第千百十六話 胎動(五)
「まずは、魔素を認識できるようになることから始めよう」
北条ギガは、一二三に魔法を教えるに当たって、丁寧にしすぎたとしてもなんの問題もないと考えていた。
一二三は、魔法初心者だ。
十六歳の魔法の初心者というのは、そうはいない。
なんといっても、魔法社会だ。
そして央都市民ならば、だれもが幼少期に魔法の基礎中の基礎くらいは学ぶからだ。中には物心ついたときには、魔法の仕組みを理解し、魔法を行使できるようになっている神童もいるが、それは稀有な例に過ぎない。
大半の魔法士は、ある程度成長してから学び始めるのだ。
年齢でいえば、七歳ぐらい――つまり、小学校に入ってからだ。
魔法教育は、学校教育の一環として組み込まれている。
小学校教員が基礎魔法教育資格を持っていることが多いのも、それが理由だ。
そして、魔法の授業が楽しみだから学校に通いたくなるという子供たちが多いのは、やはり、魔法社会に生まれ育ったからだろう。それが一般的な感覚なのだ。
一二三は、そんな一般的な感覚から隔絶されて成長してきたのだが、とはいえ、この世界が魔法で成り立っていることは理解していたし、自分が魔法士としての人生を歩み始めたのだと理解すれば、興奮しないわけがなかった。
まるで子供のように、わくわくしている。
そんな一二三の興奮ぶりが、目の輝きから伝わってくるものだから、ギガは、できる限りわかりやすく教えようと決意を新たにするのである。
彼には、才能がある。
魔法士としての類い稀な素養が、眠っている。
それをしっかりと目覚めさせることこそが、ギガの使命なのだ。
だから、彼は、授業をする。
魔法の授業は、大きく分けて二種類ある。
ひとつは、座学。つまり、魔法に関する様々な知識を学ぶこと。
もうひとつは、実技。実際に魔法を使うことで、覚えていくことだ。
一二三の場合、座学に関してはほとんど問題なさそうだった。
彼は、魔法に関する知識だけならば、基礎、応用ともに十二分に持っていたのだ。そして、知識だけではどうにもならないのが現実というものだ。
魔法などは、特にそうだろう。
魔素を認識し、制御し、魔力を練成するだけでも、簡単なことではないのだ。
生粋の魔法士たちが簡単にやっているのは、子供のころから教わり、学び、叩き込まれてきたからにほかならない。
魔法社会だ。
魔法を使えないものは、無能者呼ばわりされる世界。
故にだれもが必死に魔法を学び、使いこなせるようになろうとする。
一二三も、必死だ。
必死に学び、体得しようとしている。
一日も早く、いや、一刻も早く魔法を会得し、戦闘部の一員になりたいのだ。
『それがぼくの存在意義ですから』
ギガは、一二三が精神を集中させる様子を見つめながら、初対面のとき、彼がいった言葉を思い出していた。
神木神威複製体百二十三号。
唯一の成功体ながら、竜眼の暴走によって脳以外のすべてを失った少年。いま、彼がこうしてここにいるのは、奇跡が起きたとしか言い様がなかった。
いや、彼の存在そのものが奇跡の結晶というべきなのではないか。
ギガは、そんなことを考えながら、一二三に向かって魔法を使った。
魔素を認識、知覚する手っ取り早い方法は、やはり、魔法を体感することなのだ。それによって体内の魔素が刺激を受け、いままで認識できなかったものが感覚としてわかるようになることが多い。
基礎魔法教育でも用いられる方法だ。
そして、それによって、一二三は、体中が熱くなったような感覚を認めた。
まず熱を帯びたのは、指先。左手の人差し指が燃えるように熱くなった。その熱が次第に広がってきて、指から手のひらへ、手のひらから手首へ、手首から腕へと伝播していくかのようだった。
幽体離脱のときの冷たい感覚とは全く正反対のそれが、魔素を認識するということなのか。
一二三には、わからない。わからないが、熱が急速に体中に波及していくのは理解できた。肩から胴体へ、胴体から首、右肩、腰、足――体中が熱を帯びた。
ギガにも、一二三の体内で魔素が力を帯び始めていることがわかった。伊佐那麒麟や義一のように真眼を持っているわけではないから、魔素を映像として視ているわけではない。
感覚的に、理解できる。
「そう、それが魔素だ」
「これが……この熱が?」
「熱。ふむ。きみは熱として感じるんだね」
「ギガさんは、違う?」
「魔素の感じ方というのは、ひとによって様々なんだよ。よく、八大属性というだろう? 火や水、風や地……ひとはだれしもそうした性質を持つ。得意属性という奴だ。そして、得意属性は、魔素そのものの性質と考えていい」
