第百十一話 無能者無双
春日野隆重の幻想体は、瞬く間に崩壊した。
一瞬だった。
戦場に指定された未来河の河川敷、その土手の上に立ち並び、試合の行方を見守っていた導士たちには、なにが起こったのかすら理解できなかった。ほとんどの導士が、あまりの速度に視認できなかったのだ。
美由理だけは、目で追えていた。
幸多は、試合開始の合図とともに春日野隆重との間合いを詰めた。一足飛びに相手の懐に飛び込み、足を払い、転倒させると、透かさず相手の首を右足で踏みつけている。さらに間髪を容れずに、相手の眉間に拳を打ち込み、打ち砕いて見せたのだ。
そして、春日野隆重の幻想体は、一瞬にして光となって崩壊した。
それが、美由理が見届けた一部始終であり、導士たちが呆然としている理由だった。
幸多は、ごくごく当たり前のことをしたかのような態度で元の位置に戻っていくと、土手を見上げた。次は誰か、と、彼の目が言っていた。
「次!」
美由理が声を上げれば、当惑していた導士たちの中から、一人が飛び出して河川敷に降り立った。
「第七軍団灯光級三位、沖浜友香子! 美由理様の弟子だからって容赦しないから」
縹色の髪の女導士が、力強い口調とまなざしでもって、幸多と対峙した。彼女も階級からすれば、新人導士なのだろうと推察する。
が、幸多にとってはどうでもいいことだ。
春日野隆重を撃破してわかったのは、彼らは自分の相手にならない、という圧倒的な事実だ。
だからといって気を抜くことも、手を抜くこともしない。誠心誠意、全身全霊を込めて、戦わなくては彼らに失礼だし、なにより、美由理に、師匠に悪い。師匠は、弟子である幸多の実力を測るためにこそ、この訓練を仕組んだのだ。
「よろしくお願いします!」
幸多は、お辞儀をして、構えた。
「始め!」
美由理の号令とともに、幸多は、地を蹴るようにして、飛んだ。低空を滑るように、相手に向かう。沖浜友香子は、右後方に飛ぶことで距離を取った。が、それは、彼女の幻想体が崩壊するまでの時間をわずかに伸ばしただけだった。
つぎの瞬間には、幸多の足が彼女の足を払っている。あっさりと転倒すると、瞬時に首を踏みつけられた。激痛とともに呼吸ができなくなれば、魔法の想像も霧散せざるを得ない。そして、追撃が降ってくる。顔面を貫く猛烈な一撃。
沖浜友香子の意識は、そこで現実に回帰した。
幸多は、崩壊していく幻想体を見届けることもなく、元の位置に戻った。
手応えを感じない。
相手が弱すぎる、と、思ってしまう。
黒木法子や草薙真のほうが遥かに強い、というのは、幸多の勝手な想像や贔屓目などではあるまい。実際に法子と真のほうが強いのだ。
真も今頃、同期の導士たちを相手取って大立ち回りを演じているのかもしれない。
そんなことを考えながら、次の相手を待つ。
「次!」
美由理が言えば、土手に居並ぶ導士たちの中からまた一人が飛び出し、幸多の前に降り立つ。
土手の導士たちの間では、動揺が生まれていた。幸多の実力を目の当たりにして、なにも感じないものなどいようはずもない。
目で追えない速度から繰り出される猛攻によって、防御は愚か反撃すらできないまま、現実に回帰していく導士たちの姿を目撃すれば、それまでの考えを改めざるを得ない。
皆、皆代幸多という人間を甘く見ていた。
対抗戦に優勝したのだって、最優秀選手に選ばれたのだって、幸多の実力によるものではなく、天燎高校対抗戦部の総合力によるものに違いない、と思っていた。
なにせ幸多は魔法不能者だ。魔法不能者が魔法競技の祭典たる対抗戦で活躍できるなど、考えられるものではない。
映像を見れば、確かに活躍していることはわかるし、それを知っているものも少なくはなかった。決して幸運に恵まれただけではないということを理解している導士もいる。
が、それは対抗戦の中での話であって、実戦を想定した幻想訓練では、まったく関係のないことだ、と、彼らは結論づけていた。
なのに。
「鍛冶屋倫史! 第七軍団灯光級三位! よろしく!」
元気一杯に名乗ったのは、髪も目も茶鼠色の導士だった。やはり幸多と同年代である彼もまた、新人導士に違いない。
「よろしくお願いします!」
幸多は、三度お辞儀をして、半身に構える。
「始め!」
美由理の号令の直後、試合は決していた。
