第千百二十二話 胎動(十一)
超新星爆発が起こったかのような急激な魔素質量の増幅。
それこそ、感情の激発によるものだ。
統魔の死。
その瞬間を目の当たりにしたことで、皆代小隊の全隊員が理性をかなぐり捨てたのだ。箍が外れ、暴走してしまった。
冷静になるべきだ。
死はだれにだって訪れる。
等しく、無慈悲に、そして、平等に。
これまで数多の導士が命を落としてきたのだ。その様を目の当たりにしたことだってあるはずなのだ。統魔の死も、そうしたありふれた死のひとつに過ぎない。
ありふれた導士の、ありふれた結末なのだ。
(んなもん、わかっとるわぼけ)
朝彦は、クー・フーリンの槍による連続突きが空を切る様子を見つめながら、己に向かって叫んだ。激情は、朝彦をも突き動かしている。
怒りだ。
怒りしかない。
怒りだけが、朝彦の全身を支配していたし、魔力を増大させ、星神力を爆発させていた。秘剣陽炎による斬撃が、虚空を撫でる。
「魔法による視覚の剥奪か、よく考えたものだ。だが、無駄だ。感情が乗っているぞ」
クー・フーリンは、朝彦の斬撃を槍の穂先で受け流してみせると、瞬時に背後を取った。槍を突きつける。強大な魔力を帯びた槍が、空気中に満ちた魔素を掻き混ぜ、炸裂する。
「当たり前やろ」
朝彦の目が、幻魔の槍によって引き起こされた大爆砕を捉えている。爆心地には、朝彦の幻影。陽炎の能力・朧だ。
そしてその幻影に膨大な魔素が満ちていたのは、それこそ、箍が外れ、感情が溢れているからだ。冷静でなどいられない。
朝彦もまた、香織や枝連、ルナと全く同じ気持ちなのだ。
そして、その感情を止めようとは想わない。止める必要がない。
魔法とは、想像力の具現だ。
そして、想像力は、感情によって喚起される。感情が強ければ強いほど、激しければ激しいほど、想像力は破壊的になっていくものなのだ。
激情が、朝彦の星象現界を最大限に引き出していた。
その勢いに乗ってクー・フーリンの背後から斬りかかれば、さしもの鬼級幻魔も避けきれなかったようだった。陽炎の切っ先が、クー・フーリンの長い髪ごと背中を斬り裂き、赤黒い目が朝彦を睨んだ。槍が朝彦の右太腿を貫く。
「仕方がありませんな」
クー・フーリンと人間の激闘を横目に、サナトスは、静かに告げた。ひとりの人間が死んだことによって引き起こされたこの事態は、想像だにしなかったものだ。魔法士たちの暴走ともいうべき状況が、この工場に致命的な一撃を叩き込もうとしているのだ。
サナトス機関が誇る幻魔製造機が、次々と爆砕されていく光景には、憮然とするほかなかった。もちろん、放って置くわけにはいくまい。
故にサナトスは、すべての幻魔製造機を起動して見せたのだ。
すると、大きな振動とともに千機以上に及ぶ機械の卵が展開し、数多の咆哮が響き渡った。産声だ。生まれたばかりの幻魔たちが、己が存在を主張するかのように声を上げたのだ。
工場内の魔素が何倍にも膨れ上がり、水気が満ちた。
アプサラス、サハギン、マーメイド――千体以上にも及ぶ水属性の妖級幻魔たちは、同時に卵から飛び出してくると、人間たちを斃すべき敵と認識した。
サナトスが命じるまでもない。
まず、工場の出入り口付近に留まっている枝連たちに攻撃が集中する。アプサラスが水塊を乱射し、サハギンたちが殺到、マーメイドが起こす津波が工場内を飲み込み、破壊しながら迫り来る。
「れんれん! ルナっち!」
香織は、即座に枝連たちを助けようとしたが、アプサラスたちに包囲され、それどころではなくなってしまった。妖級幻魔である。獣級ならばともかく、香織ひとりで妖級を撃破するのは、簡単なことではない。しかも、香織を包囲したのは、多数のアプサラスであり、それらが無数の水塊を生み出し、投げつけてくれば、防戦一方にならざるを得なくなる。
「こっちは問題ない! 自分のことに集中しろ!」
「うん!」
