第千七十二話 新星乱舞(二十八)
「負けてしまいましたー……」
幻想空間から現実世界に回帰するなり、落胆の声を上げたのは、鳴子奈留だった。
岩岡小隊のアイドルともいうべき彼女は、攻手であり、今回の戦いにおける要の一人だった。
岩岡勇治が組み上げた戦術で勝利するための要。
無論、防手と補手も重要なのだが、あの状況で勝利を得るためには、彼女の生存が必須だった。
岩岡も、そうだ。
「奈留ちゃんのせいじゃないよ」
「日暮のいうとおりだ」
先に帰還し、試合の行方を見守っていた日暮シュウと道場良三が、本心から鳴子を慰めた。
幻板に流れていた中継映像で見る限り、鳴子に落ち度はない。
もちろん、岩岡にも。
しかし、岩岡は、そんな部下たちの気遣いを感じて、頭を振った。天井照明の青白い光が降り注ぐ、小隊控え室の寝台の上。彼は上体を起こし、室内を見ていた。
「すまなかった」
岩岡は、開口一番に謝罪すると、部下たちの顔を見た。皆、彼のその言葉に驚き、言葉を失っている。
「敗因は、おれの戦術だ。おれの戦術が間違っていたから、決勝に勝ち上がれなかったんだ」
「そ、そんなこと、ないですよ!」
「そうっすよ、隊長」
「隊長の判断に間違いはないと思うが……」
「いや……」
岩岡は、考え込む。
部下たちは、どうしたところで、岩岡を否定することはできない。隊長なのだ。いつだって岩岡が組み上げた戦術通りに動くのが、この小隊だった。どんな任務でも、どんな戦いでも、岩岡のいうとおり、命令通りに動いてきた。
そうして実績を積み上げてきたのだが、その結果がこのザマだというのであれば、もっと部下に意見を募るべきだったと反省するのである。
もちろん、あのような状況に陥らなければ、岩岡が判断を誤ることもなかったのだが、結果が全てだ。
判断を誤った、それが敗因なのだ。
そして、判断を誤る羽目になったのは、岩岡が組み上げた戦術の失敗によるところが大きい。
日暮得意の影魔法に身を隠し、加納小隊と式守小隊に戦わせ、消耗させようとしたのだが、それがあっという間に破綻してしまった。
加納小隊に目論見が看破されてしまった挙げ句、加納小隊との直接戦闘へと移行したのである。
これでは、岩岡の戦術は成り立たない。
岩岡が想定していた最悪の事態だが、しかし、あの状況を利用する手も考えていた。それが岩岡と鳴子の合性魔法を発動することだ。
岩岡と鳴子、地と風の双極属性作用を利用した合性魔法・天地崩壊は、その威力故、至近距離の味方を巻き添えにしかねない。だが、敵の虚を突くには、日暮、道場の犠牲を払う必要があると判断したのである。
実際、岩岡と鳴子の合性魔法は、加納小隊を半壊させるに至った。
だが、式守小隊は無傷だった。
それでは、意味がない。
結局、終始優勢に立ち回った式守小隊が勝利を収めることになったのは、やはり、どう考えても、岩岡の判断が間違っていたというほかない。
そんな岩岡の苦悩がわかるから、隊員たちは、なにもいわないし、いえないのだ。
岩岡小隊の頭脳を一手に引き受けるのが、岩岡勇治なのだから、たとえその戦術が失敗して敗れたのだとしても、なんの不満も文句もない。
そのように思うのであれば、普段から意見を出すべきだったし、戦術を提案するべきなのだ。
「隊長は、よく頑張りました!」
鳴子が岩岡を賞賛するのを見て、日暮と道場は顔を見合わせ、笑った。
岩岡が、少しだけ笑顔を見せてくれたからだ。
加納陸は、小さく息を吐いた。
年に一度、一生に一度の新星乱舞。決勝に進出できるのは、十二小隊中、四小隊のみ。予選落ちの八小隊は、もう二度と、決勝の舞台を踏むことはできない。
加納小隊は、予選で敗れ去った。
「良いところまで行けたと思ったんだがな」
加納が、幻板に表示されている映像を見遣り、つぶやいた。
小隊控え室。天井から降り注ぐ青白い光が、加納の頭を冷やしてくれていて、だからこそ、幻板に意識を向けることができたのかもしれない。
