第千九十二話 夢見る街
ユグドラシル・システムに生じた機能障害を復旧するべく技術創造センターが総力を上げている最中、王塚カイリは、苦い顔をした。
彼は、ユグドラシル・システムの管理責任者だ。
彼が室長を務める技術局第一開発室は、元々ノルン・システムの管理、調整、維持、点検を担当するための部署である。ノルン・システムが戦団のみならず、央都の根幹を成す機構であるということを踏まえれば、第一開発室が如何に重要な部署なのかわかろうというものだろう。
そして、ユグドラシル・ユニットが想像だにしない方法で手に入ってからというもの、ノルン・システムとユグドラシル・ユニットの統合によるユグドラシル・システム再構築のため、第一開発室の技師の大半は、技術創造センターで作業に従事していた。
特に彼は、技術創造センターに住み込み、睡眠時間を削って作業に当たっていた。魔法を用いれば、それくらい造作もない。それこそ、魔法のもっとも有益な使い方の一つだと、彼は自負していたが、だからといって部下に強要したことはない。
彼が得意とする超短時間睡眠魔法は、高等魔法に分類され、だれもが真似できるものではないし、真似するべきものではない。
ともかく、彼の自己犠牲的で献身的な働きもあり、ついにユグドラシル・システムが完成すると、システムの管理責任者に任じられたのは、当然の帰結だろう。それからというもの、ここ技術創造センターに居続けているのも、だ。
ここが、彼の戦場なのだ。
『システムダウンの原因は?』
「それがわかれば苦労はしないよ」
通信機越しに問いかけてきたのは、日岡イリアだ。彼女も想定外の事態に混乱しかけている。だから、そのような益体もない質問を投げかけてきたのだろう。
ユグドラシル・システムの一部機能障害により、レイライン・ネットワークに不具合が生じ、水穂市との連絡が取れなくなってしまった。
ユグドラシルシステムは、央都の根幹にして生命線といっても過言ではない代物だ。レイライン・ネットワークを介した情報通信だけでなく、央都のありとあらゆる部分に関与し、人々の生活を助けている。
この戦団を中心とする央都という社会を運営していく上で、必要不可欠な存在なのだ。
つまり、機能障害が起きるということは、社会そのものに相応の不具合が生じるということにほかならない。
故にこそ、技術創造センターは復旧のため、全力を尽くしているのだ。
『原因を特定しなければ、復旧も不可能でしょう』
「だから、原因の特定に注力しているんだよ」
『必要であれば、わたしもそちらに窺いますが』
「来てくれると助かる。きみの場合は一瞬だろう」
『では、いますぐに』
通信が切れたかと思えば、室内の魔素が急激に変動したのを肌で感じた。なにが起きたのか、見ずともわかる。
「早かったじゃないか」
「求められなくとも来る予定でしたから」
イリアの肉声が、カイリの背後から聞こえてきた。つまり、彼女が得意とする空間転移魔法により、戦団本部からこちらまで飛んできたのである。
「まあ、システム復旧までの時間稼ぎはできている。だから、そう急く必要もないのだが」
「時間稼ぎ?」
イリアは、幻板と睨み合いながら端末を操作しているカイリの背中を見つめ、はっとした。
「まさか、YED……!」
「そのまさかだよ」
カイリは、イリアの愕然とした表情を脳裏に想像したのは、一瞬。つぎの瞬間には、幻板を流れる大量の文字列に全意識を集中している。
YEDとは、ユグドラシル・エミュレーション・デバイスの頭文字から取られた略称である。
ユグドラシル・ユニットの代替品として研究、開発されたそれは、幾度かの失敗を経て、計画そのものの凍結が言い渡されていた。
しかし、ユグドラシル・システムの完成にこぎつけたカイリたち第一開発室は、システムの保険としてYEDを用いることを護法院に提案、許可を得、研究と開発を行ってきたのだ。
システムは、完成した。
しかし、如何に完成したとはいえ、人間が作り出したものである以上完全無欠とは言い難いのは事実。
元より、百年以上昔の技術で作られた代物なのだ。
保険は、いくら賭けてもいい。
システム保全のためならば、央都社会を維持するためならば、全額賭けてもいいくらいだ。
もっとも、ユグドラシル・エミュレーション・デバイスによって水穂市の都市機能を補填しているとはいえ、ユグドラシル・システムそのものを復旧させないことには安心できるわけもない。
YEDは、不安定極まりない代物なのだ。
一刻も早く、システムを復旧させなければならないことに違いはなかった。
播磨陽真は、第三軍団長である。
百八十六年生まれの三十六歳は、現十二軍団長の中で最高齢ということもあり、軍団長で集まった場合、あのあくの強い面々を取り纏め、取り仕切ることも少なくなかった。