幸多は、今度は、足払いをしなかった。ただただ真っ直ぐに飛び、その勢いを乗せた全力の拳を鍛冶屋倫史の顔面に叩き込んだのだ。相手は目を見開いたまま、幸多の拳によって顔面を貫かれ、幻想体の崩壊とともに消え去った。
勝負は一瞬、決着も一瞬。
全てが一瞬の内に終わるものだから、土手の導士たちも幸多の戦い方を分析している暇もない。
(やっぱり、そうか)
幸多は、といえば、一人納得しながら、右拳を見下ろしていた。開始位置に戻りながら、確信する。彼らには、対魔法士用の戦闘術を使う必要がない、ということだ。
幸多が母・奏恵に叩き込まれた対魔法士戦闘術は、真武という。魔法不能者によって創始された武術であるそれは、魔法不能者が魔法士に打ち勝つために編み出されたものであり、いかにして魔法士を無力化するかに念頭を置かれた物だった。
まず、足を払い、転倒させるとともに首を踏み、喉を潰す。これによって、大抵の魔法士は、魔法が使えなくなる。魔法は、真言の発声によって結実するものだからだ。
さらにいえば、魔法とは、想像力の具現である。魔法の想像には、多大な集中が必要不可欠だ。集中を乱されれば、魔法を使うこともままならない。激痛は、集中力を乱す。つまり、痛撃を与えれば、それだけで魔法の行使を困難にさせることができるということだ。
もっとも、喉を潰した時点で、勝敗は決している場合が多い。
魔法士は、魔法という強大な力に頼りすぎている。その身体能力は、幸多と比べれば貧弱そのものだ。
魔法の使えない魔法士が、魔法不能者としての現実を見据え、鍛え上げてきた幸多に敵うわけもないのだ。
「次!」
美由理は、幸多にだけ注目している。導士たちの動きには全く関心を持たず、興味も持っていなかった。これは幸多の実力を測るための訓練なのだ。導士たちが一切食い下がることすらできないという事実さえも、どうでもいいことだった。
それは、端からわかりきっていたことだからだ。
幸多の実力が灯光級で収まるわけがないことなど、彼と初めて逢ったときからわかっていた。
「第七軍団灯光級三位、大工鈴です。優しくしてね」
大工鈴は、これまでの連戦を目の当たりにして、さすがに幸多の実力というものを理解していた。とても魔法不能者とは思えないような速度は、魔法士と比較しても指折りなのではないか、と思えるほどのものだった。対峙すれば、その殺気の鋭さに怖気が走った。
手が震えた。
一方の幸多は、桃色の髪の女導士の控えめな態度にも、気を引き締めるだけだ。お辞儀をする。
「よろしくお願いします!」
「始め!」
美由理の号令とともに、幸多は、飛ぶ。低空を滑るようにして、相手へと殺到し、ただの一撃でその幻想体を崩壊させた。
一秒も持ったのか、どうか。それほどの速度で決着が着いていく。
「次!」
「第七軍団灯光級三位、釣船一徹! おれが勝つ!」
「よろしくお願いします!」
「始め!」
幸多と釣船一徹の試合は、幸多の直線的な動きを見越して大きく左に飛んだ釣船一徹がわずかに時間を稼いだものの、背後に回った幸多が繰り出した側頭部への回し蹴りによって勝敗が決した。
「次!」
「第十軍団灯光級三位の東宮鞠よ、生温い第七軍団と一緒にしないでね」
「よろしくお願いします!」
「始め!」
東宮鞠は、むしろ幸多との距離を詰めることによって虚を突こうとしたようだったが、幸多は、そんなことはお構いなしに対応した。
東宮鞠が繰り出してきたのは、魔法を使うための時間稼ぎの牽制攻撃に過ぎない。そんなものでどうにかなるほど幸多はか弱くはないのだ。
体を捌いて躱して見せて、伸びきった腕を掴んで背負って投げる。そして地面に叩きつけ、透かさず拳を打ち下ろす。顔面を貫けば、それで終わりだ。幻想体が崩壊し、光と消える。
「次!」
「第十軍団灯光級三位、高須春貴だ。きみの連勝もここまでにさせてもらおう」
「よろしくお願いします!」
「始め!」
高須春貴と名乗った導士に対しても、幸多は容赦なかった。瞬時に間合いを詰めて、腹を貫く打撃で勝負を終わらせた。
「次!」
「えーと、第十軍団灯光級三位の竜山八重です。その、痛くしないでくださいね」
「よろしくお願いします!」
「始め!」
そして、最後の灯光級三位である竜山八重との試合も、一方的だった。
幸多の一方的な攻撃によって、決着が着いたのだ。
参加者二十人中八人が、あっという間に現実へと回帰していった。
幸多は、息一つ切らしていない。