第千百二十話 胎動(九)
通路を塞いでいた幻魔の群れを殲滅すると、あとは真っ直ぐに突き進むだけでよかった。広く長い通路の先、分厚い扉が立ちはだかっている。魔法合金を筆頭とする人工物とは異なる質感は、幻魔の技術によって作り出されたものだからだろう。
そしてそれは、幻魔造りなどと呼ばれる建物群とも異なる技術のように思われた。
「通路の作りを見ても、あの扉を見ても、疑問ばかりが沸いてくるな」
「はい?」
「幻魔造りの建物には見えんっちゅうこっちゃ。こんなん、まるで人間が作った施設みたいやないか」
朝彦は、前方への警戒を強めながら、金属製の扉に触れた。ひんやりした感触が朝彦を拒絶するのではなく、むしろ受け入れるかのような反応を示す。
扉が、自動的に開いたのだ。
「これも」
「魔紋認証ですか?」
「どうやろな。似たような技術が幻魔の中にあるんかもわからん」
「幻魔の技術……」
統魔は、朝彦と枝連に続きながら、つぶやく。
幻魔は、本能的に機械を嫌う傾向にある。魔天創世によって人類の文明はほとんど滅びさったといっても過言ではないが、魔界と化した世界各地には、わずかながらも名残があり、機械の残骸が散乱していたりする。そうした残骸を黙殺するのが幻魔であり、その結果、幻魔造りの建物に機械が混入していることが少なくなかった。
そうした現象は、機械を嫌悪し、忌避するというだけでなく、存在そのものを黙殺し、無視した結果ではないかと考えられている。
それほどまでに機械を嫌う幻魔だが、マモンのような例外も存在することや、以前発見した大空洞内部の施設の例もある。
魔紋認証に似た技術を発明し、この施設に用いた幻魔がいたとしても、なんら不思議ではないのだ。
「広っ」
扉の内側に足を踏み入れた瞬間、圧倒されるような気分とともに朝彦が漏らしたのは、そんな素直過ぎる感想だった。
長い長い階段を降りてきたことから、ここが地下深くだということはわかりきっていた。だから、天井が目視するのも難しいくらいの高さにあるのだとしてもなんら不思議ではなかったが、とはいえ、この設備全体の広さが想像を遥かに超えるものだという事実には、嫌な気分にもなる。
不快感だ。
この広大な空間全域に複雑怪奇な機械が敷き詰められていて、そこに大量の卵形の培養器が並んでいるのだ。そしてそれらは幻魔の卵なのだ。これを不快に感じない人間はいまい。
本能的な嫌悪感が、全身を包み込む。
「これ、全部、幻魔の卵ですかね?」
「やろな」
朝彦は、春猪の質問に頷きながら、工場内を進んでいく。
大空洞で見られたのは、トロールの製造工場だった。トロールの巨体に相応しい培養器が無数に並んでいた光景は圧巻だったし、恐怖すら覚えたものである。
幻魔は、子を成さない。生殖能力が無く、分裂して増えるということもないとされている。故に、幻魔の数には限界があるはずだった。
しかし、マモンの配下となり、朝彦たちを窮地に陥れた三田弘道によれば、サナトス機関なる幻魔の研究機関、あるいは組織が、大空洞に見られたような幻魔製造工場を作り、大量生産しているのだという。
そのため、幻魔は増え続けているのであり、減ることがないのだ、と。
戦団が人類復興という悲願を果たすためには、幻魔を殲滅するだけでなく、幻魔製造工場をすべて探し出し、破壊し尽くさなければならないということが判明したのだ。
また、一部では、幻魔の製造機は、幻魔の卵などと呼ばれている。
まさにいま朝彦たちの目の前にある培養器は、卵形の機械だった。ただし、大きさが並の卵ではない。幻魔を製造するのだ。人間よりも圧倒的に大きく、迫力があった。
黒い卵。
それらが大量に並んでいる景色を見ていると、吐き気を催しかねない。
「千以上はあるようやな」
朝彦は、飛行魔法で飛び上がることで、製造工場内の全体を見渡した。そして、幻魔の卵の数をざっと数えて、うんざりした。千を有に超える数の幻魔の卵だ。それらが次々と孵化し、幻魔をこの魔界に解き放っていくというのは、地獄絵図以外のなにものでもない。
「この卵、動いてる?」
『孵化が近いのかもしれません』
「さっきも何体も生まれてたもんねー」
