第千百六話 幕が下りて(一)
伊佐那一二三は、眠っている。
その穏やかな寝顔を見れば、肉体的にも精神的にも安定していることははっきりとわかった。
医務局棟の一室。
潔癖なまでに真っ白な室内には、一二三以外には義流だけがいた。
(ようやく落ち着いたようだ……)
義流は、一二三が小さな寝息を立てる様子を見て、ようやく安心した。
新星乱舞決勝戦の最中だった。
突如、一二三から異常な量の魔力が発散され始めたのを目の当たりにした義流は、即座に彼を別の場所へと転移させ、自分もその後を追った。
一二三が魔法を暴走させ、周囲の観客を巻き込み、大怪我を負わせてしまう可能性があったからだ。周囲には一般市民しかおらず、咄嗟の事態に対応できる魔法士がいるとは思えないし、期待してはいけない。
もちろん、会場内には導士が警備に当たっていたし、魔素質量の増大に気づくなり、対応に乗り出してくれたようだったのだが、義流は、彼らの到着を待つ余裕はなかった。
一二三は、ようやく魔法の基礎を学び始めたばかりだ。さすがに前提となる知識だけはあったから、幼子よりも飲み込みが早く、すぐに上達するのではないかと期待されていた。
が、魔法初心者であることに変わりはない。
そんな彼の周囲に超高密度の律像が浮かび、急速に組み上がっていく様を目撃すれば、最悪の事態を想定するのは当然のことだ。
故に、義流は、一二三を本部の外へ、市民がいないであろう場所へと転送し、そこで彼の魔法の暴走を抑えるための方法を考えた。
静まるのを待っているという選択はない。
なんといっても、見ている間に律像が完成に向かっているのだ。
律像とは、魔法士の周囲に浮かび上がる幾何学模様であり、魔法の設計図である。律像が形成されるということは、魔法を発動しようとしているということにほかならない。一刻も早く止めなければ、なんらかの魔法が発動してしまう。
魔法の傾向すらわからない複雑怪奇な律像とはいえ、本部内で暴発させるのは危険極まりない。だから本部の外へと転移したものの、それでよしとするわけにはいかなかった。
もしかするとなんの影響も出ない防型・補型魔法の類かもしれないのだが、止めておくに越したことはない。
とはいえ、義流は、ただの技術者だ。戦団の導士であり、ある程度の魔法技量を持っているし、空間魔法については一家言あるのだが、しかし、戦闘部の導士とは違う。
暴走する魔法士を制する方法など、学んでもいないし、考えたこともなかった。
そんなとき、義流と一二三の前に現れたのは、第二軍団長・神木神流と第六軍団長・新野辺九乃一だ。
第二軍団、第六軍団は、今月、葦原市の防衛任務についている。
故に、本部祭の会場である戦団本部にいたのであり、義流の要請を受けて、すぐさま飛んできてくれたのだ。
そして、ふたりは、一二三の暴走を目の当たりにしたというわけである。
『これは……』
『星象……現界……?』
二名の星将は、一二三の周囲に渦巻く超高密度の律像を見、彼の体内で練り上げられ、昇華されていく魔力を感じ取り、唖然としていたものだ。
『星象現界? 一二三が? 一二三はまだ、魔法を学び始めたばかりですよ?』
義流の疑問は当然だったし、神流と九乃一も同感だった。
『それは知っているよ。彼が魔法初心者で、右も左もわからない赤子同然の魔法技量だということくらい、知っているさ』
『ですが……星神力へと昇華しようとしているのもまた、否定しようのない事実』
そして、魔力から星神力への昇華に伴い、律像がさらに複雑化してく光景を見れば、彼がいままさに星象現界を発動しようとしているのは、火を見るより明らかだ。
〈星〉を視るように。
もっとも、星象現界がなんたるかを知るものにとっては、だが。
『魔法初心者が星神力に、星象現界に到達するだなんて、考えたこともないし、想像しようもないことだが……』
『残念ながら止めなければなりませんね』
『うん。星象現界の性能が判明しているのであればともかく、なにが起こるのかわからない以上、それが最良の判断だね』
『はい。義流も、それでよろしいですね?』
『え、ええ……もちろんです』
九乃一と神流が下した結論に、義流に異論はなかった。
二名の星将は、一二三の両側に立つと、魔力を練り上げ、星神力へと昇華させた。そして、星象現界を発動するのではなく、星神力によって、一二三の律像に干渉、律像そのものを分解させていくことによって、星象現界の暴発を食い止めたのだ。
