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第千百二十四話 胎動(十三)

 ベルゼブブ。

 何度となく戦団の前に姿を現し、立ちはだかった鬼級幻魔は、みずからをそう名乗った。

 バアル、バアル・ゼブル、そして、ベルゼブブ。

 彼を規定きていする三つ目の名前。

 その名前の変遷がなにを意味するのかなど、朝彦あさひこには想像もつかない。

 この状況もだ。

 二体の鬼級幻魔と大量の妖級幻魔を相手に大立ち回りを演じていた最中、突如として乱入してきた悪魔の存在は、混乱をさらに加速させ、大いなる混沌を呼び込もうとしているかのようだった。悪寒。死の淵に追いやられている事実からくる脳の警告ではなく、感覚が、そう認識させる。一刻も早くこの場を逃げなければ。だが、どうやって。

 そして、ベルゼブブは、どういうわけか槍使いを攻撃し、睨み合っている。まるで敵対しているかのようにだ。

 いや、事実、敵対しているのだろう。

 クー・フーリンと、ベルゼブブはその槍使いを呼んだ。それがその鬼級幻魔の名前なのだ。クー・フーリンもまた、ベルゼブブに強い敵意を向けている。敵意と敵意がぶつかり合い、その狭間に火花が散っているようだった。魔素の、魔力の激突。それは牽制だ。鬼級幻魔同士の、高次の戦いなのだ。

「隊長、無事ですか」

「なんとかな」

 躑躅野南つつじのみなみが朝彦に近寄ることができたのは、ベルゼブブの存在が状況を激変させたからにほかならなかった。

 ベルゼブブは、クー・フーリンを視線だけで制しながら、複眼で以て工場内を見回している。複雑怪奇としかいいようのない機械群が空間全体を圧迫しているかのような、そんな領域。そこを混沌とさせているのは、大量の妖級幻魔だ。

 アプサラス、サハギン、マーメイド――いずれも水属性の妖級幻魔たち。

 それらは、たった数人の人間を殺し尽くすために動員されているようなのだが、あまり戦果を上げられていないようだった。追い詰めてはいるのだが、決定打がない。

 人間たち。

 全部で十名の戦団の導士であり、やはりいずれも幻魔と戦い慣れているのだろう。高威力の魔法が飛び交う中、星象現界せいしょうげんかいと呼ばれる大魔法も発動していた。

 本荘ほんじょうルナの星象現界・月女神ルナアルテミス

 莫大な星神力せいしんりょく奔流ほんりゅうが、大量の妖級幻魔を無差別かつ無慈悲に殺戮さつりくしていく光景は、圧巻といっていい。

 だが、それもいつまで持つものか。

 本荘ルナは、一目見て暴走していることがわかるのだ。その強大無比な力は、理性を失い、たがが外れたがためのものに違いない。そのために際限なく星神力が消耗されており、力尽きるのも時間の問題に思えた。

 妖級たちは、ルナとはできる限り距離を取り、遠距離魔法による攻撃に専念し始めている。

 まだ、妖級は数百体以上存在していて、鬼級も二体いるのだ。

(いや、三体か)

 自分を、ベルゼブブを含めれば、だ。

「なにが目的だ、ベルゼブブ」

 不意に殺気が迫ってきたので、ベルゼブブは右手をかざした。眼前で火花が散る。クー・フーリンの魔槍まそう、その捻れた切っ先が、右手の先に生じた亜空間に激突したのだ。強大な魔力の衝突は、余波だけで物凄まじい破壊を引き起こす。

「おまえが余計なことをしてくれたものだから、ここにこざるを得なかったんだろう」

「なんのことだ?」

「一から百まで全部説明するわけないだろ。おれ様とおまえは敵同士なんだぜ」

 道理どうりを告げて、右手を振り下ろす。亜空間によって虚空を抉り取れば、クー・フーリンの魔槍ごとその左腕を吹き飛ばした。

 クー・フーリンは、即座に飛び退き、距離を取る。だが、ベルゼブブには、距離など関係がない。続け様に左腕を振り上げれば、クー・フーリンの再生したばかりの右腕を切り飛ばした。いかに鬼級幻魔が超高速で動き回ろうとも、虚空の断裂を回避することは難しい。

 そして、ベルゼブブははねを広げた。髑髏どくろの模様が禍々《まがまが》しくもくらい光を発すると、彼の全周囲に波紋が生じる。それは空間全体を震撼しんかんさせる巨大な魔力のうねりであり、触れたものを尽く飲み込んでいく波動だ。

