第千百十話 幕が下りて(五)
夢を、見ていた。
淡く儚い夢。
喘ぎ、藻掻き、足掻き続けて、それでも決して叶わない、そんな夢。
自分がいったい何者なのか永遠にわからなくて、だからこそ必死になっているというのに、結局、存在意義を見つけられないまま虚無へと還っていく。
(嫌だな)
そう思ったとき、視界が開いた。
はっと、する。
「夢……」
一二三は、自分が発したその声と、暗澹たる闇を切り開くような光によって、悪夢から解放されたことを知った。
視線の先には真っ白な天井があって、だから自分がいる場所が戦団関連施設の一室だとすぐにわかる。柔らかな寝台の上。おそらく、医務局棟の一室なのだろう。
なぜ、自分がここにいるのか想像もつかないが。
「確か……新星乱舞を見ていたような……」
一二三は、上体を起こすと、室内を見回した。頭の中では決勝戦最終盤の記憶が混沌と渦巻いていて、どうにも判然としない。雑多な情報が入り乱れている、そんな感覚がある。試合の最中か直後になにかが起きたのだろうが、それがどういった出来事なのか、まるでわからない。
記憶にないのだ。
「なにが……あったんだろう」
ここが医務局棟内の病室だということは、一二三が病衣を着せられていることや部屋の構成からわかる。天井、壁、床――全てが潔癖なまでの白さに包まれており、機材や調度品の類も白一色だ。
清潔感はあるのだが、病的といっても過言ではないくらいの白さだ。
一二三は、そんな風に思う。
「まるで研究所みたい」
彼が生まれ落ちた生命真理研究所もまた、この医務局棟と同じく病的な白さに塗り潰されていたものだ。
だから、嫌な感じがするのかもしれない。
生命真理研究所には、良い想い出がない。
一二三の思い出作りは、幸多と出逢い、彼に見出されたことによって、ようやく始まったのだ。
無意識に伸びをして、あくびを漏らす。未だ、眠気が意識を席巻している。
どれくらい眠っていたのだろう。寝台に横着けされた机の上には、彼の私物が纏められていた。私服の上に携帯端末があったから、手に取り、画面を見る。
室内に時計はあったが、日付まではわからなかったからだ。
携帯端末の画面を確認すると、十二月二十六日と表示されていた。
「……いくらなんでも寝過ぎでしょ」
窓の外を見れば、正午を過ぎていることがはっきりとわかる。
眩いばかりの太陽光線が、冬陽祭を終え、年末へと向かう葦原市の町並みを照らしている。
心の底から楽しみにしていた本部祭を満喫することができなかったのは残念極まりなかったが、それよりも疑問のほうが大きかった。
なぜ、丸一日ほど眠っていたのか。
自分の身になにが起きたのか。
なにか大事件でも起きたのではないか。
そして、実際、大事件が起きていたことを一二三が知ったのは、それからすぐのことだった。
「一二三が目覚めたようだよ」
「本当ですか?」
義流からの報告を受けて、幸多は、ほっと胸を撫で下ろした。
戦団本部技術局棟第四開発室の一角。
幸多の意識は、幻想空間上にあり、眼下に広がる赤黒い大地を見下ろしているところだった。幻想空間上に展開するのは、空白地帯そのものだ。幸多が見たこともない地形だが、そんなものはいくらでもある。
なんといっても、空白地帯は魔界そのものなのだ。
魔界の地形は、無限に変化する。
少なくとも、〈殻〉の外、支配者のいない空白地帯は、まるで不定形の怪物のように日々姿を変え、形を変え、留まるところを知らない。
「ああ。検査の結果、なんの問題もないということですぐさま退院するようだ」
「良かった……!」
「本当に」
義流が心底安堵するのも当然だろう。
一二三の身に起きた異変について幸多が報告を受けたのは、昨日、戦団本部に戻ってからのことだ。
幸多は、新星乱舞の出場者だった。それなのに突然なんの断りもなく勝手に飛び出したのだから、なんらかの処分を受けても仕方のないことだと考えていたのだが、上層部は、幸多の判断を支持こそすれ、処罰する必要はないと伝えてきていた。