予選第四試合の準備のため、会場では第三試合の振り返りをしており、加納小隊と岩岡小隊が激突した瞬間の映像が流れていた。
「あそこで勇治たちに拘ったのが、失敗だったな」
「ですね……」
「岩岡小隊は無視したほうが良かったんでしょうか?」
「その場合、式守小隊から逃げ続ける羽目になったやもしれんが」
「そうなんだよな。結局、勇治の野郎の作戦は、おれたちの行動を縛ることには成功してたんだよ」
磯部海司、垂水空也、多聞天――隊員たちの意見を聞き、加納は、脱力した。
加納小隊と式守小隊をぶつけるという岩岡の目論見は、加納が看破したことで失敗に終わった。が、そこから加納が岩岡小隊を攻撃しようとしたことで、状況はさらに悪化してしまった。
岩岡小隊を急襲し、その勢いで撃滅できたのであれば、話はまた大きく変わっただろうが。
「式守小隊を岩岡小隊にぶつけるように誘導するべきだったな……」
そうすれば、こちらの消耗を抑えつつ、両隊を疲弊《》ひへいさせることができただろうし、最終的に勝利することも不可能ではなかっただろう。
しかし、それも至難の業だ。
「春花がおれの説得に応じてくれるわけもないか」
嘆息とともに結論を告げて、加納は、肩を竦めた。
岩岡の戦術とそれに対する加納の反撃が、予選第三試合の勝敗を決定づけてしまった。
結局、それが全てだ。
だから、反省するべきは、自分だけであると加納は考えていたし、部下たちの奮闘を讃えた。
そして、そんな加納だからこそ、磯部たちは隊長として仰ぎ見るのである。
式守小隊の控え室は、明るく、そしてやかましかった。
「勝った勝った勝った勝ったああああっ!」
幻想空間から現実世界に回帰するなり、春花の耳朶に飛び込んできたのは、室内に反響する冬芽の大声だ。彼女は思わず両耳を塞いだが、意味はなかった。
冬芽が春花に飛びついてきたからだ。
全体重が腹の上に乗っかってきたものだから、春花は呻くほかなかった。現実世界に戻ってきたばかりなのだ。無防備な肉体への直接攻撃は、鍛え上げられた導士の肉体にも大打撃になり得る。
「勝ったよ、勝った、勝ったんだよおおお!」
「わ、わかった、わかったから、落ち着いて、ね?」
春花は、冬芽が自分の体の上で飛び跳ねようとするのをどうにか抱きしめ、抑え込んだ。そして、ゆっくりと上体を起こせば、夏樹と秋葉がこちらを見ている。
秋葉などは呆れ果てて声も出ないといった様子で冬芽を見ていたが、表情からは喜びを隠せていない。
当然だろう。
新星乱舞の予選で勝利したのだ。
新星乱舞に出場できるだけでも全身全霊で喜ぶべき出来事なのに、決勝に進出することができたとあれば、歓喜に打ち震えてしかるべきだ。
春花は、特にそう思う。
「春ちゃん!」
冬芽が、春花の腕の中から両腕を伸ばしてきて、首に絡みつけてきた。全身で喜びを表すのは、感情表現豊かな冬芽らしい。
そんな妹の反応が春花にはこの上なく愛おしく思えたし、安堵もした。
極度の心配性で不安症な彼女からしてみれば、新星乱舞に出場することそのものに恐怖を感じてもいたのだ。
軍団長直々に選んでくれたというのに、結果を残せなければ、なんといわれるか。
いや、実際にはなにもいわれないことは、わかっている。
新星乱舞の出場者に選ばれるということは、それだけの実績があるということであり、そのことで不満や不平をもらすものは、あまり多くない。
余程実力や実績が拮抗しているのであればまだしも、大抵の場合、飛び抜けた戦績を持つ小隊が選ばれるのだから、そういった事態にはなりにくいのだ。
そうはいっても、春花は、考えてしまうのだ。
もし万が一、予選で敗れるようなことがあれば、軍団長に会わせる顔がない。
だから、心底安堵する。
これならば、決勝戦は思う存分、全身全霊で戦うことができるはずだ。




