第千百十九話 胎動(八)
「数だけは、多かったな」
「ですね」
朝彦のあくびを漏らす素振りさえ見せるほどの余裕ぶりには、統魔も笑顔を覗かせた。
ダンジョンの地上部を散歩するように徘徊していた霊級、獣級幻魔を殲滅した一行は、速やかに地下施設への出入り口の目前へと移動している。
水属性の幻魔ばかりだったということもあり、雷属性を得意とする香織が大活躍している。
魔法力学において、水の双極属性は火であり、水属性の幻魔には火がもっとも効果を発揮するのだが、雷もまた、その威力を通常以上に発揮するからだ。
魔法力学とは、そういうものなのだ。
双極属性以外にも効果的な属性があり、それは導士ならばだれもが頭に入れていることだ。幻魔の属性に関しても。
水に火・雷属性が効果的なように、火には水・氷属性がその威力を発揮するのだ。
さて。
香りは、幻魔の大群を相手に大立ち回りを演じ、大魔法を連発したがため、体内の魔素を枯渇させていた。息も絶え絶えといった様子でルナにしがみついたまま懐を探ると、青白く透き通った結晶を取り出す。
霊晶片と呼ばれるそれは、戦団技術局の発明品である。それこそ、戦術、戦略を根底から変えるほどの大発明といっても過言ではあるまい。
霊晶片は、極めて小さな擬似霊石だと認識していい。ただし、擬似霊石のような霊場を発生させる力はなく、この手のひらに収まるような石片に詰まっているのは、膨大な魔素である。
そして、その石片を握り締めることによって、石片に詰まった魔素を体内に吸収、消耗した魔素を補うというのが正しい使い方だ。
魔素は、魔法の使用によって消耗する。魔法に用いる魔力は、体内の魔素を練り上げることによって生み出されるものであり、魔力の消費とは、即ち魔素の消費でもある。魔法の多用等によって魔素を消費していくと、やがて魔素生産力が追いつけなくなり、魔力を練成することすらできなくなる。その状態で魔法を使おうとすれば、一時的な魔法不能障害に陥る危険性すらもあるという。
魔素は、勝手に、それも大量に生産されるものであり、余程魔法を乱用しない限りは枯渇するようなことはない。
しかし、導士の戦闘となれば、話は別だ。
相手が大量の幻魔だったり、妖級以上の幻魔が相手となるのだから、大規模、高威力の魔法を使わざるを得なくなる。
そうなれば、消耗も激しくなり、魔素の供給が追いつかなくなったとしても不思議な話ではないのだ。
現在、香織がへたれ込んでいるのは、地上の幻魔を相手に暴れに暴れ回ったからだし、それは命令無視も良いところなのだが、彼女の大活躍によって統魔たちの消耗が抑えられたことは必ずしも悪いことではない。
霊晶片は、つい先日発明されたばかりで、現在各地の工場で量産されている最中だという。香織が携行していたのは、各軍団に提供された第一次生産品であり、貴重品だが、任務中だ。使わない理由はなかった。
また、霊晶片を正しく使うには、導衣を身に着けておく必要があるという話だった。霊晶片から魔素を取り出すのは、導衣の新機能が必要だからだ。
つまり、導衣もまた、霊晶片に対応した最新型だということだが、この最新型導衣は、性能面でも全面的に向上している。
実際、身軽だったし、魔素の練成効率も大幅に向上していた。戦闘能力全般が、だ。
香織が暴走気味に魔法を乱発したのも、そのせいかもしれない。全身に充溢する魔力が、彼女の精神を昂らせたのではないか。
「どうなの? 霊晶片って」
「なんか変な感じ-」
「変? どんなところが?」
「魔素ってさ、自分の体内で作られるわけじゃん? 血液みたいにさ。それを外から取り込むのは、やっぱい違和感あるよねーって」
「実感あるんだ?」
「ないけど」
「ないの!?」
「ないんかい」
ルナと朝彦が香織に同時に突っ込むのを背中で聞きながら、統魔は、前方を見ていた。
このダンジョンの本命ともいえる、地下施設への出入り口。
ダンジョンの地上部は、全体的に廃墟同然だった。どこもかしこも崩壊していて、原形を留めているものはなにひとつ見当たらない。しかし、地下への出入り口だけは、しっかりと残っている。広い広い出入り口。傾斜は浅く、その先には人間が扱うには大きすぎる扉が口を開けている。そして、その向こう側に闇が蹲っているのだが、時折、揺らめいているように見えた。
