第千百十八話 胎動(七)
味泥朝彦は、第九軍団の杖長筆頭である。
杖長とは、戦闘部十二軍団において、軍団長、副長に次ぐ立場の導士のことであり、大規模作戦においては大隊長に任命されることが多い。
当然、優秀な導士ばかりであり、中には星象現界を体得しているものもいる。
そんな中でも筆頭と呼ばれるのは、各軍団ごとにひとりだけだ。
朝彦は、そんな杖長筆頭なのだ。
杖長の中の杖長にして、副長候補、あるいは軍団長候補――。
「このダンジョンには、四方をとてつもなく高い壁に覆われていた形跡があります。推定二十メートル以上――つまり、央都の建築基準を遥かに凌駕する建造物だったというわけです。いまはいずれの方角の壁も崩壊していて、どこからでも入り込めますが……」
「創世以前は、なんかしらの施設やったっちゅうわけやな」
「はい。過去の記録と照らし合わせたところ、ここには魔法技術に関する大規模な研究施設があったようです。もっとも、〈書庫〉の記録が古すぎて、参考になるのかどうかは不明ですが」
「まあ、せやろな」
朝彦は、躑躅野南からの報告に大いに頷きながら、確かに半壊したまま野ざらしにされている壁を見ていた。壁同様、地上二十メートル以上あったのであろう門柱も半ばほどで折れていて、原型を想像することも叶わない。もちろん、施設の四方を囲っていた壁もだ。いずれの方角の壁も、壁としての役割を果たせないほどに穴だらけだ。
つまり、敷地内を覗き見るのは容易いということだが、わざわざ肉眼で覗き込む必要はない。
朝彦は、例によって例の如く、四機のヤタガラスに先行させており、それによってダンジョンの内部構造を把握しようとしていた。
「地上の建物は半壊か全壊していますね」
「当然よね-」
「魔天創世に耐えられる建物があるわけないもんねー」
「幻魔は……多数。霊級以上に獣級ばかりですね。妖級は見当たりません……いえ、地下にもっと多くの幻魔がいるようです」
「地下に?」
「はい。敷地内の北側に開口部があり、そこを幻魔が出入りしています」
「幻魔が、出入り……」
隊員たちからの報告に、朝彦は、眉根を寄せた。考え込む。
空白地帯に出現するダンジョンの大半は、過去の遺物である。人類の遺産と呼ぶこともあるが、遺産というほどの価値はなかったりすることが多い。
というのも、魔天創世の直撃を受けているからだ。
魔天創世は、地球上の魔素濃度を何倍、何十倍にも増大させたと考えられている。
それによって起こったのは、生物の死滅。幻魔を除くありとあらゆる生命が死に絶え、地球は、幻魔の星と成り果てた。建造物や構造物、地球上に存在した大量の人工物もまた、魔天創世によって大打撃を受け、崩壊し、消滅したのだ。
遺跡や遺構、遺物のほとんどすべてが原型を止めておらず、現代社会になにかしらの影響を与える新発見があるということは、稀有なのだ。
しかしながら、空白地帯に突如として現れるこうした遺跡が、なぜ、ある程度形を保っているのか、その理由は謎に包まれている。
魔素異常が起こした奇跡、気まぐれではないかというのが定説だが。
それはそれとして、朝彦は、幻魔の出入りしているという開口部を覗き見た。たしかにそれは、口だった。廃墟に穿たれた大穴が、まるで魔物が大口を開けているかのように見えるのだ。そして、その口から体内へとみずから入り込んでいくケットシーたちの姿があった。
「その先はどうなっとんのや?」
「調べていますが……まるであのダンジョンみたいですね」
「あの?」
「大空洞、ですか?」
「はい。大空洞内部にあった幻魔の施設のような……いえ、これは、あれと同様の施設と見て間違いなさそうです」
「なんやと?」
「これを」
そういって、南は、幻板を朝彦に寄越した。朝彦の目の前に滑ってきた幻板にはヤタガラスの視界が映し出されているのだが、そこには南がいったとおりの光景が広がっていた。
つまり、あの大空洞内部にあった幻魔製造工場だ。
無数に並ぶ幻魔製造機、その卵型の培養槽の中に幻魔の幼体とでもいうべきものが蠢いていた。まさに胎動しているのだ。
ただし、製造されているのは、妖級幻魔トロールではない。
様々な獣級幻魔、妖級幻魔が、大量に生産されているのが一目でわかった。多種多様な、しかし、どこか統一感のある幻魔たち。いうなれば悪夢のような光景だった。
