第千百十三話 胎動(二)
魔法とは、なにか。
一二三は、ここのところ、そのことばかり考えていた。
(二百年もの昔、人類が手にした万能の力。それまでの常識を覆した奇跡の片鱗。神の御業に等しい、大いなる権能。事象変化)
精神を集中させ、意識を研ぎ澄ませるには、考え事をするのが一番だということに気づいたのは、いつだったか。
普通は、そうではないらしい。
雑念を消すことが精神統一には必要不可欠であり、余計なことを考えれば意識を濁らせるだけだというのだが、しかし、一二三はむしろ、雑念こそが必要に感じられた。
「まあ、集中する方法はそれぞれだから、きみに合ったやり方でいいんじゃないかな」
そういって、一二三のやり方を肯定してくれたのは、魔法局副局長・北条ギガだ。
魔法局は、その名の通り、戦団における魔法の全てを管轄する部署である。戦務局教導部を前身としており、紆余曲折を経て、魔法に関連する事物の管理に特化した部署として再編、戦務局から独立した。
魔法局の主な仕事は、戦団式魔導戦術の教導、導士が開発した魔法の検証、認可、記録、管理である。
基本的に、導士は己が発明した魔法を全て魔法局に提出する必要があった。
魔法に関する情報の共有は、戦団全体の戦力を底上げすることに繋がるし、新たな魔法の開発にも強く影響するからだ。
また、魔法局の局長・鶴林テラは、〈星〉及び星象現界を究明、戦団の戦力を飛躍的に高めた人物として知られている。その所業は、ある意味において英雄的なものだといわれてもいた。
そんな鶴林テラがもっとも信頼を置くのが、北条ギガなのだ。
千草色の髪を長く伸ばした男性。日々魔法の研究に没頭しているからなのか、どこか不健康そうな顔色をしているが、目つきは鋭く、一二三の変化を見逃すまいとしていた。
背丈は、一二三と同じくらいか。
つまりは、高くない。むしろ低いほうではないか。
百八十年生まれの四十二歳だが、現代魔法社会において、外見と年齢が一致しないのは当たり前のことだ。つまり、若々しいということだが。
一二三とギガのふたりは、幻想空間上にその意識を滞在させている。
汎用訓練場とも呼ばれる幻想空間は、広大で真っ白な空間だ。等間隔に、そして縦横に、無数の線が走っている。距離感がわかるようにという配慮らしいが、むしろ感覚が狂いそうになるのだから困りものだ。
一二三のような魔法初心者ならば、なおさらだろう。
「きみは、昨日、星象現界を発動しかけた。それは、記憶にあるかな?」
「あるわけないじゃないですか」
「まあ、そうだろうね」
わかりきった答えが返ってきて、ギガは、小さく肩を竦めた。
幻想空間上の一二三は、導衣を身につけているのだが、どうにも着せられているという感じがあった。所在なげに突っ立っているということもあるだろうが、実際に導士として任務を行っていないという認識が、彼をそうさせるのかもしれない。
それもそうだろう、と、ギガは思うのだ。
彼は、まだ魔法を学び始めたばかりだった。
つい最近まで肉体すら持たず、幽霊のようにこの世界をさ迷っていたのだという。肉体こそ自由自在に扱えるようになったとのことだが、魔素の制御など、できるわけもない。
なのに、星象現界を発動しかけた。
(ありえない)
ギガの直属の上司にして偉大なる魔法士である鶴林テラもまた、彼と同様の意見だった。
しかし、一二三が魔力を星神力へと昇華し、膨大な律像を形成しようとしていたのは紛れもない事実だ。
星象現界へと到達しうるほどの律像を、だ。
神木神流と新野辺九乃一の証言からも間違いない。
つまり、彼は、魔法の基礎すら理解しないままに星象現界に到達したということであり、それは、彼が限りない魔法士の才能を持っているということだ。
だから、上層部は彼に期待している。
次代を担う導士のひとりとして、将来の戦団を背負う人材として、人類の未来を切り開く希望として。
「なあ、どう思う?」
「なにが?」
「一二三のことだよ」
