第百七話 地上奪還と人類のこれから
約百三十年前、一体の鬼級幻魔によって引き起こされた魔天創世と呼ばれる事象は、地球の環境を激変させた。
地球全土の魔素濃度が急激に上昇したのだ。
それは、幻魔による幻魔のための世界を作るための行いであったのだから、幻魔以外の生物が淘汰されるようにして死滅するのは、必然だったのだろう。
ありとあらゆる動植物に例外はなく、微生物も含めた全ての生物が死に絶えたとされている。
少なくとも、魔天創世から遥か後年、戦団が調べることのできた範囲内には、生き残ったものなどなにもいなかった。
地上には、だ。
生き残ったのは、ネノクニと呼ばれる地下都市に隔離されるようにして暮らしていた人々である。そして、それこそが、いまこの央都を生きている人々の親兄弟であり、かつて地上奪還部隊を率い、今なお戦団を率いている総長や副総長ら、解放の英雄たちなのだ。
幻板上で赤黒く染まった地球の一点が拡大されていく。地球全土を塗り潰す赤は、幻魔の領土であることを示している。もっとも、それは戦団が観測した結果ではなく、想像上の地球の現状なのだが、おそらく間違ってはいないだろう。
魔天創世後の環境下で生きていられるのは、純魔素生命体とも呼ばれる幻魔と、この環境に適応した新世代の人類だけなのだから。
拡大された小さな列島も、全土が赤黒い幻魔の領土として示されている。そんな中で、白く切り取られるようにして存在を主張するわずかばかりの土地があった。
それが、央都だ。
人類生存圏とも呼ばれる、ほんの小さな土地。
「今からおよそ五十二年前、たった数百名たらずの魔法士たちが、ネノクニから地上に上がった。地上奪還部隊と命名された彼らは、地上を幻魔の手から取り戻すため、ネノクニ統治機構から差し向けられたのだ」
志方宝治の説明とともに映像が大きく切り替わる。
映し出されたのは、地上奪還部隊の主要人員に関する映像資料であり、若かりしころの戦団総長と副総長の姿があった。
神木神威、伊佐那麒麟、上庄諱、朱雀院火流羅、相馬流陰、白鷺白亜などは、五十年経ったいまでも一線で活躍しているが、彼らとともに前線で戦っていた大半の魔法士は、激戦の末に命を落としている。
地上奪還作戦は、熾烈を極めた。
たった数百人で、その数十倍はあろうかという大軍勢と戦ったのだ。
「全滅してもおかしくなかった、という話は、きみたちも何度も聞かされたことだろう。わたしも何度となく聞いたよ。わたしの場合は、死にそうになった本人たちからだが」
志方宝治は、多少自慢げに語った。地上奪還を成し遂げた英雄たちと面識があり、何度となく愚痴をこぼされたという事実は、新人導士たちへの発奮材料になると考えていたのだ。
英雄。
そう、英雄なのだ。
地上奪還と大業を成し遂げた英雄たち。
解放の英雄ともいう。
それは、地上奪還部隊に加わった全ての魔法士たちの称号であり、そのことは、大英雄、英雄の中の英雄とも呼ばれる神木神威自身が、何度となくいっていることだった。
自分たちだけを指して英雄と呼ぶのは辞めて欲しい、という神威の言葉は、偽らざる本心なのだろう。
多くの犠牲を払った末に鬼級幻魔リリスを打破し、取り戻したのが、この葦原市一帯の地域だ。
それがおよそ五十年前、魔暦百七十年の話。
それから人類復興隊と名を改めた彼らは、一年足らずで央都の土台を作り上げ、さらに戦団とその名称を変更する。
人類復興を旗印として掲げた彼らにとって、最大の難題は、この地上に蔓延る幻魔の存在であり、その圧倒的な数の幻魔と戦うことにこそ重きを置く必要があると考えられたからだ、という。
「地上奪還作戦の成功、央都の建造、戦団の誕生……これらに関しては、きみたちも散々に学んできたはずだ。いまさらわたしが説明するまでもない。そうだね?」
教官が同意を求めてきたものだから、幸多たちも首肯するほかなかった。事実、その通りだ。子供のころから耳にたこができるくらいに聞いた話であり、学生になってさらに深く学んできている。
央都の歴史そのものであり、央都市民ならば誰もが知っていて当然の出来事だった。
