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第千百二十九話 己を知る

 目の前にあったのは、ルナの顔だった。

 視界をおおい尽くすほどだから、余程の至近距離だったのだろう。目の前すぎて思わず笑いそうになってしまった。だが、えた。というのも、ルナが泣きらしているのが瞬時に理解できたからだ。

 美少女と呼ぶに相応しい彼女の容貌ようぼうが、無惨といっていいほどに崩れている。涙が涸れ果てるほどに泣き叫んだのではないかと想像できるほどの、表情。なぜ、彼女が目の前でそんな顔を見せているのか。なにが彼女をそこまで追い詰めたのか。

 統魔とうまは、なんとなく全てを理解すると、彼女の涙を拭った。

「なに泣いてんだよ」

 ルナは、耳朶じだに響いた声が幻聴げんちょうだと確信していたし、いままさに統魔の永遠に閉じていたはずのまぶたが開き、その真紅の瞳が自分を捉えたのも、幻覚だと認識していた。

 なんといっても、統魔は死んだのだ。

 幻魔の槍で心臓を貫かれて、絶命ぜつめいした。

 さらにいえば、導衣どういが統魔の生命状態を確認し、死亡を通知してきていた。それは絶対にして不変の結果であり、二度と覆らない結末なのだ。統魔の体から熱が失われ、硬直していくのを肌で感じ取ってもいる。指先から手のひらまで伝わる体温が、急速かつ確実に消えていく感覚は、絶望そのものといってもいい。

 だから、ルナは、あらん限りの力で、敵をとうとした。けれども、ルナの力ではどうにもならないこともまた、理解していた。自分には、できることとできないことがあって、そのできないことに手を伸ばしたところで、どうにもならないのだ。

 ルナは、ようやく、自分がなにものなのかを理解し、思い知った。

 だから、統魔が彼女の涙を拭い、晴れた頬を撫でてきたときも、呆然とするだけだった。

 統魔は、ルナに抱き抱えられていて、そのルナは、蒼秀そうしゅうの雷光に包まれている。

 蒼秀は、悪魔と天使を全力で警戒していたため、統魔の声を聞いていなかった。ささやくようなか細い声だったのもあるだろう。ぜる雷光が、その小さな声を掻き消した。しかし。

「なんだと? どういうことだ? 生命活動を確認? いったい全体、なにをいっている?」

 神威かむいの大声は、はっきりと聞こえた。雷鳴をも引き裂く大音声。戸惑いと困惑、そして混乱がその声に現れていた。

 神威が見ているのは、蒼秀同様、悪魔と天使だ。両者の間でせめぎ合っていた律像りつぞうはいつの間にか消え失せていて、大魔法が炸裂することもなければ、星象現界せいしょうげんかいが発動することもなかった。それ自体に安堵こそすれ、両者の目的が不明である以上、警戒は続けなければならない。

 悪魔も天使も互いに牽制し合うように律像を構築していたはずだったし、その律像構造の美しさは、人間の理解の範疇はんちゅう陵駕りょうがしているものだった。だが、結実けつじつしなかった。魔法として完成しないままに霧散したのだ。

 そして、神威の元に届いたのは、驚くべき報告だった。

 情報局からの、上庄諱かみしょういみなからの直接の言葉。

皆代みなしろ統魔の生命活動が確認された』

 その言葉が持つ意味を理解しようとすれば、小さな混乱が生じる。導衣によって生命活動の停止が確認されたものが、生き返ることなど、万にひとつもあり得ない。

 導衣が機能障害を起こし、誤情報を送信したというのであればまだわからなくはないが、統魔の導衣が故障している様子はなかった。そんなものは、生命反応以外の種々の情報から精査せいさすれば、すぐにわかるものだ。

 そして、つまるところ、だ。

 神威は、天使と悪魔が睨み合いを続けている様を見て、それから蒼秀を一瞥いちべつした。蒼秀が八雷神やくさのいかづちのかみの雷光で抱える少女、その腕の中で、確かに統魔が動いているのが見えた。

「どういう……ことだ」

「どうもこうもないよ、総長閣下」

 アザゼルが、うやうやしくも嘲笑あざわらうかのように、いや、憐憫れんびんの情すらも感じさせるような声でいった。

「彼は、死ななかった。生きていた。それだけのことさ」

「なにを――」

 いっているのか。

 神威は、絶句ぜっくし、悪魔がこちらに向かって手を振ってくるのを見ていた。そして、その姿が影に沈むようにして消えていく様を見届ける。

 そうするほかなかった。

 悪魔たちに対抗する手段は、神威だけだ。だが、もはや時間は残されていない。悪魔たちに殴りかかっている暇はないのだ。

 衝撃が、ダンジョンを襲っている。凄まじい衝撃だ。天井にさらなる穴が空いた。蒼秀が開けたそれよりも遥かに巨大な穴、その向こう側が蒼く輝いていた。ブルードラゴンだ。その神々しさすらも感じさせるほどの威容は、存在するというだけで他を圧倒した。