「じゃあぼくの得意属性は、火?」
「どうだろうね。熱を帯びるのは、火だけじゃないだろう」
「そっか」
「でも、たぶん、きっと、火なんだろう」
「うん?」
「総長閣下は、火属性だからね」
「……なるほど」
一二三は、ギガの言葉に大いに納得した。
神木神威の体細胞から作られた複製体ならば、得意属性が全く同じものであってもなんら不思議ではない。いや、むしろ道理というべきなのではないか。
「まずは、その感覚になれることだ。それこそ、魔法士にとって必要不可欠な感覚だからね」
「必要不可欠……」
一二三は、両手を見下ろし、拳を作った。体中がいままで感じたこともないような熱を帯びていて、それが目まぐるしく全身を巡っているのがわかる。
「魔覚。魔素を認識する感覚。魔素を制御する感覚。魔素を支配する感覚。それがあって初めて、人間は魔法使いになることができた。二百年以上昔のことだよ」
「始祖魔導師・御昴直次」
「そして、魔人・御昴直久もね」
ギガが、一二三に微笑みかける。一二三は察しが良く、理解が早い。
「魔素を発見したふたりの研究者が、しかし長らくその使い道を発見できなかったのは、結局のところ、魔覚に気づけなかったからだそうだよ」
「魔覚……」
「第六感ともいうね」
ギガの授業は、一二三にとってこの上なく面白く、楽しい。
魔法士として歩き始めることができているという感覚があるからだろう。
それは即ち、幸多に近づいているということにほかならない。
幸多は、遥か眼下の戦場を見渡している。
地上は、大量の獣級幻魔によって埋め尽くされているといっても過言ではない。ガルム、フェンリル、ケットシー、カーシー――下位獣級幻魔ばかりだが、いずれもが機械型である。ただの下位獣級幻魔では新兵器の実験対象には圧倒的に物足りないからだ。
とはいえ、妖級幻魔では強すぎる。
そこで、獣級と妖級の間くらいの強さである機械型を投入しているというわけだ。
ガルム・マキナの頭上に火球が生じ、そこから無数の熱光線を撃ち出してきても、幸多には届かない。
高高度を滞空しているからだ。
「どう? 感覚は掴めてきたかしら」
「はい、なんとなく、ですけど」
「これまでの鎧套と同じく、鎧套自体がきみの脳波を読み取り、きみが思った通り、望んだ通りに機能してくれるはずだけれど、さすがに飛行能力となると難しいわよね」
イリアが、幸多の周囲を飛び回って見せながら、いった。
彼女もまた、幸多と同様の装備を身に纏っている。
つまり、最新型の鎧套である。
武神、銃王、護将に続く新たな鎧套の名は、天翔。
その名から想像できるように、まさに天を翔けるための鎧套である。
そして、幸多は、天翔の能力によって、遥か上空に浮かんでいるのだ。
外見は、これまでの鎧套に似て非なるものであり、流線や曲線が多用されている。背部に超小型揚力発生機構・至天が付属しているのだが、これは現状、天翔でしか使用できないものであるという。
他の鎧套が重すぎるからだが、当然だろう。
鎧套は、その名の通り、まさに鎧なのだ。
幻魔の猛攻にも耐えられる頑強なる鎧、それこそが鎧套であり、全身を魔法合金製の装甲で覆っているのだ。
特に防衛用の鎧套である護将の装甲は分厚く、重い。縮地改のような機構がなければ、まともに戦うことなどできないのではないかと思うほどの重量だった。
近接戦闘用の武神は、銃王、護将に比べれば軽いものの、とはいえ、幻魔の攻撃に耐えられる程度の装甲は確保されており、それだけで至天の飛行能力を発揮できないのだという。
そんな鎧套の中にあって、天翔は、限りなく軽量化されているため、装甲もまた、限りなく薄い。防御面で大いに不安が残るが、致し方のないことだ。
それもこれも、空中での戦闘をどうにか成立させるための苦肉の策といってもいい。
幸多の弱点、欠点を克服し、凌駕するための装備群が、F型兵装なのだから。
そして、幸多は、天翔によって、自由に空を飛び回ることができないという魔法不能者最大の欠点を克服したというわけであり、歓喜と興奮に包まれていた。
イリアを見れば、その背後に放射状に薄い光が発生しているのがわかる。それはさながら光輪のようであり、まるで天使や女神のようだった。
幸多も、同じだ。
幸多の背後にも光の輪が生じており、それが超小型揚力場発生機構・至天がその力を発揮していることの証明なのだ。