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第千百二話 夢を見せるもの(三)

 夢を見ている。

 終わらない夢を。

 永遠に繰り返される夢を。

 それは、悪い夢。

 恐ろしい夢。

 絶望そのもの。

 声を上げても、届かない。

 当然の帰結は、絶望を深めるだけだ。

 あらがい、足掻あがき、藻掻もがくこともままならない。

 溺れ、沈み、窒息していくような感覚。

 意識が混濁こんだくし、混沌ばかりが頭の中に散乱していく。

 反響し、拡散し、渦巻き、繰り返す。

 夢、夢、夢――。

 無限に続く悪夢の中で、美由理みゆりは、少女の目を見ていた。銀色に輝く、時空を支配する少女の瞳。

 その目に映る己の姿を。

 汚濁おだくのような悪夢の中で、為す術もなく沈んでいくだけの自分の有り様を。

 手を伸ばしても、空を切るだけだ。

 だれかが掴んでくれるはずもなければ、救いの手が差し伸べられることはない。

 そんな絶望的な確信があった――だが。

 きょとんと愛理あいり幸多こうたが小首を傾げたのは、美由理が思わず伸ばした手をなにかが触れたからだ。

 だれかが、美由理の手を掴んでくれた。

 そしてその手の温もりが、美由理に力を与えた。

 なぜか。

 美由理は、自身を飲み込み、全身をずたずたに引き裂いていた混沌の洪水の中から抜け出すと、真言しんごんを唱えた。治癒魔法。全身の傷という傷が塞がるだけでなく、精神的な消耗すらも回復していくのがわかる。

 目が覚めるような気分だった。

「どうして?」

「なぜです? 師匠。なぜ、立ち直れたんです?」

 愛理と幸多が、理解できないといわんばかりの反応を見せた。

 美由理は、眼下の混沌を一瞬にして氷漬けにしてしまうと、ようやくふたりに向き直った。砂部いさべ愛理と皆代みなしろ幸多の姿をした、この悪夢の基点にして、精神魔法の根源。

「なぜだろうな」

 美由理自身、よくわかっていない。

 悪夢の混沌から脱却できた理由も、全身に力が漲っている理屈も、不明なままだ。

 状況は、なにも変わっていない。

 悪夢は、厳然げんぜんとして美由理の精神を蝕んでいて、意識を蹂躙じゅうりんし続けている。目まぐるしく、そして激しく変化し続ける景色が、その証左だ。事態は、好転してなどいない。

 しかし、美由理はもはや、悪夢に飲まれることはないと想うのだ。

 理屈はない。

 ただ、そう想い込んでいるだけだ。

 この手に残っている温かさが、力を与えてくれる。

「きっと、助けに来てくれたんだろうな。あのときのように」

 美由理は、悪夢たちに向かって告げ、飛んだ。

 すると、幸多が無数に分裂した。そして、何百、何千もの幸多が様々な武器を手に殺到さっとうしてくる。

「欲張りめ」

 美由理は、その光景を目の当たりにして苦笑した。

 そして、その全身から、莫大なまでの冷気の奔流ほんりゅうが噴出し、すべてを白く塗りつぶした。


 幸多は、周囲の状況確認をしつつ、オトロシャを見据みすえている。

 オトロシャの周囲には複雑にして精緻せいち律像りつぞうが無数に浮かんでおり、あっという間に組み上がっていくのがわかる。

 先程の攻撃は、牽制に過ぎない。

 いや、攻撃ですらないのだ。

 ただ、声を発しただけ。

 ただそれだけで水穂みずほ基地の兵舎へいしゃが崩壊し、内外にいた導士や市民が巻き込まれてしまった。幸多の働きもあって死者は出ていないが、巻き添えになった多くのひとは怪我をしている。

(こういう場合は)

 幸多は、視線で転送先を指定すると、その場から大きく飛び離れた。指定した転送地点は、複数箇所。兵舎の残骸が散乱する一帯。

「スクナヒコナ」

 幸多が召喚言語を唱えると、転身機てんしんきが光を発した。光は、指定地点へと収束し、その中から魔法合金の塊が出現する。全長三十センチほどの立方体であるそれは、転送が完了すると同時に表面に光線を走らせた。起動完了の合図だ。

 そして、速やかに立方体の側面が展開し、四本の足が伸びてくると、本体を持ち上げつつ、歩き出す。

 四足歩行で素早く移動するそれは、技術局が開発した最新の自動機械であり、汎用戦術支援機スクナヒコナという。

 攻撃能力はないが、それ以外の機能が充実している。たとえば、自動的に負傷者を探し出し、簡易的ながらも治療する機能は、こういう状況では役立つこと請け合いだ。そしてそれが、幸多にはありがたいのだ。