 神威は、歯噛はがみした。見れば、天使たちもいつの間にか姿を消していた。もう役目を終えたといわんばかりだった。悪魔と天使の役割。使命。目的。

 それがなんなのかまるでわからないし、想像もつかない。なんのためにこの場所に天使と悪魔が集い、ぶつかり合ったのか。いや、ぶつかり合ってすらいなかった。ただ、無駄に壮大な律像を構築し、無意味に衝突させただけだ。

 そんなことのためにここに現れたというのか。

 とでもではないが、理解できなかった。だが。

「おれが奴を連れて行く。その隙にここを離れろ。いいな」

「はい」

 星将せいしょうたちは、神威の有無を言わさぬ命令に首肯しゅこうすると、その全身から発散される竜気りゅうきに圧倒された。星神力せいしんりょくを超越する、竜眼りゅうがんの力。神威が、地を蹴った。工場の床が抜けたのはそのためだ。物凄まじい衝撃が工場を破壊し尽くし、つぎの瞬間、天井に空隙が生じた。

 ブルードラゴンの巨躯が、一瞬、持ち上がったのだ。

 それがこの場から抜け出す好機だということを理解すれば、星将たちは、部下たちを魔法で抱え込み、全速力で飛び上がった。

 神威とブルードラゴンの激突は、数度。

 そのたびに破滅的な力が拡散し、周囲一帯に甚大な被害をもたらしたのは、いうまでもない。

 混沌と、破綻はたん

 ひとの姿をした竜と、竜そのものの幻魔。

 そのわずかばかりの戦闘によって、ダンジョン周辺は致命的ともいえる打撃を受け、跡形もなく吹き飛んでしまった。

 その破滅的な光景を真っ直ぐに見つめていたのは、統魔だ。

 統魔の目は、常人の目では見えない戦闘速度を捉え、光となって激突する二体の竜をはっきりと認識していた。


 なにが起きているのか、まるで理解できない。

 異常事態であり、非常事態だ。

「バアル・ゼブルめ」

 吐き捨てるように、クー・フーリンはいった。

 幻魔製造工場の奥へ、ひた走っている。彼を先導するのは、サナトスだ。この複雑怪奇な工場の構造を完璧に把握しているのは、サナトスを置いて他には居まい。その点では、クー・フーリンは己の選択に間違いは無いと思っていた。サナトスを確保したという選択は、だ。

 工場内を走り抜けるのも、正しい判断だ。部外者には、この工場の構造を理解することは不可能に近い。難攻不落の要塞であり、無限に変化する迷宮だからだ。

「ベルゼブブと、名乗っておりましたな」

「姿を変え、名を変えようとも、知るものか。あれがなんであれ、鬼級幻魔には違いないのだ」

 そして、ベルゼブブは、どうやら鬼級幻魔の集団、あるいは勢力に属しているようであり、それらは別勢力と敵対しているようだった。悪魔の如き幻魔たちと、天使のような幻魔たち。

 鬼級幻魔の姿に意味はない。ないはずだが、ときとして、同様の姿形をした幻魔たちが集まり、勢力を形成することがあった。

 幻魔史上、そうした集団、勢力が活躍したことも少なくなく。

 クー・フーリンは、今回遭遇した勢力もそのような経緯によって誕生したものなのだろうと考えていた。

「そして、奴らがなんであれ、陛下の覇道の障害となるのであれば、これを排除するだけのことだ」

「排除……できますかな」

「たかだかあの程度の勢力など、我ら円卓の騎士の敵ではないよ」

「頼もしいことですな。アーサー殿も、きっと喜ばれましょう」

 サナトスの言に、クー・フーリンは頷いた。サナトスは、騎士王アーサーの盟友である。彼の言葉は、アーサーの言葉といっても過言ではない。故に、サナトスに褒められるのは、悪い気はしなかった。

 そのとき、工場全体が、激しく揺れた。

 なにかとてつもないことが起きているような、そんな気がしたが、その原因について考えている場合ではなかった。一刻も早く、ここを脱出しなければならない。

 工場は放棄することになるが、仕方がない。ベルゼブブによって壊滅状態だったのだ。再建するくらいならば、一から作った方が早いというのがサナトスの意見だったし、そこにクー・フーリンの考えが入り込む余地はない。

 サナトスが入り組んだ通路を先導し、立ちはだかる扉に手をかざした。それだけで機械仕掛けの扉が素早く開き、そして、それが彼らの前に立ち塞がった。

「マモンが、きみに用事があるんだってさ」

 少年染みた外見をした鬼級幻魔が、深淵しんえんを思わせる赤黒い双眸そうぼうにサナトスとクー・フーリンを捉えていた。

 そのときには、クー・フーリンは、魔槍を投げ放っている。

 必殺必中の魔槍が、唸りを上げた。


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