしている。その最中、いくつもの卵が付加し、獣級やら妖級やらの幻魔が襲いかかってきたが、中隊である。難なく処理し、さらに奥へと進んできたというわけだ。
「それぞれ千個ほどの卵が有ったっちゅうことはやな、一度に五千体以上の幻魔を生産できてたっちゅうことやろ」
「そうですね。カラスによれば、まだ奥に部屋があるようですが」
「小部屋がな」
「はい。しかし、小部屋とはいえ、それぞれ百個ほどの卵があるようで」
「……小部屋か?」
「この大部屋との比較論に過ぎませんよ」
「……やな」
朝彦は、南の苦笑に静かに頷くと、部下たちが集まるのを待った。大部屋内の卵を完全に破壊し尽くし、ようやくダンジョンの奥へと歩を進めることができるのだ。
「まあ……中隊を編制しておいて良かったっちゅうことやな」
味泥小隊、戸村小隊の八名が勢揃いしたところで、朝彦は、奥の小部屋へと向かうことにした。
この製造工場は、残すところ小部屋群だけであり、それらを壊滅させることができれば任務完了である。
現状、なんの問題もなければ、窮地に陥ることもなく、負傷者ひとりでていない。
数時間前の窮地が嘘のような呆気なさには、朝彦もなんともいえない顔になるしかなかった。
そして、すべての小部屋を制圧し、幻魔製造機をひとつ残らず破壊、工場の基幹部らしき謎めいた構造物も破壊したことで、工場全体が活動を停止した。
これで、この工場から幻魔が這い出てくることはない。
「とはいえ、やな」
朝彦は、人類の前途を想い、重くのし掛かってくるような圧力を感じずにはいられなかった。
「サナトス機関だかなんだかの工場が、この世の中にどれだけあるんやっちゅー話やで、ほんま」
「工場が大量にあれば、それだけ幻魔が補充されるということですからね」
「せや」
幻魔は、生殖機能を持たず、故に増殖しないとされていた。
鬼級などが完全なる生命体であると自負しているのは、そういう部分にあるのかもしれない。莫大な魔素を内包し、強大な生命力を誇る怪物たちは、完全無欠であるが故に、子を成し、優れた遺伝子を残す必要がないのだ、と。
故に、幻魔は、時間の経過とともに滅びていく定めを背負っているようなものなのではないか。
なんといっても、鬼級幻魔の大半は、生まれ持っての本能であるかのよに領土的野心を燃え上がらせ、己が〈殻〉を拡大することに躍起だった。〈殻〉と〈殻〉の戦いは、まず、妖級以下の幻魔の激突によって行われる。それによって大量の幻魔が死んでいくのだから、世界各地で日常的に行われているのであろう数多の闘争は、幻魔を滅亡へと導く炎といってもよかったはずなのだ。
だが、どうやらそうではないらしいということが、わかってきた。
サナトス機関なる幻魔の組織が、このような工場を世界中に作っている――らしい。
そして妖級以下の幻魔を量産し、殻主たちに提供しているのではなかろうか。それはなぜ、なんのために。疑問は膨れ上がるばかりだ。
わかっているのは、幻魔の総数は減るどころか、増える一方なのではないかということだ。
そして、数十億、数百億とも想定される幻魔の総数は、実際はもっと多い可能性があるのだ。
それもこれも、幻魔製造工場があるからにほかならない。
故に、工場は、発見次第、徹底的に破壊し尽くすしかないのだ。
「工場内に別の工場への手がかりでもあれば良かったのですが」
「まあ……そんなもん、期待してもしゃあないわ」
南の意見には強く同意するのだが、苦い顔をするしかないのが朝彦だ。
ここは、幻魔の施設だ。人間の常識で図ってはならない。仮になんらかの手がかりがあったとしても、それを解明し、人類がその地に赴くことができるまでにどれほどの年月が必要なのかもわからない。
いまは、央都周辺の空白地帯を徹底的に調査し、ダンジョンを巡り、工場を発見次第、壊滅させることしかできない。
「ま、この工場は制圧したし……それで十分やろ」
朝彦は、小さく嘆息しつつ、告げた。おそらく第九軍団所属としての最後の任務がこのような終わり方をするのは、なんともいえない気分だった。任務は、完了した。なんの問題もなければ、だれひとり欠けることなく、だ。
(欠けることなく……な)
己の胸中を過った言葉に妙な引っかかりを覚えるのだが、理由は、わからない。
第一次調査においても、戦死者ひとり出なかった。
統魔が瀕死の重傷を負ったのは確かだったが、回復し、念のため、戦団本部での精密検査を行った結果、なんの問題もないという話だった。
そう、あのとき、なにも問題は起きなかった。
問題があったとすれば、鬼級幻魔だ。
あの数の鬼級に包囲され、無事に脱出できたというだけでも喜ぶべきだったし、あれらがなんのために集まり、なにをしようとしたのかもわからないまま解散したのには、困惑するほかなかったものだが。
元々この工場にいた鬼級たちは、いい。工場巡りが目的だったのだろうし、そこにたまたま居合わせた人間を滅ぼそうとするのは、幻魔の本能に等しい。
では、悪魔と天使はなんなのか。
なんのために集まり、なにをしようとしていたのか。
ブルードラゴン襲来のどさくさに紛れて姿を消した鬼級たちは、その目論見もわからないままだった。
そのことが、朝彦には気がかりだった。
妙な違和感がある。