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第千百三話 夢を見せるもの(四)

 オトロシャの固有波形こゆうはけい観測かんそくされたのは、ユグドラシル・エミュレーション・デバイス――通称・YEDイェッドによって水穂市の都市機能が一部復旧した直後のことだ。

 その直前には、水穂市周辺の衛星拠点から複数の小隊が市内に入り込んでいたはずなのだが、即座に音信不通になっていた。

 それは、水穂市を襲った大規模なシステム障害が原因だと考えられていたのだが、実際のところ、そうではなかった。

 オトロシャが水穂市内全域を覆い尽くすほどの大規模催眠魔法を行使しており、水穂市の無事を確認するため市内に乗り込んだ導士たちも、次々と術中じゅっちゅうに嵌まっていたのだ。

 そして、その事実が判明したのは、復旧後のことである。

 YEDによるシステムの復旧は、戦団本部や技術創造センターと水穂市内の戦団関連施設を繋ぐことには成功したのだが、しかし、それら戦団関連施設との連絡は取れないままだった。水穂市に送り込んだ小隊とも、だ。

 なにかがおかしい。

 水穂市が非常事態に陥っているのではないか。

 そこで戦団は、さらに多くの導士を水穂市に派遣した。

 先んじて現地に到着していた第三軍団長・播磨陽真はりまはるまは、第十二軍団長・竜ヶ丘照彦りゅうがおかてるひこと合流、杖長たちとともに水穂市を覆う強力無比な催眠魔法を確認した。

 イリアたちが水穂市内の設備を遠隔操作し、オトロシャの固有波形の観測、オトロシャによる水穂市への侵攻と断定した。

 当然のことながら、戦団は、大騒ぎとなった。

 護法院ごほういんは、即刻、水穂市に大戦力を派遣することを決め、同時にオトロシャ領・恐府きょうふ方面の警戒を強化することとした。

 元より、恐府は、最も央都に近い〈クリファ〉であり、戦団が最も警戒している幻魔の領土だ。

 恐府には、オベロンという協力者がいるとはいえ、オトロシャの意向次第では攻め込んでくる可能性は大いにあった。

 数十年もの長きに渡り、全く動きを見せていなかったとはいっても、突如として起き上がり、暴れ出すことも十二分に考えられる。

 だから、戦団は、恐府に対する警戒は常に厳重にしていた。

 ではなぜ、オトロシャが水穂市に接近したことがわからなかったのか。

 理由は、簡単だ。

 運悪く、ユグドラシル・システムの機能障害が起きたからにほかならない。

 水穂市全土を襲ったシステム障害によって、オトロシャの接近も、魔法の発動の観測も、検知もできなかったのだ。

 故に、水穂市そのものが不意を突かれ、眠りについてしまったというわけだが。

「あれがオトロシャか。聞きしに勝る異形いぎょうだな」

 最初、オトロシャの姿を確認したとき、王塚おうつかカイリが発した感想は、イリアも同意するものだった。

 幻魔は、人外異形の怪物だ。鬼級は、人間に酷似した姿形をしていることが多いとはいえ、個体によってその差違は大きく、スルトのように人間とは比較にならないほどの巨躯を誇るものもいれば、アーリマンのような無明の闇を凝縮して人の形を保っているようなものもいる。

 しかし、オトロシャほどの異形さを持つ鬼級は、そうはいないのではないか。

 そんなオトロシャだが、突如現れた幸多こうたに興味を持ってくれたのは、必ずしも悪いことではない。

 幸多は、完全無能者である。

 そして彼は、ほとんど全ての魔法の恩恵を受けられない代わりに、直接肉体や精神に作用する類の魔法の影響も受けなかった。そうした魔法は、対象の肉体や精神を構成する魔素に効力を発揮するからであり、魔素を一切ない方していない幸多には、全く意味をなさないのだ。