そのとき、眼前の製造機から煙が噴き出したかと思うと、卵が割れるようにしてケットシーが飛び出してきた。一見すると黒猫にしか見えない怪物は、赤黒い双眸を閉じ、大口を開ける。
産声が、聞こえてくるかのようだった。
「こらあかんな」
「潰しますか?」
「おう、皆代。よういうた。さすが未来の大星将やな」
「なんなんですか、いったい」
「なにがや」
「そんなに褒めてもなにも出ませんよ」
「褒めるもなにも、事実やろ」
朝彦は、どこか照れくさそうな統魔の頭に手を置いた。統魔は、抗おうとはしない。むしろ、朝彦のそうしたくだけた態度が嬉しかった。
鳴り物入りで戦団に入り、第九軍団に配属された統魔は、周囲の導士たちからどこか腫れ物にでも触れるかのような扱いを受けていた。
それもいまならば当然だったのだろう、と、理解できる。
十歳にして戦団に目を付けられて勧誘され、長じて星央魔導院に入学、飛び級で卒業した統魔は、十四歳で入団、導士となった。
順風満帆というだけでは足りないような、そんな導士人生だったが、だからこそ、同世代の導士たちには触れづらい存在だったのではないか。
そんな中、積極的に声をかけてくれたのが、朝彦だった。
同じ光属性を得意とするだけでなく、麒麟寺蒼秀の弟子だということで、気に懸けてくれたのだろう。
統魔が朝彦に気を許すのは、道理といっていいのではないか。
そんな風に思う。
「頼りにしてる」
「頼られます」
「おう」
朝彦はといえば、統魔の自信に満ちた物言いが好きだった。彼は、初めて逢ったときから自信家だった。無論、過信などではない。自分の実力を正しく理解し、把握しているからこその、確信。
そんな統魔をさらに強く、優れた導士として鍛えていく過程は、この上なく楽しかったものだ。
『世間には、きみの弟子だと思われているようだ』
蒼秀にまでそんなことをいわれるほどだ。
それだけ朝彦が統魔を気に入っていたという証だが、だからこそ、少しばかり寂しい。
もちろん、そんなことはおくびにも出さないのだが。
「後方部隊はここで待機。突入部隊はおれに続くように」
「はいっ!」
朝彦の指示に調査隊の全員が力強く返事をした。
南側の外壁から施設内を覗き込めば、獣級幻魔ケットシー、アーヴァンクが列を成して歩いている様子が見えた。
遠方には、ミズチ、ゲンブの姿もある。
「水属性の幻魔ばっかりだね」
とは、ルナ。囁くような彼女の声に、統魔たちは頷く。
突入部隊の人員は、こうだ。
隊長を味泥朝彦が、副長を宮前春猪が務め、皆代小隊の四名、統魔、ルナ、枝連、香織が同行している。
ヤタガラスを操作中の後方部隊は、躑躅野南、高畑陽、上庄字、高御座剣の四名だ。
ヤタガラスが先行していることによって、ダンジョンの内部構造は十全に把握している。少なくとも、製造工場の入口までは、完璧といっていい。
問題は、ヤタガラスではどうにもならない幻魔だ。
そして、それらはルナのいったとおり、水属性を得意とするものばかりだった。
二足歩行の猫の怪物ケットシーに、川獺の化け物アーヴァンク、ミズチは水色の大蛇の如き幻魔であり、ゲンブは上位獣級幻魔に分類されるだけあって巨大だった。
ゲンブは、全長五メートルはあろうかという巨躯を誇り、全体として亀に似ているが、尾が蛇の頭になっているのだ。まさに伝説上の玄武そのもののようだが、そうではない。
幻魔は、幻魔に過ぎない。
それら水属性の幻魔が徘徊しているのが、地上の様子だ。
「だから湿気てるのかな?」
「湿気てる? そう?」
「そうだよー、湿気すぎて髪の毛くるっくる」
「そんな風には見えないけどな-」
「冗談言い合ってる場合か」
「せやせや、髪の毛くるっくるも可愛いもんやろ」
「杖長」
「なんや、皆代。ええやろ、明るくて」
「それは……まあ」
統魔は、朝彦の笑顔の眩しさに思わず目を逸らした。視線の先に幻魔の群れがいる。ケットシーたちが雨を降らせながら歩き回る姿は、施設内を見回っているというよりは、散歩しているような気楽さがある。
(こっちも似たようなもんか)
冗談を言い合う部下と上司の様子に、緊張している自分が馬鹿らしくなりつつも、とはいえ、朝彦の発言が気になって仕方がなかった。
(最後ってなんだよ)
統魔は、朝彦を心から尊敬している。
いつまでも先に立ち、導いて欲しいとすら思うほどに。