魔素が、渦巻いている。
地下への入り口は、さながら冥府への通り道のようだ。
その闇の中を突き進んだ先に長い長い階段があるということが、ヤタガラスの先行調査によってわかっている。
さらにその先に幻魔製造工場があるというのだから、一刻も早く乗り込んで、破壊し尽くすべきだろう。
統魔がそんなことを考えていると、香織が半分ほど残った霊晶片を懐に仕舞った。ルナに抱きつく力を強くしながら、声を上げる。
「でも、効果抜群なのは確かっす!」
「見るからに元気になってるもんな。まあ、技術局の発明品に疑問を持つことなんてあらへんけど」
「ですね」
「さあて、新野辺も回復したようやし、本題はこっからや。行くで、皆代」
「はい」
朝彦に肩を叩かれて、統魔は、杖長に道を譲った。こういう場合、先を進むのはいつだって朝彦だ。その後を統魔たちが続き、最後尾に宮前春猪が陣取っている。
通路内に足を踏み入れようとすると、ヤタガラスが飛んできて、調査隊を先導した。ヤタガラスの目から放たれる光が、ダンジョンの暗闇を切り裂き、照らしてくれる。
「結構な傾斜やな。こんなん、人間が作るもんちゃうで」
『やはり、大空洞同様、幻魔の施設なんでしょうか?』
「ほかに考えられるかい。幻魔の製造工場やぞ。人間が幻魔の製造に成功してたんやったら、世の中変わってたやろ」
『幻魔の大量発生の原因が、そこにあった可能性は?』
「……ないな。そないなこと、あるわけないわ」
朝彦は、通信機越しに躑躅野南と言葉を交わしながら、調査隊の先頭を進む。急傾斜の階段を降りながら、遥か先に待機しているヤタガラスの視界に映る幻魔の群れを警戒、律像を練り上げていく。
統魔たちも同様だ。
いつ戦闘になってもいいように枝連が防型魔法を準備し、朝彦の背後に控えていた。戦闘の要は、防手だ。そしてこの調査隊の防手は。枝連なのだ。枝連が緊張しているのも、当然だろう。
「幻魔が世に溢れたんは、結局、人間が愚か過ぎたからや。過ぎた欲望は身を滅ぼす、なんてよくいうやろ。魔法は確かに万能に近い力や。魔法さえあればなんだってできる――その勘違いが世界を破壊し、人類を滅ぼし、幻魔を大量に生み出した。それこそ、人類の総数以上にな、っと」
朝彦は、南との会話に熱中しそうになったところで足を止めた。階段を降り切ると、通路が待ち受けていた。長大な階段だった。百段はくだらなかったはずだ。
しかも急傾斜である。
かなり地下深くまで降りてきたのは、いうまでもない。
その地下には、やはり道幅が広く、天井の高い通路が待ち受けていた。人間用の施設ではない。通路全体が暗いのも、それを助長している。照明器具の類が見当たらないのは、幻魔には不要だからだ。
幻魔特有の視覚を以てすれば、無明の闇であろうとなんの問題もないのだという。
逆をいえば、幻魔の視覚ならば、ヤタガラスがどれだけ光を発していても認識されないし、警戒されないということだ。
それになにより、大半の幻魔は、機械を黙殺する。
故に、ヤタガラスは有用なのだ。
「この先、ケットシーの大群が待ち受けとる。それを率いてるんはアプサラスや。妖級のな」
「はい」
「おれがアプサラスを斃す。ケットシーは任せたで」
「はい」
朝彦の指示は、端的にして簡潔だった。そして、言い切ったときには、朝彦は飛び出していた。通路の先、曲がり角を右へ。視界の暗闇を引き裂くのは、ヤタガラスの光。黒猫の群れが気づいたのは、朝彦の魔素質量に対して、だ。
無数の紅い目が見開かれ、怒気すらも発したが、そんなものは気にならない。
通路内を水気が満たす。そこへ。
「閃輝輪!」
「月華烈風!」
「電光手裏剣乱れ打ち!」
統魔、ルナ、香織の攻型魔法がケットシーの大群を圧倒し、眩いばかりの光が朝彦の視界を塗り潰した。怒号とも断末魔ともつかない幻魔の声が爆音に消されていく中、朝彦は、アプサラスの妖艶ともいえる姿を眼前に捉えている。大量の水気が、アプサラスを包み込もうとしていた。
「烈光剣」
朝彦が、光の剣を振り下ろし、アプサラスを真っ二つに切り裂いた。