「一二三くんが、どうかしたの?」
ほとんど意味のない準備運動をしつう、黒乃は、兄の顔を見た。真白もまた、いつものように入念な準備運動をしているのだが、それもまた、無駄だ。
ここは幻想空間。
いきなり体を全力で動かしたとしても、なんら問題もなければ、そんなことで故障するはずもない。
けれども、ついやってしまうのが癖というものだろうし、それを止める理由もないから、ふたりはいつものように体を動かしている。
「星象現界のことかな」
義一が、九十九兄弟の会話に割って入る。
一二三が退院したばかりだというのに魔法の勉強に向かったため、手の空いた三人は、なんとはなしに訓練所に足を運んでいた。
葦原市を模した戦場の、未来河の河川敷に三人はいる。雲ひとつない青空も、吹き抜ける風も、揺れる草木が立てる音も、なにもかもが爽やかだ。吹き抜ける風は、冬の冷気そのものだが、問題はない。
真白と黒乃がほとんど同時に準備運動を終えると、勢いよく飛び離れた。
三人での戦闘訓練だ。
互いに距離を離しつつ、魔力を練成し、律像を構築していく。
「そう、それ」
「星象現界が、どうかした?」
「あいつ、本当に星象現界を発動しかけたのかなってさ」
「それは、そうなんじゃない」
「うおっ」
真白が思い切り仰け反ったのは、黒乃が彼に向かって巨大な魔力体を放ったからだ。黒い球体が土手に大穴を開ける。
それに対し、真白が魔法壁を展開しつつ、攻型魔法を編んだ。防手だからといって、攻撃手段がないわけではない。
小隊任務では、各々に与えられた役割を全うするべきだったし、そのために死力を尽くすものだが、このような訓練となれば話は別だ。
むしろ、攻撃手段がなければ、防戦一方にならざるを得なくなる。
「だったら、とんでもなくねえか?」
「とんでもないね」
真白が黒乃に光線を撃ち出すのを見計らって、義一もまた、黒乃に雷撃を落とす。前方と頭上からの連続攻撃。黒乃は、眼前に重力場を生み出すことで対処する。
つまり、ふたりの魔法を吸い寄せて見せたのだ。
「あいつ、魔法の基礎すらなってねえだろ」
「魔力の練成だって上手く行かないみたいだよ」
「それはまあ、仕方ないんじゃないかな」
「ん?」
「どういうこと?」
義一の発言の意図が読めず、真白と黒乃は、同時に彼を見た。すると、水平方向に乱射された稲妻がふたりに殺到し、真白は魔法壁を破壊され、黒乃は咄嗟に発動した簡易魔法の盾で辛くも凌いだ。その場を飛び離れ、追撃を逃れる。
飛び跳ねる雷撃が河川敷を破壊していく様は、圧巻だ。
「義一、てめえ!」
「戦闘中だよ。話に夢中になるほうがどうかしてる」
「それはそうなんだけど……」
なんとも納得しがたい気になって、黒乃は、最大最強の破壊魔法を発動した。
魔素。
この宇宙における万物の根源とも呼ばれるそれは、人体のみならず、あらゆる物質、非物質に宿り、この世界を構成しているのだという。
人間も動物も植物も、水も火も風も土も、真空すらも、魔素を宿し、魔素によって成立している。
故に、魔素こそが万物の源であり、究極の元素であるとされた。
そして、その魔素を制御し、操作する技術こそが魔法である。
魔法を使うためには、魔素を魔力へと練成する必要があるのだが、それが一二三には難しかった。
魔法士として生まれ育ち、魔法社会に慣れ親しんだ人々にとっては児戯に等しいのかもしれないのだが、この十数年、脳だけで生きてきて、魔素すら宿さない霊体として存在していた一二三には、扱い切れるものではない気がした。
だが、
「きみは、星象現界へと至った。それはつまり、魔素を完璧に制御し、魔力を星神力へと昇華させたということにほかならない」
ギガの励ましは、一二三を奮い立たせた。
まだ、魔法を学び始めたばかりだ。
どれだけ失敗しても問題はないし、無駄にはならない。
一二三は、幸多のことを考えながら、精神を集中させた。
全身の魔素という魔素が、渦を巻く。