 導士ならば、魔法士ならば、だれもが当然のように治癒魔法を使えるのだが、幸多はそうではない。

 幸多は、魔法を使えないし、治療手段を持たない。

 だから、スクナヒコナが開発されていると聞かされたときには、大いに喜んだものである。

 そして、四体のスクナヒコナたちが素早く負傷者の元へと移動し、怪我の手当を始めたのを認識すると、一先ず安堵した。

 これで、この場を離れることができる。

 地を蹴り、水穂基地から遠ざかりつつ、オトロシャの視線が自分を追い掛けていることを確認する。

『どうやらオトロシャはきみに興味を持っているみたいね』

『当然だね。伊佐那いざな軍団長すらも掌握しょうあくせしめた催眠魔法が効かないんだ。幸多くんが、おのが魔法への対抗手段か、あるいはなんらかの耐性を持っているのではないかと考えたのだとすれば、興味を抱いても不思議じゃあない』

『でも、だからといって立ち向かう必要はないわよ。きみがかなう相手ならまだしも、オトロシャは鬼級だもの』

『しかも恐府きょうふ殻主かくしゅときている』

「もちろん、わかってます」

 イリアとカイリからの忠告には、幸多は頷くだけだ。。

 央都にもっとも近い〈クリファ〉恐府において、三体の鬼級を従え、君臨する鬼級幻魔。

 その力の強大さは、水穂市全土に強力無比な催眠魔法を展開していることからも明らかだ。

 悪魔を含めても、これほどまでに強大な力を持った鬼級というのは、そういないのではないか。

 少なくとも、幸多はそのように認識した。

 複雑にして超高密度の律像が完成していくのも、止められない。止めようがない。オトロシャは、遙か高空。地上の幸多から攻撃するには、撃式武器を用いるしかなく、そのために武神弐式ぶしんにしきから銃王弐式じゅうおうにしき鎧套がいとう換装かんそうすると、千手せんじゅに四丁の閃電改せんでんかいを持たせた。

 そのときには、水穂基地、そして市街地から十分に離れた河川敷にたどり着いている。周囲に人気はない。冬陽祭の飾りつけがあるだけだ。振り仰ぎ、オトロシャを睨む。万能照準器が幻魔を捉えた。引き金を引く。

 閃電改による間髪を入れぬ連射は、しかし、オトロシャに弾丸が到達する前にその軌道をねじ曲げられてしまった。

 律像が、組み上がった。

《名を、名乗るがよい》

 幾重にも響く声が、真言だったのだろう。

 オトロシャの全周囲に無数の光点が出現したかと想うと、それらは一瞬にして幸多の周囲に着弾、巨大な光の柱となって聳え立った。破滅的な力の奔流が、銃王弐式を、千手を、閃電改を飲み込み、蹂躙し、破壊し尽くしていく。

 幸多を包む闘衣とういもぼろぼろになり、全身がき尽くされていくような感覚に苛まれた。苦悶くもんの声を上げたのも束の間、目を見開いたのは、眼前に、異形の顔があったからだ。

 オトロシャの五つの顔が、幸多を仰ぎ見ている。

 幸多には、なにが起こったのかわからなかったし、状況を把握はあくするまでに多少の時間を要した。

うぬは、何者ぞ》

 オトロシャの複数の腕が、幸多を締め上げていた。

 水穂市上空。

 眼下、河川敷が徹底的に破壊され、広範囲に及ぶ大穴が出来ていた。

 もしあのまま基地に留まっていれば、ぞっとしない結果になっていただろう。

 だから、幸多は、そこだけは安堵した。自分の判断がなんら間違っていなかったという事実に、だ。

 だが、状況は、最悪。

 オトロシャの複数の手が幸多の首や手首を握り締めていて、身動きが取れないのだ。逃げようもなければ、抵抗のしようもない。

 オトロシャの十の眼が、幸多を見据えていた。

《名を、名乗れ。が問うておる。余は、オトロシャ。恐府の殻主にして、魔界の覇者たるものぞ》

 オトロシャの声は、幾重にも響く。

 男にも、女にも、老人にも、若者にも、子供にも聞こえる、そんな声。不気味で奇妙で不思議で美しく、幻想的とも捉えられるような、そんな響き。聞いているだけで頭が痛くなってくるし、混乱しそうになる。

 正体が、掴めない。

 けれども、

「魔界の覇者だって?」

 幸多は、オトロシャの眼を睨み付け、啖呵を切るのだ。

「この五十年、沈黙を保っていたくせに、よくいうよ」

 オトロシャが、目を見開いた。


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