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第千百二十三話 胎動(十二)

 クー・フーリンは、人間を見ていた。

 魔槍ゲイボルグの一撃を右太腿に受け、それによって行動不能に陥ってしまった人間は、もはや彼の敵ではなくなっている。

 いや、そもそも、人間だ。ただの人間が、人間の魔法士如きが、鬼級たる彼の敵になるはずもない。

(いや――)

 彼は、胸中で頭を振る。

 眼の前の魔法士が全身から噴き出す魔力の総量は、人間とはとても思えないほどのものだ。そして、それは以前、龍宮りゅうぐうの戦場で見たものでもあった。

 龍宮とムスペルヘイムの激突。

 その際、どういうわけか、龍宮にくみした人間たちがいた。幻魔と人間の連合軍。そのようなものがこの魔界に誕生するなど、想像しようもなかったし、理解できるものでもなかった。その事実を報告したはいいものの、彼の主君もまた、困惑を隠せないという様子だった。

 幻魔は人類の天敵であり、人類は幻魔を激しく憎悪している。

 滅び去ったはずの人類のわずかばかりの生き残りであれば、尚の事、幻魔と手を組むなど考えにくい。

 とはいえ、現実に眼の前で起きていたことを否定できようはずもなく、アヴァロンは、南方に人間と幻魔の連合国家が存在しているのではないかと考えたのである。

 さて、人間の魔法士。

 それも並外れた魔法士だ。

 なんといっても、クー・フーリンに傷を付けることができたのだから、それだけでも特筆に値する。魔素質量も、人間のものとは思えないほどに膨大だ。まばゆいばかりの魔力の煌めきは、さながら星の海を目の当たりにしているかのようだった。

「だが、惜しい」

「なにがや」

 朝彦あさひこは、槍使いの値踏みするような、それでいて余裕に満ちたまなざしが気に食わず、睨み返した。足の、槍に貫かれた部分から先が全く動かなくなっている。痛みは導衣のおかげでどうとでもなるが、動かなくなったものを強引に動かすような機能はない。

 状況は、悪化の一途を辿っている。

 幻魔製造機が一斉に動き出し、千体近い妖級幻魔が放たれたのだ。朝彦は、槍使いに食い下がるので精一杯だったし、もう一体の鬼級を相手にすることなどできるわけもない。頼みの綱のルナは、暴走状態だ。ただただ泣きわめき、激情の赴くままに星象現界せいしょうげんかいを暴走させている。

 戦ってどうにかなるわけがない。

 故に彼は、部下たちに撤退するように命令したのだが、逆に工場内に突入してきていた。

「おまえが幻魔ならば、アヴァロンに迎え入れたものを」

「はっ」

 朝彦は、吐き捨てるように笑うと、左手を掲げた。律像りつぞうは完成している。

「あほ抜かせや」

 その叫びを真言しんごんとし、魔法を発動する。無数の光弾が槍使いに殺到さっとうするも、漆黒の槍が凄まじい速度で旋回し、すべて撃ち落とされてしまった。が、わずかばかりの時間稼ぎはできたはずだ。秘剣陽炎ひけんかげろうかざす。

「無駄だ」

 クー・フーリンは、朝彦が剣を振りかざした瞬間、ゲイボルグを投げ放っていた。漆黒の魔槍は、刹那にして刀身を貫き、そのまま朝彦の右腕を粉砕して見せる。朝彦が苦悶の声を上げる暇もなかったのは、さらに右肩を蹴りつけられ、床に叩きつけられたからだ。爆砕が起こる。

 蹴撃しゅうげきにすら、膨大な魔力が込められていた。

 朝彦が原型を留めているのは、星象現界を発動していたからであり、星神力で全身を強化していたからにほかならない。

「くそがっ」

 朝彦は、左手だけで起き上がりながら、爆煙渦巻く視界の先に圧倒的な魔素質量を認めた。

 工場内。

 状況は、最悪以外のなにものでもない。

 絶体絶命の窮地きゅうち

 このままでは、味泥みどろ皆代みなしろ両小隊が全滅する可能性が極めて高い。

 二体の鬼級に、大量の妖級。統魔とうまは死に、味泥小隊の四人も、皆代小隊の五人も、皆、暴走しているといっても過言ではないのだ。この苦境を脱するには、どうにかして全員に冷静さを取り戻させるしかないのだが、しかし、それは簡単なことではあるまい。

 統魔が死んだのだ。

 あの統魔が、だ。

『おれ、きみの兄弟子やねん』

 朝彦の脳裏のうりよぎったのは、初めて統魔と言葉を交わしたときの記憶だ。

 当時十四歳だった統魔は、特例かつ最年少で戦闘部に入り、第九軍団への配属が決まったばかりだった。そんな彼の元にさっそく出向いたのは、麒麟寺蒼秀きりんじそうしゅうと師弟の契りを交わしたということもあったし、なにより、新人の面倒を見るのが嫌いではなかったからだ。