後で聞いた話では、星象現界の律像ともなれば、星将級の魔法士ひとりではどうにもならなかったかもしれないということだった。
ふたりが来てくれて助かった、ということだ。
さらに二星将は、一二三に精神魔法をかけることで、その昂ぶり続ける精神を一瞬にして沈静化させ、そのまま眠りにつかせた。律像が消失してもなお、星神力だけは彼の体内を巡り続けるが、それも時間が経てば元に戻る。魔力へ、魔素へ。
星神力とは、魔力とは、そういうものだ。
義流は、一二三を抱き抱えると、神流と九乃一に感謝した。
星将たちは、当然のことをしたまでであり、礼を言われることではないといい、むしろ、義流の判断力を褒め称えた。
義流が瞬時に一二三を人気のない場所に転移させたことは、万が一にも星象現界が暴走した場合であっても、最悪の事態を回避しただろう。
義流もまた、当たり前のことをしたという感覚だったものの、星将に褒められるのは悪い気分ではなかった。
それから、一二三に検査を受けさせるべく、医務局棟へと足を運んできたというわけだ。
検査の結果、なんの異常も見つからなかった。
『体には、ね』
とは、医務局長の妻鹿愛。局長みずから検査してくれたのは、一二三がそれだけ特別な存在だからだ。
『精神状態もいまは安定しているけれど、これは魔法の影響だろうし、なんともいえないね。仮に一二三くんの精神内でなにかが起きた結果、魔法が暴走、星象現界が発動しようとしたというのであれば、いまのところ、手の施しようがない』
だから、これからはしばらくの間、医務局棟に通院してもらうことになる――という愛の結論に、義流も頷くばかりだった。
一二三が星象現界を発動する直前までいっていたという事実は、既に戦団上層部にも知れ渡っている。
さすがは神木神威の複製体という声もあれば、魔法初心者が星象現界を扱えるはずもなく、危険極まりないのではないかという意見もあった。
義流は、どちらの考えにも同意だったし、血の繋がらない弟の大いなる力に恐れすら覚えていた。
その寝顔は、極めて平和で、自分の置かれている状況すら理解していないのだが。
「まあ、それでいいさ」
義流は、寝台で寝返りを打った弟にそのように述べて、携帯端末を触れた。
この騒動の間に新星乱舞の決勝戦が終わっただけでなく、なにやら大事件が起きていたらしい。
水穂市全体を巻き込む、央都始まって以来の大規模幻魔災害。
新星乱舞は、終わった。
新星乱舞の最後を飾る表彰式では、優勝小隊だけでなく、最優秀導士賞や最多得点賞、敢闘賞、特別賞などが発表され、表彰された。
最優秀導士賞は、いわずもがな、皆代統魔だ。
これには、会場中のだれもが納得したし、万雷の拍手と喝采が、表彰台に上がる統魔を包み込んだ。
統魔は、決勝戦しか参加していないものの、その際に見せつけた圧倒的な魔法技量を目の当たりにすれば、異論などでようはずもなかった。
表彰台で統魔に賞状を渡したのは、戦闘部の部長であり、解説を担当した朱雀院火留多だ。火留多は、統魔の活躍を激賞し、近い将来、戦団を背負ってくれることを期待すると述べた。
統魔は、力強く頷き、約束した。
最多得点賞は、予選において幻魔を撃破することによって得られる撃破点の総数によって決まる。撃破数ではなく、撃破点が、重要なのだ。
そして、もっとも多くの撃破点を手にしたのは、草薙真であり、火留多から表彰された彼は、その戦いぶりを褒められ、照れくさそうな顔をした。そんな真の反応が初々《ういういs》しく素敵だと草薙小隊の隊員たちには評判だった。
敢闘賞は、式守小隊。四人一丸となっての戦いぶりが評価され、表彰されることとなった。それもあり、四人全員で表彰台に上がったため、火留多は大いに微笑み、四人を褒め称えた式守小隊の場合、その姉弟の仲の良さは、小隊の絆の強さにも繋がり、戦闘能力の高さにも関係しているからだ。
そして、特別賞には、真星小隊が選ばれたのだが、表彰台に現れたのは、隊長を除く三人であり、そのことで少しだけ会場がざわついた。
もっとも、幸多が決勝戦後に呼び出されたという説明があったため、観客の誰一人として疑問を持たなかったのだが。
もちろん、戦団側の人間は、幸多の身に起きた異変について知っている。
統魔は、幸多のいない真星小隊の纏まりのなさをじっと見ていた。