それには、第三軍団長・播磨陽真と第十二軍団長・竜ヶ丘照彦、技術局第一開発室長・王塚カイリ、第四開発室長・日岡イリアの連名による報告書が効力を発揮したようだ。
幸多がオトロシャの興味を引き、時間を稼いでくれたからこそ、最悪の事態を免れることができた――そう、報告書には記されていたらしい。
無論、報告書だけでなく、実際の記録映像からもその事実が確認できるから、戦団上層部は、幸多の勝手な行動を不問としたのだろう。
そして、戦団本部に戻ってきた幸多は、まず、医務局で検査と治療を受けた。首の傷はいつの間にか塞がっていたものの、両手首、両足首の骨は折れたままだったからだ。
妻鹿愛曰く、四箇所ともに粉微塵に砕かれていたということだが、オトロシャはきっと軽く力を込めただけだろう。鬼級幻魔だ。全力を込めれば、幸多の肉体など、塵芥に帰したかもしれない。
だが、オトロシャは、そうしなかった。幸多が持つ特異性に興味を持ったからだ。
そして、そのおかげで死を免れたのが、幸多だ。
『相変わらずの悪運の強さだねえ』
愛が苦い顔をしながらも幸多の粉砕骨折の治療に当たってくれたから、すぐに退院できた。
その際、一二三の身に起きた異変について聞いている。
新星乱舞決勝戦が終わった直後、一二三の魔力が暴走、星象現界が発動しそうになったのだという。
義流の機転によって戦団本部の外へと転移させられた一二三だったが、それでも暴走は収まらず、星将たちが対処に当たらなければならなかったらしい。
魔法の基礎を学び始めたばかりの人間が星象現界に至ることなど、あり得る話ではない。だが現に一二三は星象現界を発動する寸前まで到達しており、彼が魔法士としての類い希なる素養の持ち主であることはだれの目にも明らかだった。
いや、そもそもが、だ。
彼は、現代最高峰の魔法士である神木神威の体細胞から生み出された複製体なのだ。魔法士として最高の素養を生まれ持っていたとしても、なんら不思議ではない――とは、義流たちの意見であり、だからこそ、基礎から完璧に叩き込むべきであるという結論に至ったようだ。
幸多は、そうした話を聞いて、羨ましく思うよりも、嬉しくなったものだ。
一二三が必要とされることが、ただただ、喜ばしい。
彼の境遇を思えば、なおのことだ。
「これから一二三には、魔法局が総力を挙げて魔法の基礎を叩き込んでくれることになっているからね。なんの心配もいらないよ」
「魔法局が」
「魔法局は、魔法の管理だけを行う部署じゃないわ。魔法に関連する全ての事象を取り扱う部署であり、ときには、導士に魔法の手解きをすることもあるのよ。戦闘部以外の導士の場合は、特にね」
などと、幸多と義流の会話に割り込んできたのは、イリアである。
イリアが白衣を靡かせながら幸多の隣に現れたのは、この実験に参加するためだ。白衣の下には、幸多と同じく闘衣を身につけていた。闘衣は、体に密着する構造になっているということもあって、イリアの体つきが一目見てわかる。引き締まったその肢体は、技術者、研究者としてだけでなく、魔法士としても超一流であることを示している。
「なるほど。戦闘部の場合は、先輩とか師匠に教わりますもんね」
「そもそも、戦闘部に所属する導士って魔導院を卒業していることが多いから、大半は学校で教わっているものよ」
「魔導院を卒業した時点で、ある程度戦えるようにはなっているんだよ」
「個人差はあるけれどね」
「統魔のように?」
「そうね。皆代煌士の場合は、とんでもなく特別だと思うけど」
「初任務で大金星を上げていますもんね」
「大金星……ああ」
幸多が嬉しそうにいってきたものだから、イリアは目を細めた。統魔は、初任務時に妖級幻魔イフリートの単独撃破を成し遂げている。
それこそ、鮮烈な超新星の登場ということで、世間を賑わせたことはいうまでもあるまい。
星央魔導院時代から既にその存在が知れ渡っていた統魔は、初任務の大活躍もあって、爆発的に人気を得たのである。