『知ってますけど』

 統魔の当たり前だといわんばかりの反応が嬉しかったのを覚えている。

 それからだ。

 朝彦は、むしろ麒麟寺蒼秀以上に統魔の師匠をやっていたのではないか、と、自負するくらいに色々と手解てほどきしたものだ。

 魔導院まどういん時代から頭抜ずぬけた魔法技量の持ち主だった統魔だが、蒼秀、朝彦師弟の教えによって、さらに力を付けていったのはいうまでもない。

 才能が、だれよりも努力をすれば、他を圧倒するのは当然の結果だ。

 戦闘部の導士になれる人間というのは、並外れた魔法技量の持ち主ばかりだ。だれもが等しく魔法士としての才能、素養そよう資質ししつを持っている。そして、だれもが研鑽けんさん鍛錬たんれんを積み重ね、競い合っているから、差は生まれ難い。

 それなのに統魔が飛び抜けたのは、だれよりも精進しょうじんしていたからにほかならない。

 そして、統魔は、第九軍団内でその存在感を強く発揮し、様々な影響を与えていた。統魔に触発しょくはつされた導士の多くは、その才能を大いに発揮し、第九軍団の戦力を底上げした。

 統魔がいればこその第九軍団である、とは、蒼秀の意見だったが、それを否定するものはいまい。

 皆、統魔に感化されている。

 だから、味泥小隊のものたちですら、統魔の死を目の当たりにして、居ても立ってもいられなくなってしまったのだ。

(なあ、皆代。おれは、きみに教えたいことがまだまだいっぱいあったんやで)

 朝彦は、視界の遥か彼方で慟哭どうこくする少女と、彼女が抱える少年の亡骸なきがらを見ていた。

 もはや、クー・フーリンのことは、気にも留めていない。

 秘剣陽炎が破壊された。

 星象現界は、星神力の結晶である。一度破壊されれば、再び発動することは難しい。少なくとも、短時間に連発することなど不可能に等しいのだ。

「たとえば、そうやなあ……女の子の扱い方とか。下手やろ、自分。いまだってほら、泣かせとるやろが。本荘ほんじょうにせよ、上庄かみしょうにせよ、泣かせたらあかんで。大事にせな――」

「……なにをいっている?」

「あん?」

 幻魔が怪訝けげんな表情をしていることに気づいて、朝彦あさひこは、憮然とした。どうやら、心の声を口に出してしまっていたらしい。

「……独り言や。気にすんなや」

「ふむ。遺言ゆいごんという奴か」

「そうかもな」

 朝彦は、幻魔の言を否定しなかった。そういわれれば、そうかもしれない。なんといっても、もはや朝彦には対抗する手段がないのだ。朝彦の目の前には鬼級がいて、味泥小隊、皆代小隊の七人は、妖級を相手にするだけで精一杯だ。それも押され続けていて、勝ち目は見えない。

 いずれこちらが力尽き、敗れ去るのが目に見えている。

 衛星拠点の情報官が全力で撤退を命じているが、だれも聞く耳を持たない。

 暴走している。

「やはり、人間はよくわからぬ生き物だ」

「幻魔にいわれたかないわ」

 朝彦が唾棄だきすると、幻魔は、槍をかざした。漆黒の魔槍の切っ先が朝彦に向けられる。つぎに貫かれれば最後、朝彦の命数は尽きるだろう。

 そう覚悟した瞬間だった。

「な――」

 クー・フーリンが疑問符を上げたのは、槍を手にした右腕が肘から切断されたからであり、虚空に走る赤黒い断裂だんれつを見たからだ。

 飛び退き、左手に槍を引き寄せる。

 すると、赤黒い亀裂の向こう側からそのふちに指がかかった。細く長い指。人間のものではない。幻魔の、それも鬼級のものであることは、魔素質量を見れば明らかだ。

 なにより、その気配には、覚えがあったのだ。

 その指によって虚空の断裂が大きく開かれると、それが姿を現した。

「まったく、余計なことをしてくれたもんだ」

 それは、虚空の断裂から現れると、淵に腰掛けるようにしながら、クー・フーリンを見た。

「おかげでおれ様が出張る羽目になっただろうが」

「おまえは……バアル・ゼブルか」

「違う違う違う違う」

 細長い人差し指を振りながら、悪魔はわらう。

「おれ様は、ベルゼブブ。サタン様一の家臣だよ、クー・フーリン」

 ベルゼブブ。

 そう名乗った悪魔は、槍使いのいうようにバアル・ゼブルによく似ていた。しかし、細部が違う。頭の上に浮かんでいた破損した黒いが、禍々しい王冠のようになっていて、虚空に六つの赤黒く小さな亀裂が浮かんでいた。

 それはまるで複眼のようであり、ぎょろりと工場内を見回した。


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