第千四十一話 本部祭(四)
人混みをかき分けて、戦団本部内を散策する。
戦団本部の広大な敷地内には、いくつもの建造物が本部祭に相応しく飾り付けられた結果、いつになくその存在感を発揮し、光り輝いてさえいるのだが、中でも目立つのは中心に位置する本部棟だろう。
戦団本部が権威的であり、威圧的だという一部の批判は、本部棟の威容によるものだ。
本部棟の巨大さは、本部内のあらゆる建造物を圧倒するほどのものであり、その存在感たるや、戦団本部から遠く離れた場所からでもはっきりと視認できるほどだった。
葦原市のランドマークといっても過言ではない。
そんな本部棟の存在感があればこそ、本部内で迷子になる心配は少ない。
凄まじいまでの混雑具合で、家族連れも多いとなれば、迷子になる子供も一人や二人では済むまいが、本部内のあらゆる場所に警備員が手配され、導士たちが見回っている以上、なんの心配もいらないと感じている市民も多いはずだ。
奏恵たちも、そうだ。
これだけの人混みが、しかしながら混沌とせず、どこか整然としているのもまた、そうした安心感に寄るところが大きいのではないか。
なにやら騒がしい声も聞こえるし、子供たちが興奮して走り回っている様子も随所に見られるが、大きな問題は起きていない。
事件もだ。
戦団本部を挙げてのお祭り騒ぎは、いつだって大騒ぎだが、一方で、どこか整然としているのである。
「見て見て! 統魔くんよ、統魔くん!」
珠恵が子供のような無邪気さではしゃいだのは、前方に第九軍団兵舎が見えてきたときだった。
第九軍団兵舎は、十二棟ある兵舎の中でももっとも質素で、飾り気のない建物として知られている。しかし、さすがに本部祭の日ばかりは、派手に飾り立てられていた。
遠目にも、そこが第九軍団の兵舎だとわかるほどだ。
軍団長・麒麟寺蒼秀は、雷を象徴とし、雷神の異名を持つ。それ故なのか、第九軍団兵舎は、黄金色の雷光を帯びた雷雲に囲まれているような、そんな飾り付けが施されていた。まるで雷神の棲み処のようだ。
そして、普段とはまるで異なる雰囲気の兵舎の頭上には、でかでかと、皆代小隊の面々が映し出されているのだ。
皆代統魔率いる皆代小隊は、全六名の小隊だ。昨年四人編制の小隊として結成され、今年になって二人増員されていることは、有名だろう。
隊長は皆代統魔、副隊長は上庄字が務めている。隊員として、六甲枝連、新野辺香織、高御座剣、本荘ルナの四人がいる。
彼らは、奏恵たちにとって多少なりとも身近な人物といっていい。特に上庄字と本荘ルナは、第九軍団が水穂市の防衛任務に着いていたとき、よく皆代家を訪れていたものである。
奏恵は、彼女たちとの交流の中で、統魔に対する強い信頼感や絆を感じ取り、少しばかり誇らしかったし、嬉しくもあった。統魔が評価されるのは、魔法技量からして当然なのだが、それでも、嬉しいものは嬉しいものなのだ。
そんな統魔たちの立体映像が、雷雲の上に輝いていた。
「素晴らしい出来映えじゃない?」
「いまや戦団を代表する小隊といっても言い過ぎじゃないもの!」
とは、珠恵。
勇壮な皆代小隊の立体映像を携帯端末で撮影しまくる彼女の姿は、甥っ子を溺愛する叔母のありふれた反応といっていい。
奏恵も、皆代小隊が虚空に立ち並んでいる様子を撮影すると、統魔専用フォルダに収めた。
きっと、珠恵の携帯端末は、奏恵とは比べものにならないほどの写真や動画が収まっているに違いないが、そんなもので張り合うつもりもない。
「第九軍団の出し物ってなんなのかしら? 第六軍団の忍者屋敷とか第七軍団の氷の城はわかりやすいんだけど……」
「導士対抗歌合戦……ですって」
「歌合戦……」
「統魔くんは出るのかな?」
「出るわけないでしょ」
「そりゃそっか」
当然のような望実の一言に、珠恵は、多少残念な気分になったりもした。
新星乱舞を控えている導士たちは、各軍団の出し物に参加している余裕はないはずだ。
統魔が出場すれば優勝待ったなしだとは思うのだが。
「なるほど……」
一二三は、一人静かにつぶやいた。
