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第千百二十八話 そして、目覚めのとき

 音は、聞こえなかった。

 色だけが鮮明せんめいで、そして強烈だった。

 視界を埋め尽くし、網膜もうまくを塗り潰す色彩。

 青ざめた空の彼方、中天ちゅうてんに輝く太陽の光は、いつだって苛烈かれつだ。目に焼き付いて離れないのではないかと思うほどだったし、実際、こうして記憶に刻みつけられているのだから、その認識は正しかったのだろう。

 記憶。

 そう、これは記憶――。

「だれの?」

 自分の。

 皆代統魔みなしろとうまという人間の記憶。

 忘れがたい、忘れてはならない出来事の記憶。

 どうしてそんなものがいま目の前に展開されているのかという疑問は、眼前で行われようとしていることに比べれば、些細ささいなことのように思われた。

「どうして?」

 わからない。

 わからないが、それは確かなのだ。

 吹き抜ける風は柔らかく、透き通っている。風が運ぶのは草花の匂い。夏が近い。自然の中に充ち満ちた生命の息吹きを全身で感じられる。それはいつだって彼や彼らの生活を彩り、包み込んでいたからだ。

 山麓さんろく一軒家いっけんや

 かつて、両親がこの広大な土地を手に入れたのは、生まれ来る我が子のためだった。その子供は、稀有けうにして例外的な存在だったからだ。

 完全無能者。

 魔法時代が到来してからというもの、一度たりとも記録されていない、完全にして絶対の、魔法不能者。

 魔素まそを持たざるもの。

 故に、その子供の育成には、周囲の環境には、慎重にならざるを得なかった。

 その子供――幸多こうたと名付けた我が子とどうやって向き合い、どうやって育て、どうやって自立させていくのか。

 両親が考えるのは、いつだってそればかりだっただろうことは想像に難くない。

 そして、周囲の人々に相談し、助言を求めたが、過去に記録のない未知の存在の誕生を前にして、皆代幸星(こうせい)奏恵かなえ夫妻に安心感を与えられるような言葉を紡げるものはいなかっただろう。

 魔法不能者は数多あまたといるが、完全無能者は、これから生まれてくるふたりの子供が最初なのだ。

 最初で、最後かもしれない。

 例外中の例外にして、特異点。

 いや、特異点になりうるのか、どうか。

 彼の誕生を皮切りに、つぎつぎと完全無能者が誕生し、やがて完全無能者の時代が来る――というわけではなさそうだった。

 だから、幸星と奏恵は、幸多のことだけを考え、山麓の広大な土地をどうにかして手に入れた。おのが全てを賭して、我が子と向き合うために。

 それだけの覚悟がなければ、完全無能者を生むことはできない。魔法社会だ。魔法不能者こそ、社会の歯車として生きていくことはできるし、ある程度の不自由さを我慢すればどうとでもなるが、魔法の恩恵すらほとんど受けることのできない完全無能者は、わけが違う。

 完全無能者として生まれる我が子を真っ直ぐに育て上げることは、皆代夫妻にとって使命であり、義務であり、責任だった。

 少なくとも、ふたりは、そう捉えていた。

 この山麓の広大な土地の一角に聳え立つ一軒家は、水穂みずほ市の中でも隔絶された領域といってよく、故に、完全無能者として生まれ落ちた幸多は、他人との違いを認識することなく育てられた。

 両親は、魔法を使わなかった。幸多の前だけでなく、幸多のいない場所でも、魔法を使うことを固く禁じた。

「愛だね?」

 それを否定する言葉を、統魔は持たない。

 幸星と奏恵の無償むしょうにして無限の愛が、幸多の人格形成に大きく影響していることは、いうまでもない事実だ。幸多がようやく他人との差違に気づいたのは、物心がつき、この世界が魔法で成立しているという事実を朧気おぼろげながらも理解し始めたころのようだ。

 そして、その頃、統魔は、皆代家に引き取られた。

 なぜ。

「そこ、疑問に思うところかな」

 統魔は、考え込む。

 目の前に展開するのは、六年前――魔暦まれき二百十六年六月五日の出来事だ。

 忘れもしない、幸多と統魔の十歳の誕生日。

 ふたりは、同じ日に生まれていたのだ。

 同年同月同日、同じ病院で産声を上げた。ただし、そのとき、声を上げることができたのは、間違いなく統魔だけだ。

 幸多は、特別な処置を受けなければ生まれることもできなかったからだったし、特殊な液体で満たされた調整槽ちょうせいそうの中では、声を上げることなどできなかったからだ。幸多がその元気すぎる産声を両親に聞かせたのは、生まれてから一年が経過してからのことだったという。