そんな彼がいま飛行しているのは、第七衛星拠点の北部を横たわる空白地帯だ。
ユグドラシルシステムの機能不全により、水穂市との連絡が途絶えたのだという。
即時即刻なにか問題が起こるとは考えにくいのだが、しかし、連絡が取れないとなれば、周辺の衛星拠点から市内の様子を確認しに行くのは当然といえる。
「軍団長みずからが出向くほどのことですかね?」
即席の小隊に組み込まれた導士の一人が、だれとはなしに質問したが、当然の疑問でもあるだろう。
緊急事態ではあるが、起こ得る問題などたかが知れている。いや、そもそも、問題などなにひとつ起こっていない可能性のほうが高い。
確かに、都市機能そのものが一時的に停止したとなれば、市民が大騒ぎしているに違いないのだが、その程度だ。
水穂市全体が機能不全に陥ったからといって、なにか致命的な事件や事故が起こるとは考えにくい。
一瞬の混乱に乗じて魔法犯罪が起こるのだとしても、即刻導士に鎮圧されるのが関の山だ。
水穂基地には、第七軍団が詰めている。
戦団感謝祭の最中とはいえ、このような緊急事態に直面すれば、即座に対応するはずだ。
「念のため、さ」
陽真は、部下の疑問にそのように答えると、飛行速度を上げた。
陽真率いる小隊が第七衛星拠点から飛び立ったのは、地上を移動するよりも余程早く目的地に辿り着けるからだ。
輸送車両イワキリに乗り込めば、魔力の温存はできる。が、イワキリの最高速度は、飛行魔法に遠く及ばない。
飛行魔法ならば、まさにあっという間に空白地帯を飛び越え、水穂市の境界防壁を飛び越えることができるのである。
そして、境界防壁直上に至った瞬間、微細な違和感に包まれたのは、水穂市が霊石結界に護られていることの証明だ。
霊石が生み出す球形の力場。
それは、〈殻〉の結界と似て非なるものだ。〈殻〉の結界は、殻印《ぁぃおっm》を持つもの以外になんらかの阻害効果をもたらすが、霊石の結界は、結界内で生まれたもの以外に阻害効果を与える。
故に、霊石結界の外で生まれた幻魔が積極的に侵入してくることはなく、市内に発生した幻魔が自由に暴れ回れるのもこのためだ。
では、市外で誕生した人間が霊石結界に入れないのかといえば、そういうわけではない。
人間は、霊石結界の阻害効果を受けない。
霊石結界がそのように調整されているからだということだが、詳しいことまでは明かされていない。
さて、水穂市を囲う境界防壁の直上へと至った陽真は、その瞬間に急停止し、部下たちにも制止するよう命じた。
「軍団長、どうされましたか!?」
「ああ……どうかしているな」
陽真は、遥か前方を見遣りつつ、境界防壁の歩廊へと降下していく。水穂市内の景色というのは、央都四市の中でも特に豊かな自然に彩られていて、圧倒される気分がある。山間部から市街地へと流れ落ちる川が無数に枝分かれし、水穂市を水穂市たらしめているのもまた、美しく思えた。
だが、そんなことに囚われている場合ではない。
「どうかしている?」
「どういうことですか!?」
「見ればわかるでしょ」
陽真が歩廊に降り立つ頃、彼が適当に見繕って編制した導士たちが言い争いを終えた。
というのも、歩廊に倒れている導士の姿があったからだ。
陽真は、導士に駆け寄ると、容態を確認しようとして、止めた。静かだが、確かに呼吸している。
「眠っているようだ」
「眠っている……?」
「こんなところで、ですか?」
「ありえませんよ!?」
「そうだね。ありえない。ありえないことだ」
陽真は、部下たちの信じられないといった反応を受けて、告げた。
境界防壁は、まさに水穂市と空白地帯の境界に聳え立つ防壁なのだ。
導士が歩廊に立って警戒するのは空白地帯の様子であり、幻魔の接近が確認されれば、近場の衛星拠点と連携を取って撃滅するのが、彼らの役割だ。
当然、寝ている暇などない。
そして、そんなことをする導士がいるはずもない。ならば、考えられる原因は一つだ。
「魔法だな」
「魔法……」
「催眠魔法ですか!」
「だとして、いったいだれがこんな真似を……?」
「わからないな」
陽真は、周囲を見回し、ほかにも同じような格好で倒れている導士の姿を確認すると、眉をひそめた。
広域に効果を及ぼす催眠魔法を使用したものがいて、それがたまたま偶然、ユグドラシル・システムの機能障害と重なったとでもいうのだろうか。
「そういえば……街全体が静かじゃないですか? 今日、本部祭の、戦団感謝祭の日ですよね?」
「ああ……そうだな」
播磨は、市内に目を向けた。
いわれてみれば、確かに、水穂市そのものが静まりかえっているような、そんな感じがあった。
戦団感謝祭の日といえば、央都四市が盛り上がりに盛り上がる一日だというのに、だ。
水穂市全体が、夢を見ているような、そんな気配がした。