枝連の大声に安心しつつ、香織は、雷光を纏ってアプサラスの包囲網を突破しようと試みた。紫電が無数に咲き乱れ、水塊を破壊、アプサラスたちが唸りを上げる。
枝連はといえば、統魔の亡骸と茫然自失状態のルナを護るため、炎の結界をさらに強固なものとしている最中だった。しかし、押し寄せてくるのは、水属性の魔法ばかりだ。視界を覆い尽くす幾重もの高波は、絶望的な気分にさせた。
(相性は最悪……だが)
枝連は、妖級幻魔の群れを睨み付けながら、歯噛みした。踏ん張るしかないし、やれるだけのことをやるしかない。つまり、防型魔法に全力を尽くすだけだ。それが枝連の、防手の役割だった。
ルナは、我を失っている。
統魔を拠り所としていた彼女にしてみれば、彼の死ほど衝撃的なものなどあろうはずもない。
本来ならば、この絶体絶命の窮地において頼りになるはずの星象現界の使い手だが、いま、彼女を当てにすることはできなかったし、しようとも想わなかった。
そんなとき、枝連に向かってきていたサハギンの集団が猛烈な突風に吹き飛ばされるのを目の当たりにした。
さらに、工場全体を飲み込みながら押し寄せてくる津波を、水の壁が押し止めた。
見れば、工場の出入り口から後方部隊の四人が入り込んできたところだった。その四人のうち、字と剣が枝連に合流、南と高畑陽は香織の援護に向かったようだった。
「助かった……!」
「いえ、当然のことをしたまでです!」
「そうだよ!」
字と剣は、枝連とルナを心配しつつも、統魔のことが気がかりといわんばかりに駆け寄ってきた。しかし、亡骸と対面している場合ではない。
二体の鬼級幻魔に、数え切れない数の妖級幻魔が存在しているのだ。
「逃げるべきです」
「ああ、そうだな。その通りだ。だが……」
「逃がしてくれるわけ、ないよね」
枝連が見遣った先には、鬼級幻魔がその圧倒的な力と存在感を発揮していた。槍使いの幻魔と、老人のような幻魔。どちらも見たこともないが、その力は他の鬼級と同等であり、圧倒的だということはいうまでもない。
剣たちでは到底敵うはずもなければ、立ち向かう意味はない。死ににいくようなものだ。鬼級を相手に戦おうというのは、勇敢ではなく、無謀なのだ。
(星象現界を使えるのなら、ともかく)
剣は、統魔を一瞥した。生気の一切無い、蒼白な顔。死者の顔。これまで、任務中に命を落とした導士の顔は、数え切れないくらいに見てきた。そこに統魔が加わるなど、想像したこともなかったが。
字は、水魔法で妖級幻魔たちの魔法をどうにか相殺しつつも、ルナに歩み寄った。ルナは、統魔を抱き締めたまま、呆然としている。肩に手を触れても、反応はなかった。
そして、統魔。
(隊長……)
字たち後方部隊は、ヤタガラスの視点で調査隊の様子を見守っていた。工場内に先行し、幻魔が潜んでいないかと確認した上で、調査隊に突入を許可したのである。すると、予期せぬ事態が起きた。
鬼級幻魔の出現と、統魔の死。
その光景を目の当たりにした瞬間、字は、頭の中が真っ白になった。なにか叫んだような気がするが、思い出せない。
導士とは、死と隣り合わせの職業だ。死は、密やかなる隣人であり、常に寄り添う影のようなものなのだ。それを振り払うことはできない。たとえ星将ほどの魔法士であっても、だ。
第五軍団長・城ノ宮日流子がそうだったように。
今回は、統魔の番だっただけのことだ。
それだけのことなのだ。
それなのに、字は、冷静さを欠いている自分に気づいていたし、感情が激発するのを止められなかった。だから、無謀にも全身全霊の魔法を駆使し、妖級幻魔の群れを相手に立ち向かおうとしている。
この戦いに意味はない。
いや、統魔を失った時点で、戦団にとって、人類にとって、大きすぎる痛手というべきだ。
いますぐ引くべきだ。
どうにかして鬼級二体の魔の手から逃れ、生還することだけを考えるべきだった。
しかし、そういうわけにはいかないようだ。
皆、激情が先走っている。