 そんなことまでよく知っているものだと我ながら呆れる想いだが、しかし、兄弟にして半身のことを知らない理由もない。

「半身。そう半身なんだよ」

 半身との再会は、予期せぬ、しかし予測して然るべきものだったのか、どうか。

 運命が幸多と引き合わせたのだとすれば、統魔は、その運命に対し、憤然ふんぜんと叫び声を上げたくなる。その運命とやらが、これから彼らの父親を奪い去ろうというのだ。

 いま、目の前で繰り返される誕生日の出来事を前に、彼は、叫ぶ。

 すると、音のない、色だけの世界が混沌に飲まれた。

 なにもかもが消し飛び、その状態で静止した。

 空は暗澹あんたんたる闇に染まり、太陽がくらい光を帯びた。雲が渦を巻き、地上からあらゆるものを巻き上げていく。嵐だ。破壊の嵐が、記憶を蹂躙じゅうりんしていく。なにが起こっているのか。いや、そもそも、これはいったいなんだったのか。自分は死んだはずだ。死ねば、終わりだ。そこで意識も途絶え、消えてなくなる。

 なのに、考えることができるというのが、あまりにもおかしい。不自然だ。道理に合わない。

「そうでもないよ」

 声が、形を成していく。

 昏い光に照らされた闇の深淵しんえんに、ひとりの少年がその姿を見せたのだ。その見知った、いや、見慣れた顔立ちを目の当たりにすれば、統魔は、憮然ぶぜんとせざるを得ない。

「なんなんだよ、いったい」

 思わず、声が出た。その事実が彼をさらに混乱させるのだ。いまのいままで、自分の意識が言葉として発せられることがなかったからだ。この意識だけの世界には干渉出来ないものだとばかり思っていた。だが、どうやらそうではないらしい。

 重くのし掛かるような力の奔流の中で、それはさらに強い輪郭《りんかk》を帯び、明瞭めいりょうになっていく。双眸そうぼうから、赤黒い光が満ち溢れた。

 皆代幸多の姿をした、悪魔。

「なんで、おまえがここにいるんだ」

「きみは、死んだ。死んでしまった。殺されてしまった。でも、それは終わりじゃない。それで終わってはならないから。そういう契約だから。そういう約束だから」

「契約? 約束? なんのことだ?」

「いずれわかるときがくる。それまでにもうこんなことがないといいのだけれど……まあ、何度繰り返したって問題はないか」

 悪魔は、統魔を射貫いぬくように見ていた。その表情は、哀れんでいるような、嘲っているような、よくわからないものだった。まさに混沌そのものといっても過言ではないような、複雑怪奇な顔。

「どうせ、きみは、死にたくたって死ねないんだから」

 意味のわからないことを――などと、統魔は叫ぼうとした。

 けれども、声にならなかった。

 なぜならば、意識の世界を襲った混沌が、彼の全てを塗り潰したからだ。

 そして。



 動悸どうきがする。

 全身が震え、汗が止まらなかった。視界が霞んでいるのは、涙のせいか。止めどなく流れ落ちていく涙は、そのうち枯れ果てるのを約束しているかのようだった。理屈はない。だが、理由はある。

「ああ……」

 幸多は、口から漏れるものが言葉ですらないことに失望しつつも、それが精一杯なのだという自覚を持っていた。

 統魔が、死んだ。

 任務の最中、鬼級幻魔と遭遇した結果、命を落としたのだという。

 導士だ。

 それも戦闘部の導士となれば、常に死と隣り合わせだということは、だれもが理解していたことだ。幸多だって、何度死にかけたのかもわからない。鬼級幻魔と対峙し、生き残ってこられたのは、幸運が味方してくれたからにほかならなかった。

 運が悪ければ死んでいた。

 そして、統魔が運悪く命を落としたのだとして、なんの不思議があろう。これまで散っていった多くの導士と同様に、統魔もまた、戦死したのだ。

 その報せを受けた瞬間から、幸多の数多の中には、統魔との記憶が奔流のように駆け巡っていた。統魔との出逢いから今日に至るまで、数え切れない想い出がある。そのすべてが鮮やかに光り輝いていて、だからこそ、幸多は涙が止まらなかった。

 技術局第四開発室内の一室。

 室内には、幸多と義流ぎりゅうのふたりだけだ。

 義流もまた、衝撃を受けていた。当然だ。皆代統魔といえば、戦団が見出した神童しんどうであり、魔法技量も戦闘能力も全てが傑出けっしゅつした、まさに超新星ちょうしんせいと呼ぶに相応しい人材だったのだ。

 十六歳にして煌光こうこう級三位にまで昇格したという事実だけで、彼がいかに素晴らしい導士なのか理解できるはずだ。

 戦団の将来を背負うべき存在だった。

 そんな彼が、戦死した。

 義流は、幸多にかけるべき言葉を探しながら、報告を待った。

 統魔とともにダンジョンに赴いた導士たちが一人でも多く生還することを願ってやまなかった。

 そのとき、義流の耳朶を貫いた幸多の声の鋭さにはっとなった。

「統魔――!」

 幸多は、叫びながら立ち上がっていた。


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