幻板上に表示されている人類生存圏には、四つの青い円が央都四市を示すように描かれている。もっとも大きな円は葦原市、その北に出雲市が位置し、葦原市の西に大和市、東に水穂市がある。そしてそれら四市の間と周辺には、空白地帯と呼ばれる何者にも支配されざる領域が横たわっていることがはっきりと見て取れる。
その空白地帯各所に全部で十二の衛星拠点が配置されているということも、幻板の映像に表示されていた。
そして、それら衛星拠点がなぜ存在しているのかも理解できた。
「たった数百人から始まった央都だが、この五十年余りで百万人を数えるまでにその人口を増やすことに成功した。それもこれも、戦団があればこそだ、と、わたしは自負している。戦団が央都市民の生活を、安寧を、平穏を護ってこられたからこそ、人口を増やすことに成功したのだ」
志方宝治は、感慨深げに、しかしながら強い口調で断言した。
実際、その通りであり、反論の余地はない。
戦団が人類生存圏を広げ、秩序を護るために日夜戦い続けているからこそ、人々も安心して生活を送ることが出来ているのだ。その結果、人口の爆発的な増加へと繋がった。
戦団は、人類復興を最大の目的として掲げている。
央都の人口が増えていくことそのものが、戦団が目標に一歩ずつ近づいている証拠であり、その活動方針がなんら間違っていない証明なのだ。
「我々は人類復興のために戦い続けてきたし、これからもそのために戦い続けることになるだろう。央都の治安を維持するためだけではない。外敵との戦いも待っている。きみたちも、心したまえよ」
志方宝治は、幻板上の映像を睨み据え、いった。赤黒い大地の中で唯一白く塗り分けられた人類生存圏だが、そのわずかばかりの土地を取り囲む赤黒い大地は、幻魔の領分である。
央都百万人の人口に対し、この地における幻魔の総数はその十倍どころではないだろうというのが、戦団の見解だった。数十倍、いや、数百倍存在したとしてもおかしくはないというのだ。
それだけの幻魔と戦わなくてはならない。
人類復興を成すには、この地から幻魔を一掃しなければならないのだ。
「無論、そのためにきみたちが死んでは元も子もない。導士もまた、央都の市民、人類を成す一人なのだから」
志方宝治は、そういうと、幻板の映像を切り替えた。
「さて、きみたちのこれからについて、だが。わたしがきみたちに教えてやれることなど、そうあるものではない。きみたちにはきみたちの所属する軍団があり、軍団ごとに様々なやり方があるからだ。わたしのやり方と所属先のやり方が違っていては、きみたちも混乱するだけだろうからね。わたしは、基本的なことだけを教えることにしている」
そうして、志方宝治による新人研修会は、粛々と進められた。
新人研修会は、三時間余りで終わった。
志方宝治がいっていたとおり本当に基本的なことばかりだったが、どれもこれも重要なことではあっただろう。
戦団の基本理念を知り、規則を知り、導士としての在り方を学んだ。
導士とはなんたるものであり、どうあるべきか、志方宝治は、新人導士たちに懇々と説明した。熱の籠もった語り口には、思わず息を呑むほどの迫力があった。
それだけ、志方宝治が導士としての誇りや自負を持っているからだ。
それから、戦団本部に存在する各設備に関する簡単な説明があった。
本部棟の大食堂や総合訓練所については、新人導士がもっとも知っておくべきこととして話してくれた。もっとも、そうした情報は、先輩導士が教えてくれるはずだろう、ともいっていたが。
ほかにも様々な説明があり、全てを終えたときには、幸多は空腹感に苛まれていた。
「さて……どうしよう」
「どうしよう、とは?」
幸多の独り言に対し疑問を浮かべてきたのは、草薙真である。彼は純粋に疑問に感じたようであり、幸多を見る目は不思議そうなものを見るそれだった。
「いやあ、お腹すいたなあって」
「それだったら、本部棟の食堂に行けばいい。おれはそうするつもりだ」
「じゃあ、一緒に行くよ」
幸多は、本部棟の大食堂に一人で行くのがなんとなく億劫だったということもあって、真に同行することにした。真も嫌がったりはしなかった。
「わたしたちも行こっか」
「そうね」
「あんだけ講義聴かされたら、腹も空くよなあ」
金田姉妹と菖蒲坂隆司もそれぞれに席を立った。
結局、五人は連れ立つような形で大食堂に向かったのだ。