猛烈な熱気が、戦団本部全体を包み込んでいる。
戦団各部署の導士たちや警備員たちだけでなく、戦団本部を訪れた大量の一般市民で、どこもかしこもごった返していた。
それなのにどこか整然としているのは、警備員や導士たちの誘導が上手くいっているからだろうし、市民がそうした指示に素直に従っているからだろう。
央都の縮図だ。
戦団によって管理運営される世界の形。
完全無欠とはいかないまでも、強力無比な管理社会そのものなのだ。
それが、この本部祭にも見受けられている。
「これが、本部祭……か」
一二三は、全身でこの熱気を受け止め、感じ入るようにいった。
「初めてかい?」
不意に問われたのは、無意識のうちに言葉にしていたからだろう。少しばかりの間を置いて、一二三は、声の主を振り返る。
伊佐那義流である。
「……まあ、はい」
「まあ、ね。人造身体を得てからは初めて、という意味かな」
「そうですね」
義流に確信を突かれ、一二三は、苦笑した。
義流は、一二三に関する大半の事情を把握しているのだ。
一二三が神木神威複製計画によって誕生した失敗作であり、脳だけになりながら、それでも生き長らえてきた存在だということも、この身に起きた奇跡も、全てだ。
それはそうだろう。
彼は、技術局第四開発室の副室長だ。つまり、イリアの腹心であり、人造身体を組み上げてくれた技師の一人でもあるのだ。
故に、彼にはなにも隠す必要がなかった。
一二三が幽体離脱と名付けた異能も、承知している。
だから、義流はそのようにいったのだ。
実際、一二三は、幽体離脱でもって本部祭を見学したことは何度もあった。毎年の冬陽祭当日に行われる恒例のお祭り騒ぎ。そこに幽霊として見守るだけでは、熱量を感じることも、祭に参加しているという感覚を味わうこともできなかった。
だが、今は違う。
今年は、この全身で、戦団本部を包み込む熱気を感じているのだ。
全身の細胞が沸き立つような、血液の流れが加速するような感覚が、一二三の意識を席巻していた。
「幽霊として、だれにも気づかれないまま観察するのも面白くはあったけど、結局、自他の境界が曖昧な状態だったから、それが本当に現実なのかどうかすらもわからないままだったんだな、って、いまになって思います。いまは、これが現実なんだとはっきりとわかるんです」
一二三は、技術局棟の屋上を囲う柵から、身を乗り出すようにしていた。
頭上には、クニツイクサの立体映像が技術局の開発した数々の装備群とともに投影されており、市民の注目を浴びている。
特殊合成樹脂製の柵を握り締めれば、その感触が指先から伝わってくる。それが生きている証のように感じられるのは、これまで自分が生きてさえいなかったのだと証明するようでもあって、なんだか不思議な気分だった。
生きているのに、死んでいるような、死んでいるのに、生きているような――そんな状態が何年も続いていた。
ようやく、息を吹き返し、再び、産声を上げることができた。
であれば、この命をどう使うべきなのか。
一二三は、いつだってそのことばかりを考える。
「きみは……そうだね。これまでに知った多くのことを実際に体感し、経験していくことになるんだろう。おれには想像もつかないし、なにか指針となるような助言を与えることもできない。おれは所詮技術屋だからな。人造身体の整備なら任せて欲しいが、それ以外のことはてんで……」
義流は、一二三にどのような言葉をかけてやるべきなのかと迷い、考え込んだ。
浮かぶ言葉は空疎なものばかりで、彼の心に響きそうには思えなかった。
だからといって言葉を止めてしまうこともまた、恐れた。
彼は、新たな家族だ。
つい先日、伊佐那家の一員になったばかりの、末弟。
義流を含む伊佐那家の全員が、一二三のことを第一に考えるのは、それが伊佐那家の絆だからだ。
血が繋がっていなくとも、心は繋がる。繋がれる。
そう、信じている。
「そうだ。クニツイクサの操縦体験でもしてみないか?」
「は、はい!」
一二三の返事が上擦ったのは、義流の提案が眩いばかりに輝いていたからだ。