 幸多は、魔法に絶対的な自信を持っていたのであろうオトロシャにとって、予期せぬ、想像だにしない存在だったに違いない。

 故に、その正体を知ろうとしているのではないか。

「だが……」

 カイリが中継映像を見据みすえる目は、真剣にして深刻だ。

 イリアは、自分もきっと同じ顔をしているのだと確信しながら、この状況を打破する方法はないものかと思索していた。

 状況は、最悪。

 事態を好転させる方法は、ない。

《口は達者たっしゃなようだ。人間。いや……うぬは本当に人間か?》

 ぎょろりと、オトロシャが視線を巡らせる。幸多を見ているようで見ていない目の動き。

 幻魔の視覚は、義一ぎいち麒麟きりん真眼しんがんに似て非なるものではないかと考えられている。

 純魔法生命体、純魔素知性体などとも呼ばれる怪物たちは、魔素を規準に世界を認識しているのではないか、と。

 その目に映るのは魔素の濃淡のうたんからなる景色であり、世界の形なのだ。

 また、真眼同様に、静態せいたい魔素と動態どうたい魔素の差違を視覚的に認識しているのは間違いなかった。

 だが、だからこそ、幸多を視覚的に把握することができない。魔素の塊である闘衣や鎧套は視認できるはずだが、幸多の姿形は見えてないのだ。

 幸多の体内には、魔素が存在しない。故に、幻魔にとっては透明な存在になりうる。

 ただし、鬼級幻魔には、幸多を認識する方法があるらしいということも、判明している。

 突如、オトロシャの目の中に瞳が増えたのは、きっと、そのためだ。

「人間に決まってるだろ! それだけ目を付けて、なにも見えていないんだな!」

《元気なのは、良いことだ。だが、そううるさくてはかなわぬ。少し、静かにせよ》

「ぐうっ!」

 幸多は、両手両足に生じた激痛に、苦悶くもんの声を上げた。手首、足首の骨が握り潰されたのだ。鋭く破壊的な痛みが脳内を席巻せっけんしたが、それも束の間、つぎの瞬間には痛みは消えていた。

 わずかに残った闘衣が、痛覚を遮断してくれたのだ。痛覚の遮断は、最終手段だが、この状況では躊躇ためらってなどいられない。

『幸多くん!』

 イリアの悲鳴にも似た声が、幸多の脳裏に響く。

 イリアの元には、都度、幸多の生命状態が送信されてきていた。闘衣の機能である。導衣にも同様の機能があり、それら情報の送受信もまた、レイライン・ネットワークを介し、ユグドラシル・システムによって行われる。

 そして、システムが示すのは、幸多の生命が危機に曝されているという事実だ。

 イリアは、歯噛みする。技術創造センターから幸多を見守ることしかできないし、無事を祈ることしかできない。逃げろといったところで、両手両足を掴まれ、骨を折られれば、どうしようもない。

 鎧套は破壊され、武器もない。

 いまの幸多になにができるというのか。

《……確かに、汝のいうことももっともではある》

 二十の目、二重の瞳で幸多の姿をはっきりと認識したオトロシャは、そのように告げた。人間の言葉に耳を貸すなど、幻魔にあるまじきことだが、があれば別の話だ。

は、この五十余年、眠りについていた。人間にとっては長く、幻魔にとっては短い時間だ。しかし、そのわずかばかりの時間で、人間がこうも増えているとは、想定外にもほどがある》

 幸多は、オトロシャの拘束から脱却する方法を全力で考えながら、その目を見据えていた。折れた手足では抗うことはできず、といって、なにか武器を召喚したところでどうにもならない。

 では、どうするべきなのか。

 考えても考えても、答えは見つからない。

 鬼級幻魔に囚われれば、完全無能者など、あまりにも無力だ。

《そして、その挙げ句、あの悪戯いたずら好きのオベロンが人間と共謀きょうぼうし、恐府を混乱に陥れんとしたことも。それに呼応こおうするかのようにして、暴れん坊のトールや、お転婆てんばなクシナダが身勝手に動き出したのも――全て、汝ら人間が増え始めたことに原因があるのだ》

「勝手なことをいうなよ。交渉を持ちかけてきたのは、オベロンのほうじゃないか」

《それが問題だというのだ》

 オトロシャは、幸多をただ見つめ返した。威圧的なだけでなく、確かに強大な力を持った眼差しは、ただそれだけで幸多の意気をくじく。

《余は、長らく人間に興味を持っていた。人間は、幻魔の祖である。幻魔は、人間より進化した存在である。その事実は、なにものにも否定できまい。よって、余は、人間を保護しようとした。だが、幻魔大帝げんまたいていを名乗った愚者ぐしゃの手により、この星の生態系は崩壊、人類は滅亡してしまった》

魔天創世まてんそうせい……」

《そうだ。エベルなる愚者は、リリスにそそのかされ、この星を幻魔だけの世界にしてしまった。多種多様な生物に彩られた、混沌こんとん坩堝るつぼの如き美しき星が、その一撃によって幻魔一色に塗り潰されたのだ。絶望的ではないか?》

「……まさか」

 幸多は、愕然とするほかなかった。オトロシャの言葉を聞いて脳内を渦巻いたものが、これまで想像したこともないものだったからだ。

「おまえは、人間がいなくなったから寝ていたというのか?」

《その通りだ》

 オトロシャの目が赤黒く輝く様は、地獄の深淵しんえんを見ているかのようだった。


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