「ああ」
「それも水属性の幻魔ばっかりがな。っちゅーことはや。ここは、水属性幻魔専用の製造工場なんやろ」
「工場によって製造する幻魔の傾向が違う、ということでしょうか」
「せやろな。相反する属性の幻魔を同じ場所で製造するのは、なにかしら問題があったんやろ。あるいは、効率の問題か」
「効率……」
「同じ属性なら、色々と融通が利きそうやん」
「確かに……」
統魔は、自分たちよりも遥かに大きい黒い卵が、わずかに振動しているのを感じ取りながら、頷いた。まさに胎動というべきなのか。黒い卵型の機械の胎内で、大量の幻魔が目覚めのときを待っているのではないか。
「その通り。幻魔を製造する工程においても、効率というのはもっとも重視されるべきこと。双極属性の幻魔を同時に製造するには、多くの問題を解決しなければなりませんからな。よって、工場ごとに属性を統一するのは、合理的にして当然の帰結というわけです」
朗々《ろうろう》と、謳うように、統魔たちの疑問に解答を述べてきたのは、低い男の声だった。老人めいた、しかし、この広い工場内全体に届くように、力強い声でもある。
素早く朝彦が統魔たちと合流すると、枝連が防型魔法を発動する。
「焔王大護法陣!」
幾重もの紅蓮の炎が織り成す結界が、六人を包み込んだ。朝彦が吐き捨てるように告げる。
「幻魔やな」
「それはそうでしょう。ここは、あなたがたが考えている通り、幻魔の製造工場なのですから。幻魔以外がここにいる道理はありますまい」
声は、朝彦たちの遥か前方から聞こえてきていた。
朝彦たちは、工場の出入り口付近に固まっており、そことは正反対の位置に声の主はいるようだった。おそらく、同じような扉が反対側にもあり、そこから入ってきたのではないか。
「つまり、あれらは道理ではない、と」
「そういうことになりますな」
「ふむ」
老人の声とは異なる、毅然とした若い男の声が工場内に響き渡れば、統魔も眉根を寄せた。
「もう一体……」
「なんで!?」
「皆代、本荘、気張れよ!」
朝彦は、そのときには星神力への昇華を終えており、遥か前方の敵を見据えていた。相手が鬼級幻魔だということは、その姿を見ずとも認識できる。
人間と会話が成り立つというだけでも、幻魔の中でも高位だ。そして、この圧倒的な魔素質量。工場全体を覆い尽くさんばかりの圧力は、朝彦の警戒心を最大限に引き出し、反応が魔力を星神力へと昇華させたのだ。
「秘剣陽炎」
朝彦は、星象現界を発動した。星神力が莫大な光となって全身から発散し、彼の掲げた右手の内に収斂、両刃の長剣を具現していく。凶悪なまでの魔素質量の塊であるそれは、存在するだけで周囲を圧した。
二体の鬼級幻魔が発する圧力を跳ね返すほどの力。
だが、朝彦は、背筋が凍るような寒気を認めた。相手が、一枚も二枚も上手なのは、いうまでもないことだ。
鬼級が二体。
一体でも勝ち目は薄いというのに、だ。
(はっ)
これが最後。
朝彦は、自分が統魔に告げた言葉を思い出して、苦笑した。本当の意味で、最後になってしまうかもしれない。そうなる可能性が、限りなく高かった。朝彦としては、統魔たちを生かして還す必要があるからだ。
(二体くらい、行けるやろ……!)
己を鼓舞し、秘剣陽炎の柄を握り締める。
すると、男が、黒い卵の上に飛び乗るのが見えた。若い声の主だろう。見るからに凜々しく、勇壮な騎士めいた姿の幻魔。身に纏うのは軽装の鎧であり、幻想の世界から飛び出してきたような華々しさがあった。
そして、その手には槍が握られていた。漆黒にして異形の槍。槍捌きは、流麗。
「我が槍に貫けぬものなし」
幻魔の宣言は、つぎの瞬間、現実のものとなった。
統魔は、衝撃を感じた。激痛もあったように思う。けれども、それは一瞬の出来事だったため、はっきりと実感することはできなかった。
というのも、幻魔の投げ放った槍が、統魔の胸を貫いたからだ。視界が狭窄し、暗転する。急速に。
だれかが叫んでいる。
絶叫とも慟哭とも取れるそれが遥か彼方の出来事になっていくのは、きっと、この命が尽きていくからだ。
ああ、と、統魔は、想った。
死は、こんなにも呆気ないのか。