 機械も、床も、壁も、幻魔も、なにもかも。

「これは……」

 サナトスは、自身の周囲に魔法壁を張り巡らせることで難を逃れたものの、水魔製造工場が根底から消滅していく様を目の当たりにして、愕然とするほかなかった。

 ベルゼブブと名乗る鬼級幻魔が身の程を弁えぬ愚か者だということは、わかっていた。なんといっても、単身でアヴァロンに乗り込み、アーサーに戦いを挑もうとしたのだ。これほどの身の程知らずは、魔界まかい全土を見渡しても、そうはいまい。

 挙げ句、クー・フーリンに敗れ去り、首だけとなったのだが、どういうわけかそれでも生きていた。魔晶核を破壊されてなお生き続ける幻魔など聞いたことはなかったし、研究する価値は存分にあったのだが、調べたところでなにもわからなかったことは記憶に新しい。

 サナトスたち鬼級幻魔となんら変わらないはずの、異物。

 鬼級幻魔でありながら、幻魔ならざるもの。

 それはみずからを悪魔と名乗っていた。

(悪魔……)

 その言葉がなにを意味するのか、サナトスにもわからない。

 魔天創世まてんそうせい前夜から今日に至るまで研究に没頭し、幻魔に関するありとあらゆる知識を得たはずだというのにだ。

 そして、悪魔が生じさせていた波紋が消え去ったのは、工場内が徹底的に破壊され尽くしてからだった。水魔製造機の全てが根こそぎ失われ、壁や床も根底から奪い去られてしまっている。

 残っているのは、虚無そのものの如き空間と、人間たち。そして、三体の鬼級幻魔。

「やっぱ、不味まずいな」

 ベルゼブブは、口元を拭ったときには、クー・フーリンが両腕を再生させ、あまつさえ魔槍を具現していた。が、そんなことはどうでもよかった。邪魔なもの全てを飲み込み、喰らい尽くしたのだ。

 これで準備は整った。

「もったいないなー……」

 残念そうに声を上げてきたのは、ベルゼブブの右隣に現れたマモンだ。彼は、完膚なきまでに破壊され尽くしてしまった工場内を一瞥いちべつし、頬を膨らませた。まるで子供だ。

「せっかく見つけたサナトス機関の工場なのに」

「そういいなさんな。サナトス本人がそこにいるじゃないか」

 苦笑しつつもマモンをけしかけたのは、ベルゼブブの左隣に出現したアザゼルだ。

「そっか。そういえば、そうだった」

 マモンは、アザゼルの言に大いに納得すると、つぎの瞬間にはサナトスを拘束していた。サナトスは、突如として全周囲を機械仕掛けの触手に包囲され、わけがわからないといった様子だったが、観念かんねんしたようだった。

 ベルゼブブの同志と思しき鬼級幻魔が二体も現れたのだ。

 クー・フーリンでは、どうすることもできまい。

 さらに二体、鬼級が姿を見せる。

「サナトス機関……ねえ」

 アスモデウスがマモンの背後に現れるなり、困ったような顔をした。既に機甲型きこうがたを大量生産できるようになっている以上、サナトスの幻魔製造工場を研究する価値などあるのだろうか、と、アスモデウスは想うのだ。

「どうでもよい」

 とは、アーリマン。

 暗黒そのものたるその姿は、他の鬼級幻魔たちよりも遥かに威圧的であり、凶悪無比といっても過言ではあるまい。頭上にいるというだけで、その重圧がこの虚無を押し潰すかのようだった。

 クー・フーリンすらも多大な重圧に抗わなけれがならないほどだ。

「なんやねん……これ……!」

「〈七悪しちあく〉が勢揃い……!?」

 朝彦は、南を庇いつつ、その場から移動した。ルナの元へと急行したのは、彼女の側がもっとも安全だと判断したからだ。暴走し続けるルナの力は、しかし、無差別ではない。人間と幻魔を区別し、幻魔だけを殺戮している。そして、彼女の力は、周囲の導士たちを護っていることも明らかだった。

 ルナの無意識が、朝彦たちを守護してくれる。

『いますぐ逃げてください! 戦う必要はありません!』

「んなもん、いわれんでもわかっとるっちゅーねん……」

『わかっているのなら、逃げることに全力を尽くせ。生き残ることにな』

 通信機越しに聞こえてきた声の力強さは、絶望に打ちのめされようとしていた朝彦にわずかばかりにも希望を見せるものだった。

 そして、轟音とともに、工場の天井に穴が空き、極大の光が降ってきた。

 金色の雷光は、莫大極まる星神力の塊であり、その荒れ狂う力の中心には、麒麟寺蒼秀きりんじそうしゅうの姿があった。

「逃げるぞ」

 蒼秀は、統魔の亡骸を一瞥し、それから暴走するルナ、朝彦たちを見た。

 そして、〈七悪〉と二体の鬼級を睨み据え、星象現界・八雷神やくさのいかづちのかみを爆発させた。


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